23 ブラダマンテの帰還

 マラジジの作り出した暗黒空間にて。

 女騎士ブラダマンテは方々を彷徨ってようやく、尼僧メリッサの姿を見つけた。

 メリッサの傍らには黒衣の老人――マラジジが倒れている。胸に傷を負っていたようだが、包帯が巻かれ、出血は止まっていた。


「……メリッサ! 無事、だったのね……」

「ブラダマンテ。貴女こそ、よくご無事で……!」


 互いに疲弊しつつも、微笑みあって再会を喜ぶ二人。

 しかし、ブラダマンテはすぐにメリッサの異常に気づいた。先刻よりも年老いた風に見えたからだ。


「メリッサ……大丈夫? 酷くやつれた顔してる……!」

「忘却の川……レテの水に触れてしまいまして。ほんの少しだけ『存在』を持っていかれてしまいましたわ。でも、心配はいりません……このメリッサ、そんな簡単にくたばったりはしませんわ!

 全てが終わった後――ブラダマンテとめくるめくミンネを確かめ合う約束をしましたものね!」


 約束は口づけまでだった気がするが、ブラダマンテ――司藤しどうアイは「……そうだったわね」と頷くだけだった。

 大袈裟な反応ができるほど、今のアイには余裕がない。

 その様子を察したのか、メリッサは真剣な表情に戻った。


「鎧がひどい有様ですわ。あのマンドリカルドという男と戦ったのですね?」

「……ええ。手強い相手だったわ……」


 メリッサはブラダマンテの打撲を治療するため、彼女の鎧兜を脱がせた。

 片耳が潰れるほどの傷を見て青ざめはしたものの、メリッサは安心させるべく、すぐに笑顔を作った。


「少し時間はかかりますが、ブラダマンテの美しさに差し障りが出ないように致します」

「……いつも済まないわね、メリッサ……」


 メリッサの治療を受けるためブラダマンテは横になり……疲弊のためか、しばしの間眠りについた。


**********


 南フランスの海岸線にて。

 ロジェロは魔馬ラビカンを走らせ、アストルフォの落とした呪文書を拾った。

 ありとあらゆる呪術の解除方法が載っているという、善徳の魔女ロジェスティラの著した書物。ロジェロは早速本を開き、確認した。


(この気味わりィ暗黒空間を解除する方法は……)


 中身を読んだロジェロは絶句した。彼にとって、全く心当たりのない手段が記載されていたからだ。


(何だよこれ……一体どこにそんなモノがあるってんだ……!?)


 ロジェロ――黒崎くろさき八式やしきはしばしの間考え、やがて賭けに出る事を思いついた。


(確証はねえが、今はこれしかねえ。

 敵と戦いながらじゃ、じっくり対策を練っている暇もねえからな……!)


 黒崎はラビカンを駆り、瀕死のアストルフォを庇い、グラダッソの黒騎兵たちの追撃を躱しつつ、呪文書の内容を読み上げた。


「何だァ? 神への祈りのつもりか?」

「お前たちの味方は誰一人としていねえ! 叫んでも助けなんか来ねえぞ!」


 グラダッソの兵たちは口々に嘲笑した、が……

 黒崎が読む内容を、たった一人だけ知る事のできる者がいた。


(これでいい。中身を読みさえすれば『物語の文章』として伝わるハズ……!

 だよな? 下田先生……!)


**********


 現実世界にて。

 下田しもだ三郎さぶろうは、黒崎の読み上げた言葉を把握した。


(黒崎君……確かに通常であれば、その方法は極めて有効だ。

 互いに連絡の取れない今の状況であっても、私が物語を読み、その内容をアイ君に念話で伝える事ができれば……!)


『残念だけど、念話が通じないのはさっきので分かったよね?』


 本の悪魔・Furiosoフリオーソの声がする。下田の無力を嘲笑うが如く。


 暗黒空間に引きずり込まれたアイに、いくら呼びかけても念話は届かなかった。

 念話が通じなければ、下田にできる事など無きに等しい。

 だが――


 下田は物語の文字に指を触れた。司藤しどうアイの描写のある箇所だ。


(せっかく黒崎君が命懸けで伝えてくれた内容だ。

 無駄に終わるかもしれないというだけで、試さない理由にはならない……!)


 下田は念話を試みた。遠くで悪魔が舌打ちする音が聞こえた。


**********


『アイ君! 聞こえるか? 起きてくれ!

 非常に大事な話がある。暗黒空間からの脱出方法だ!』


 メリッサの治療を受け、半ばまどろみの中にあったアイの魂に、下田教授の声が響いた。


『えっ……下田教授? 今までどうして連絡くれなかったのよ?

 この妙な空間に入ってから、ずっと苦労してたんだから!』


 思わぬ言葉が返ってきて、驚いたのは下田のほうだった。


『アイ君……私の声が聞こえるのか?』

『何言ってんのよ。当たり前でしょ!』


 今の今まで、下田がいくら念話を試みても通じなかっただなどと、アイは知る由もない。


(もしかして……暗黒空間自体が念話を遮断していたのではなく、マラジジの魔術による妨害だったのか?

 だからマラジジが気絶している今、一時的に念話が届くようになったのか!)


 何にせよ、嬉しい誤算だった。下田は早速本題を伝える事にした。


『アイ君。黒檀の短刀ダガーを破壊しろ。

 そいつが暗黒空間を生み出す魔術触媒として使用されている。

 黒崎君が教えてくれた方法だ。試してみるといい』

『……そう、黒崎が……』


 メリッサがアシュタルトより奪った、魔術防御を打ち消す黒檀の短刀ダガーこそが。

 この閉鎖された空間を生み出した元凶であった。


 真実をアイから聞かされ、メリッサは深々と溜め息をついた。


「考えてみれば、これだけ便利な武器であれば、そう簡単には手放しませんわね。

 アシュタルトの刺客に持たせるにしては、奪われた時のリスクが高いのでは、と引っかかっていましたが……

 わざと奪わせ、携帯させるための罠だったなんて……」


 しかしそうと分かれば、いつまでも後生大事に抱えている理由はない。

 メリッサは黒檀の短刀ダガーを手に取ると、一思いにレテ川の中へ放り投げた。


 たちまち短刀は光り輝き、存在が崩れて消え去り――周囲の暗闇が急速に崩れ去っていく。そして……


**********


 再び南フランスの海岸線。

 空中に漂っていた黒煙の塊に異変が生じた。唸るような風の音が響き渡り、煙は渦に巻かれて天空へと昇っていく。

 やがて風が止むと……その場にはブラダマンテとメリッサが立っていた。


「……おお、やったなロジェロ君! 呪文書の通りに、術を解除できたんだね!」


 アストルフォが歓声を上げ、黒崎ロジェロも安堵した。

 魔馬ラビカンを走らせ、二人を守るように寄り添う。


「……久しぶりだな、ブラダマンテ。それにメリッサも」

「ええ。せっかくの再会だけれど――ひどい有様よね、ロジェロもアストルフォも」

「そいつは……お互い様だろ」


 久方ぶりの互いの憎まれ口が、耳に心地よく響く。

 エチオピア以来の再会。だが四人とも満身創痍だ。

 グラダッソの騎兵に囲まれ、未だ絶望的な状況である事に変わりはなかった。

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