14 尼僧メリッサvs魔術師マラジジ・前編
「何なんだ、これは……どうすればいいんだ……?」
現実世界。
これまでにも、魔本で繰り広げられる過酷な展開に幾度も打ちのめされたが……今度は異質としか言いようがなかった。
魔術師マラジジの作り出した空間にブラダマンテとメリッサが閉じ込められた。それ以来、ずっと念話が通じない。
『へえ……凄いじゃあないか』
感心した声を上げたのは、魔本に宿る意思・
『マラジジの張った結界は本来、メリッサとブラダマンテの連携を分断するためのものなんだろうけど。
偶然にも下田の念話すらもシャットアウトしちゃったんだねえ。こりゃ大変だぁ』
「クソッ!」下田は毒づき、机を乱暴に叩いてしまう。
『モノに八つ当たりは良くないよ、教授。
聞いた話じゃ、怒りを何かにぶつければぶつけるほど、気分は晴れるどころか逆にムカムカが強くなるらしいし。
どのみちこれから始まるのは戦闘だ。下田の助言を聞くどころじゃあないとボクは思うなぁ』
何にせよ、今の下田教授にブラダマンテ――
こうも簡単に自分は無力になってしまうのか。焦燥と憤懣はつのるばかりだ。
『せいぜい、祈る事さ。ブラダマンテ達がマラジジの魔術を打ち破れますように、ってさ』
皮肉なことに本の悪魔の言う「祈る事」が、今の下田になし得る唯一の援助であった。
**********
ブラダマンテとメリッサは、マラジジの作り出した暗黒の空間に囚われていた。
だが光景に見覚えがある――「オルランドの心」を手に入れるため、一緒に旅をした「過去の記憶」の象徴、「月」世界。
「ここは……『月』? 何故今更こんな所に……!?」
メリッサの疑問に、灰色フードを纏った老人――魔術師マラジジが答えた。
「裏切り者メリッサ。汝の記憶の中でも、最も恐怖を感じた瞬間を引き出し、具現化してやったのよ。
恐らくはコレか? 飛び込んだ生きとし生ける者は『死』へと近づく、忘却の川レテ――」
マラジジは月世界を流れる、無色透明の川を指さす。
川底に無数の消えかかった名札と、騒がしい有象無象の鳥たちの姿が見える。
「なるほど、名札は忘れ去られかけた死者たちで、鳥どもはヘボ詩人か。
確かに恐ろしいな。歴史に名を残す事も叶わず、誰からも忘れられてしまう、というのは」
「私を……処刑しようというのですか、マラジジ様……」
「我が命に背いたからな。残念だよメリッサ。今のブラダマンテ様は、悪魔に憑りつかれておるのだ。
だから我らが預言書に記されていない、予定外の行動ばかりを取っている――」
マラジジが度々口にする「預言書」。実はメリッサ、そんなものを一度も見た事がない。
「心配なさらなくともブラダマンテは、ロジェロ様の事を好いておられます。
いずれお二人は結ばれ、エステ家の礎を築く事になるでしょう。
マラジジ様の『預言書』通りではないのかもしれません。ですが私には、それがブラダマンテの魂や行動に干渉していい理由になるとは、思えませんわ」
「……残念だがメリッサ。問答で時間を無駄にする気はないのだ」
マラジジはぴしゃりと言い放った。
「時間稼ぎのつもりかね? アストルフォ殿が到着すれば、ロジェスティラの呪文書で我が術を打ち破れると思っているのであろう?
だがそれもアテが外れる。儂はすでに、グラダッソ殿にこの位置を教えるよう、アシュタルト共を動かしたからな」
「くッ…………!」
メリッサは周囲を見回す。先ほど一瞬だけ見えたが、ブラダマンテもこの空間に取り込まれていた。
時間稼ぎを封じられた以上、一刻も早くこの状況を打破し、彼女を救援に向かいたいが……
(実は……戦うための魔術。得意じゃないし、好きになれませんわ……)
変身の魔術を極め、希代の魔女と同等かそれ以上の魔力を宿していると噂されるメリッサであるが……その力を破壊や殺傷に用いる事は不得手であった。
先日彼女を襲ったアシュタルトとの戦いも、森の近くで運良く地形を利用できたから勝利したに過ぎない。
今のメリッサにとって、武器と呼べそうな物は、先日奪った魔力を打ち消す力を持つ黒檀の
変身術はこと戦闘において役立つとは言えず、強い集中が必要であるためむしろ足を引っ張るケースが圧倒的に多い。
(それでも、切り抜けなくては……ブラダマンテの為にも……!)
「くくく、メリッサよ。動かぬのか? それとも動けぬのか……?
いずれにせよ、来ぬのなら――こちらから行かせてもらうぞ」
マラジジの奇怪な詠唱が響き渡る。すると――彼の姿は増殖した。
灰色フードの老人の姿が四つに増え、緩慢な動きで襲いかかって来る。
(何ですの、この術は……? 分身……?
それにしても遅いですわ。恐らくは先ほどと同じく、幻術なのでしょうけど――)
メリッサは分身したマラジジの攻撃をかわす。さしたる体術でもなく、肉弾戦が得意でない彼女ですら難なくいなせる。
違和感を覚えつつも攻撃の隙を突き、
刹那、勢いよく鮮血が飛び散った。
「えっ…………!?」
分身は倒れた。先刻と違い、生々しく肉を切り裂き、骨を断った感触。
灰色のフードが剥がれ落ちると――かつて見知った男の顔。「アシュタルト」の一人であった。
幼少から手酷いシゴキを受け、全く良い思い出のない、むしろ憎むべき対象であったが……メリッサに魔術や体術の手ほどきをした師匠の一人でもある。それを彼女は手にかけたのだ。
「いいぞメリッサ。よく殺した。お前の恩師ではあるが、構わんだろう?
お前は儂とアシュタルトを裏切った。もはや無関係の敵同士だ。殺し合う事に
どこから聞こえるのか判然としない、嫌らしいマラジジの声がこだまする。
残った三体の分身も、緩慢な動きでメリッサを捕えようとする。まるで屍を無理矢理、糸で操り人形としているかのような歪な動きだった。
(そんなッ……幻術ではなく、
メリッサは想像に思わず怖気が走り、脂汗を垂れ流しつつ身を退いた。
「どうした? 早く殺せ。こやつらは鈍いが、仕留めぬ限り動きは止めぬぞ?
お前なら造作もなかろう。さっきと同じように、首でも心臓でもよい。その刃を突き立てよ」
マラジジが呼びかける。彼はメリッサの記憶を読んで知っている。
彼女が本当は争いを好まず、人を殺す事に不慣れである事を。
一人か二人なら、嗜虐心を膨らませる事で切り抜けられるかもしれない。しかしそれが複数となると……
「うわああああッッッッ!!」
メリッサは半ば悲鳴に近い大声を上げながら、三体の傀儡を次々と刺殺した。
血が飛び散り、肉を抉る嫌な感触が右手に残る。全身を血で黒く染め上げ、嘔気と不快感がこみ上げてきて、ゼエゼエと呼吸を荒くしていた。
再び響き渡るマラジジの詠唱に、メリッサはビクリと震えた。恐怖に引きつらせながらも顔を上げる。
嫌な予感は的中した。更なる傀儡が姿を現したのだ。
(このままじゃ、キリがない……私の
じわじわと体力・精神を削られ、メリッサの思考は狂気に陥りかけていた。
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