パパドラ先生

毒島*4/24書籍発売

1部

序章:こうして竜は洞窟を出た

0.

 俺が縄張りにしている山に人間が訪ねてこなくなってから、どれくらい経っただろうか。


 少し前までは、勇者や英雄と呼ばれる人間が、俺を探してひっきりなしに辺りをうろついていた。

 無理もない。人間たちが言うところの竜は、世界を焼き尽くした悪逆非道の魔物だ。

 もちろん俺はそんなことはしていない。これからもする気はない。

 しかし、俺が人間を『人間』と一括りにしているように、人間から見た竜も、皆同じように見えるのだろう。妙な気を起こされる前に退治してしまおうという、いわゆる『予防』の考え方は、人間らしい。


 仕方がないので、俺の討伐が目的で山に入ってくる者には幻覚を見せて追い返した。

 幻覚を掻い潜って辿り着き、話も聞かずに斬りかかってくる者は、半殺しにした後に傷を治療して、最寄りの町に送り届けた。

 話を聞いてくれる者は穏やかに諭して、帰り道を案内してやった。


 そんなことをしていたら、そのうち誰も訪ねてこなくなった。ようやく、俺が人間に危害を加える気がないことを、わかってくれたのだろう、

 今となっては、俺の棲む洞窟には蟻一匹入ってこない。もはや世界に放置されたと言ってもいい。願ったり叶ったりという奴だ。


 だから――その日も俺は、ずっとそうしているように、洞窟の奥で丸くなり、浅い眠りを貪っていた。

 眠っていると言っても、侵入者を感知することは造作もない。自分の存在など知らない木こりや山菜採りが入ってくる分には、特に気にしていなかった。


 ところが、その日の夜は少々、様子が違った。

 月が山陰に隠れ、周囲が闇に染まる頃。虫や夜行性の小動物の動きを感じながら、まどろんでいた時だった。

「うん?」

 不審な気配を感じて、俺は首を持ち上げ、洞窟の出入り口を見た。

「何だ?」

 人間が四人ほど、山に入ってくる気配がした。麓の町の者ではない。

「軍人か?」

 内三人は、団体行動を円滑に行う訓練を積んだ動きだった。残る一人は、辛うじて人間とわかる程度の大きさ。まだ生後間もないと思しき赤子だ。

 軍人と赤子という珍妙な組み合わせに、俺は首を傾げた。背伸びをして関節を解しつつ、様子を窺う。

 と、次の瞬間だった。

「赤子を置いて……、逃げた!?」

 三人は山の中腹まで来たところで、抱いていた赤子を地面に下ろしたかと思うと、一目散に山を下り始めた。

「何を考えてるんだ。あの辺りは山狼の巣だぞ」

 違う。長居すれば狼に襲われるとわかっているからこそ、わき目も振らずに逃げ出した。

 つまり――赤子を殺すつもりで捨てたということだ。


 その昔は霊峰の主などという二つ名もあったが、俺は基本的に、山中で行われる生物の営みについて無関心だ。変に手を加えては、本来の居心地の良さが失われてしまう。

 しかし、人間は別だ。山の生態系に関わる生き物ではないからだ。

 もし山狼が人間の味を覚えれば、麓の町まで人間を襲いに行くようになる。すると今度は、自分たちに害をもたらす狼を退治しに、人間が山へ侵入してくる。

 望まない事態が起きることは、明らかだった。

「……仕方ない」

 ため息をついて渋々立ち上がり、俺は数百年ぶりに翼を広げて、洞窟から飛び立った。


 赤子が捨てられた場所へ瞬時に舞い降りる。山狼は賢い。縄張りに入ってきた者が格上の存在であることくらいは、理解する。


 人間の赤子は、清潔な布に包まれて放置されていた。木の根が絡み合う寝心地の良くない地面に置き去りにされているというのに、安らかに寝息を立てている。

 あまりに小さすぎて、指先でつまむこともままならない。魔法で浮かせて、手のひらにそっと載せた。寝心地が変わったせいか、赤子は身じろぎをして、きゅう、とかきゃあ、とかいうような、珍妙な声を上げる。

 その声を聴いた俺は、

「か、かわいい……」

 思わず呟いてしまった。

 いや、かわいいって何だ。人間のくせに人間の言葉も通じない、よくわからない生き物に。

 しかし、このもちもちとした頬、こちらを見て笑う表情、そして、久しく触れていなかった温度。

「……町で、子どものいない夫婦でも探すか……」

 何故捨てられたのかはわからないが、拾った以上、放っておくわけにもいくまい。


 町の方角へ飛び立とうと翼を広げたところで、ふと俺は思った。

「待てよ。赤子が生きていることがわかったら、さっきの奴らがまた殺しに来るんじゃないか」

俺の見立てでは、赤子を捨てていった軍人たちは、諜報や暗殺を引き受ける特殊部隊だ。きっと万が一に備えて、しばらくは町の噂なども収集するに違いない。

 せっかくこの俺が拾ってやった命だというのに、すぐに死んでしまっては骨折り損だ。

「……いっそ、俺が育てればいいんじゃないか」

 そうだ。この子が一人で生きていけるくらいの年齢になるまで面倒を見て、人間なんぞに殺されないような知恵をつけてやればいい。


 決して、寝顔に絆されて手放すのが惜しくなったわけではない。断じて。

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