22 アストルフォの作戦と思惑

 イングランド王子アストルフォが鷲頭を持つ空飛ぶ馬・幻獣ヒポグリフに乗り、猛攻から逃れたと思ったのも束の間。セリカン王グラダッソは、名馬バヤールの力を使い常識を越えた跳躍力を見せ――


「……馬鹿なッ……!?」

「死ねィ! アストルフォ!」


 グラダッソが振り抜いた聖剣デュランダルの凶悪な一撃は、アストルフォを幻獣ヒポグリフから叩き落とした。


「……が……はッ……!?」


 凄まじい衝撃の割に、アストルフォは深手を負っていない事に気づいた。

 見やった先には、おびただしい血を撒き散らしながら落下していく幻獣ヒポグリフの姿があった。


(まさか、お前……ボクを庇ってくれたのか……?)


 あちこちを冒険し、お世辞にも仲が良かったとは言えなかった。時には後ろ足で蹴られた事すらあったが。

 この土壇場でヒポグリフは咄嗟に身を挺し、アストルフォを守ろうとしたのだ。


「チッ……まさか畜生が人間の為に命を投げ出すとはな」

 グラダッソは舌打ちした。

「だが無駄な事よ。どのみちこの高さから落ちれば、貴様の主人アストルフォは助かるまい!」


 落馬したアストルフォは、地面に吸い込まれるように落ちていく。

 弓矢も届かぬ高度である。落下の衝撃は凄まじかろう。仮に即死を免れたとしても、重傷を負い戦う事も叶うまい。


「うん……? あれは……」


 グラダッソはアストルフォの落下先を見やった。

 黒い煙の塊のような奇妙な空間が見える。誰も近寄らなかった為、戦いの際には無視していたが……不可解極まりない物質であった。しかし今のグラダッソには、バヤール着地の衝撃に備える事が先決だ。


 アストルフォが暗黒空間に重なる、まさにその時。


「なッ……!?」

 西側から猛スピードで低空飛行する、葦毛の駿馬しゅんめの姿が映った。


(あれはもしや、かつてアンジェリカの弟が乗っていた魔馬ラビカンか!

 何故『翼』が生えている……!?)


 翼ある魔馬ラビカンを駆るは、異教の騎士ロジェロこと黒崎くろさき八式やしき

 ロジェロが暗黒空間を突き抜けたかと思うと、彼の背には瀕死のアストルフォが乗っていた。間一髪、救援が間に合ったのだ。


「……は……ははッ……来ると、信じていたよ……我が友ロジェロ」

「バッカ野郎! 嫌な予感がして大急ぎで来てみりゃあ、何勝手に死にかけてんだてめェ!

 弱ェくせに無茶しすぎなんだよッ! カッコつけるためだけに犬死にとか、笑えねえ冗談だからな!」


 ここぞとばかりに罵詈雑言を浴びせるロジェロに、アストルフォは安堵の笑みを浮かべてみせた。

 ラビカンを旋回させ、滞空して地平を見下ろす黒崎ロジェロ。アストルフォの率いていた騎士たちは少数で、黒騎兵の波に飲まれている。


「……ロジェロ、あそこには近づくな。口惜しいが……もう彼らは手遅れだ」

「……分かって、るよ……ンな事……!」


 口ではそう言いつつも、ロジェロの声には無念さがありありと滲み出ていた。


「ロジェロ殿、何しにここに来た。何故我が敵であるアストルフォを助けたか?」


 バヤールを着地させたグラダッソが、大音声でロジェロに詰問する。全てを把握した上でわざと質問しているのだろう。声音には嘲りの色が濃く現れていた。


「オルランドは殺さなくても救える! 正気を取り戻せるんだ。

 そうなればフランク・サラセン合同討伐軍の目的は消滅する! アストルフォの持つ瓶がその証拠だ!」


 ロジェロは声を張り上げたものの……グラダッソは鼻で笑った。


「知っているとも。知った上で儂は、オルランドを殺そうと決めたのだ。

 彼奴きゃつが生きておる限り、儂の命を脅かす事を知っておるからな!

 この世界での儂の栄達の為にも、オルランドには死んで貰わねばならんのだ!」


「ロジェロ君……グラダッソはやはり……」アストルフォは驚愕していた。


「ああ、アンジェリカの言った通りだな。グラダッソにも、オレと同じ別世界の『魂』が宿っている。

 だからこんな手の込んだ真似をして、オルランド抹殺を企んでるんだろう」


 原典におけるグラダッソは、オルランドに一騎打ちを挑み――壮絶な死闘の末に敗れ、その命を落とす。

 「奴」はそれを知っているのだ。だからこそマンドリカルドと和解し、協力体制を築く事ができたのだろう。


「というか……あの黒煙みてーなのは何なんだよ」ロジェロは尋ねた。

「あの中に、ブラダマンテとメリッサが閉じ込められている……」


「……マジか」

「ロジェロ……ボクの呪文書、さっきの一撃でどこかに落としてしまった。

 探してくれ。あの空間の、解除方法が……載っている……」


「そうは言うけどよ。いくらラビカンで空が飛べるったって、グラダッソの化け物馬をかわしながら本を回収ってのは……」

「そこは心配ない……ボクが何とかする」


 アストルフォが北の森を見ると、煙が立ち上っている。


「何だアレは……狼煙のろしか?」

「ああ、そうだ。ピナベルからの……合図さ」


 ロジェロは魔馬ラビカンの高度を落とし、地上に降り立った。


「どうした? 敵わぬと見て降伏かね?」グラダッソが言った。

「そんな判断をするなら、戦う前に潔く白旗を上げるべきだったな。アストルフォよ、この惨状はお主のせいだ」


 セリカンの荒ぶる王は勝ち誇り、悠然と馬の歩を進め近づいてきた。


「これが最後の警告だ、アストルフォ。『オルランドの心』を渡せ!

 さすれば内通したロジェロ共々、捕縛するだけで命は保障してやろうぞ。

 無論、後でたんまりと身代金を要求させてもらうがな」


 グラダッソの提案に対し――美貌のイングランド王子は、息も絶え絶えに首を振った。


「残念だが……それはできない。

 何故ならボクは今、『心』を持っていないからだ」

「…………何だと?」


 アストルフォは外套や鞄を広げ、中身を全て地面にぶち撒けて見せた。

 確かに彼の所持品の中に、ガラス瓶らしきものは見当たらない。


「北の森に逃げたピナベル達に、オルランドの心は託した。

 ボクの役目は囮で、足止めの時間稼ぎだったのさ。今頃ピナベルが、オルランドを見つけ出して正気に戻している頃だろう」

「……おのれ、貴様ァァァァ!? この無謀な戦いはその為か!」


 セリカン王の表情から余裕が消え、急激な焦燥感に囚われた。


「よくも儂をたばかったな……! 者ども、北へ向かうぞ!

 兵の一部はここに残り、アストルフォとロジェロを八つ裂きにせよ!」


 生き残った黒騎兵の大半を引き連れ、急ぎ北の森へと向かう。オルランドの心が戻れば、今回の作戦全てが無に帰すのである。


(まだちっとも安心できる状況じゃあねえが……グラダッソも、敵兵の大半も北へ向かってくれた。これなら呪文書を回収できる……!)


 ロジェロはグラダッソの軍が陣形を変更している隙にラビカンを走らせ、アストルフォの落とした呪文書の下へと向かった。

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