7-2.
翌朝も、晴天だった。
「おはよー! 良い天気だよ、起きてー!」
そして、またしてもイブキの元気な声が響き渡った。
「今日は何しようか」
朝食を食べながら、早速話し合う三人。
「そうだなあ、湖沿いの別の町を見に行くって手もあるけど」
「昨日ユクレスで聞いた、観光に力を入れてるって所? 面白そう」
「……船で行った方が、早いかも」
「船? 船乗るの初めて」
「イブキは初めてばっかりだなあ」
今日の予定が決まりそうな雰囲気だったが、できれば昨日の団体の正体がわかるまで、大人しくしておいてほしいところだった。というわけで、口を出す。
「お前たち、学校の課題はやってるか」
瞬間、食堂の空気がしんと冷え切った。
「魔法学はアリア先生が甘いから、『毎日きちんと練習すること』とかそんな程度だったが、他の教科はそうじゃないだろう」
数学は、一日一ページやって終わるかどうかという厚手の問題集が出ていたはずだし、言語学は書き取りと、読書感想文があったはずだ。社会科は夏の間に訪れた場所のレポート。
「忘れてた……」
一応、それぞれの家の保護者によって、課題に必要なものはきちんと荷物の中に忍ばせてはあるが、三日目現在、まだ問題集のページが開かれた様子はなかった。
「計画的にやらないと、後で泣くぞ。目処が立つまで午前中は課題。午後に行ける範囲の場所で遊べ」
「はぁい……」
急に湿っぽい空気を醸しだし始めた子供たちを見て、使用人の数名が必死に笑いを堪えていた。
*****
サロンに集まって問題集を広げている子供たちを近衛兵に任せて、俺は庭に出た。見える限りの湖面には、漁船以外の影はない。漁船の上にも、不審な気配はない。
「ディル様。お供いたします」
話しかけてきたのは、ニイナだった。
「サロンにいなくていいのか」
「サロンにはサイバー様とライン様のお世話をしているメイドがおりますので、わたくしはディル様に付いているようにと、ライン様よりの命令です」
そう言って、数歩離れたところに静かに立っている。
「そうか」
少し歩くと、一定の距離を置いてニイナも歩く。本当に、文字通り俺に付いてくるつもりらしい。
「……」
「……」
建物を一周する間、一言も喋らずに、ただ静かに付いてきた。庭を出て、表の桟橋まで行っても、同じように付いてくる。
「暇だろう。戻っていいぞ」
桟橋は、心地よい風が吹いていた。ニイナの長いスカートがなびく。
「いえ、そういうわけには。……では、お訊ねしても良いでしょうか。何をされているのですか」
「敷地内の構造を調べてる。侵入できそうな場所がないかとか、結界に綻びがないかとか」
来た時には、魔物避けの結界が張ってあるということ以外深く気にしていなかったが、さすがは一国の王妃の別荘だ。本来の地形と魔術と魔法に加え、別荘に至るまでの道の構造や、錯覚の類いまでも組み合わせ、道を知っている者しか辿りつけない構造になっている。
「この別荘、誰が設計したんだ」
「有名なミゼットの建築家だと伺いました。確か名前は、ヴァルテ……。ええと、お名前を失念しました。ミゼットの名前は覚えづらくて」
山奥に暮らす
「……ヴァルテッリ・サロライネンか」
「そうです。そのような名前でした」
またしても、聞き覚えのある名前だった。
「『
「! まさか、五賢者様ですか」
ニイナが少しだけ目を見開いて驚く。俺やクォーツ、ローズと同じく、人間どもから珍妙な二つ名を付けられたミゼットだった。
「しかし、ヴァルテッリはもう死んでるだろ。いつからあるんだ、この別荘」
ミゼットも人間に比べれば長命だが、寿命はせいぜい三百年。俺が引きこもっている間に、迎えが来ているはずだった。
「子細は存じ上げませんが、エーリカ様のお祖母様の代には、既にあったと聞いております。今は、定期的にサロライネン様のお弟子様に来て頂いて、点検と改修をしてもらっているそうです」
さすが、土と石を知り尽くしたミゼットの作品。性能も耐久も、人間の常識の外だ。これなら、敷地内にいる限り子供たちは安全と言っていい。
感心していると、ニイナがぽつりと呟いた。
「……魔法学の先生だとお伺いしましたが、他のことにもお詳しいのですね」
媚びではない、素直な感想だった。俺はフンと鼻を鳴らした。
「昔、『魔法に必要なものは知識と想像力』って言った奴がいたんだ」
「え?」
「魔法を知りたければ世界の全てを知り、その上で魔法に昇華させる想像力が必要だと、そいつは言ってた」
「世界の全てを、ですか……。それでディル先生も、いろんなことをご存知なのですね。得心が行きました」」
聡い娘だ。メイドと言っても、王族やその側近の家に仕えるメイドは、それなりの家柄の娘だと言う。彼女もそうなのだろう。
湖面がゆらゆらと揺れるのを見つめながら、俺は独り言のように呟く。
「もちろん、人間の寿命じゃ到底無理だ。ハイエルフでもまだ足りないだろう。それでも、世界の全てが知りたいと言った人間がいた。それが魔法学の始まりだ」
ユクレス湖には、まだ周囲に貴族の別荘なんてない頃に、訪れたことがある。
当時はまだ、俺も血気盛んで、空から水面に突っ込んで水しぶきを上げ、雨を降らせて遊んだ。優雅に小舟を浮かべていたハイエルフの、ずぶ濡れになった苦々しげな顔や、それを見て笑うクォーツを思い出す。ヴァルテッリは、湖畔でせっせとバーベキューの準備をしていて――。
「妙な話をした。忘れろ」
今更思い出したところで何になる。あの頃の仲間はローズ以外、もう残っていないというのに。
「……戻るか」
「はい」
眉間の皺を揉んで顔を上げた俺の後ろを、ニイナは何も聞かずに付いてきた。
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