11 マラジジとマンドリカルドの襲来

 女騎士ブラダマンテと尼僧メリッサが海岸沿いの道を進んでいると、馬に乗った貴婦人の姿が目に入った。


「あれは……フロルドリじゃない! 久しぶりね」


 ブラダマンテはかつて、魔法使いアトラントの下からフロリマールを救い出した後、パリにてフロルドリと会った事がある。

 彼女はブラダマンテ達との再会を喜び合ったのもそこそこに、切羽詰まった様子で本題を切り出した。


「積もる話はありますが、今は残念ながら時間がありません。

 正気を失ったオルランド様が……この海岸線に向かってきているのです!

 一刻も早く、この近辺の住人を避難させなければッ。あたしはその為に、ここに来たのですから」


 フロルドリが言うには、狂ったオルランドの監視の為、自分と夫フロリマール、騎士オリヴィエが派遣されてきているとの事。

 ブラダマンテ達もまた、フロルドリに対し現状や自分たちの目的を話した。


「アストルフォ様が、オルランド様を元に戻す方法を……? 何と素晴らしい朗報でしょう!

 一刻も早くフロリマールやフランク王国の騎士様方、ひいてはシャルルマーニュ様にもお伝えしなければッ」

「そうね。この情報が広まれば、サラセン軍と合同でオルランドを討つ必要はなくなるはず。

 住民の避難勧告は私とメリッサでやっておくわ。フロルドリは皆に伝令を頼めるかしら?」


 ブラダマンテの提案に、フロルドリは快く応じて馬首を翻らせたのだった。


「メリッサ。オルランドがここに向かってるって……どういう事だと思う?」

「そうですわね……トリエステでアンジェリカの記憶が『ひとりでに』開封された時のこと、覚えていますか?」


 メリッサの問いに、ブラダマンテは無論覚えている、と頷いた。


「エチオピアでも、セナプス王の息子の生前の記憶は、父親の前で自然と開封されていました。

 これは仮説ですが……失われたといえど当人、あるいはそれに近しい者の肉体と記憶は、常に惹かれ合っているのではないかと」

「そっか……そうなのかも、しれないわね」


 メリッサの仮説が正しければ、オルランドが急に南進した理由も推測が立つ。

 つまり――来るのだ。ここに失われた「オルランドの心」が。それはすなわち、船に乗ったアストルフォ達がこの地に近づきつつあるという事に他ならない。


「じゃあ、ここで待っていればアストルフォと合流できるのね。

 オルランドが南下してきた時にどうすべきか、という課題は残るけれど――」


 不意にブラダマンテは言葉を切った。微かな殺気と――引き絞られる弓の弦の音がしたからだ。明らかにこちらを狙っている!


「メリッサ、危ないッ!」

「!?」


 風を切る音と同時に、女騎士は尼僧の前に馬を走らせ身を挺した。

 三本同時に放たれた鋭い矢。うち二本は盾で弾いたが、残る一本はブラダマンテの左肩に深々と食い込んだ。


「う、ぐゥッ…………!!」

「ブ、ブラダマンテッ!? そんな、私などの為に……!!」


「大丈夫。帷子かたびらの上をちょっと滑っただけ。大した事……ないわ」


 肩から血を流しつつも微笑んで見せたが、メリッサは我が事のように顔面蒼白になった。


「この矢は……貴方ねッ。タタール王マンドリカルド!」


 ブラダマンテは矢の飛んできた方向をキッと睨み据えた。

 駿馬を進め、悠然と東洋風の精悍な騎馬武者が姿を現す。


「覚えていてくれたとは光栄だな。麗しきブラダマンテ殿。

 今の矢はそなたではなく、そこの尼僧を殺すつもりであったのだが。許せ」

「ふざけた事言わないで。許せるわけないでしょう!?」


 声を荒げる女騎士に対し、マンドリカルドは特に反応を示さなかった。


「どうやらこの地に、オルランドやアストルフォらも集うようだな。

 ……お前たち。この事をグラダッソ達に報せて来い」


 マンドリカルドの命令に、背後にいた黒ずくめの集団が頷き――走り去った。


「なッ……今のはアシュタルト……!」メリッサは驚愕した。

「マラジジ様の配下が、何故あなたの命令を聞くのです?」


「何故って……当人に直接聞けばよいのではないかな?」


 マンドリカルドは面白くもなさそうに、メリッサの背後を指さした。

 次の瞬間、メリッサの頭を冷たい影のような手が撫でた。


「ひッ!?」


 メリッサはまるで接近に気づけなかった。魔術師マラジジは不気味な魔法の手を伸ばし、すぐ傍にまで忍び寄っていた。


「メリッサ、よくも我らを裏切ったな。その血を以てあがなってもらおうか。

 お前の記憶は『影の指先』で探らせて貰った。……やはりブラダマンテ様には『異物』が紛れ込んでおるようだな」

「マラジジ、様……!」


 メリッサの行動は素早かった。背後に立つ灰色マントの老人に向かって、黒檀の短刀ダガーで襲いかかる!

 しかしその姿もまた「影」だった。短刀ダガーによって術が解かれ、偽のマラジジの姿は雲散霧消する。


「くッ……幻術……!?」

「この程度で取り乱しすぎだ、メリッサ。真の絶望はこれからだというのに」


 マラジジの不気味な詠唱が響き渡った。開けた海岸線であるにも関わらず、声は奇妙に反響している。

 やがて……メリッサを中心に、不気味な闇が広がった。それは凄まじいスピードで周辺一帯を覆い隠し、瞬く間にブラダマンテやマンドリカルドの立っていた場所をも包み込む!


「……!? 何よ、これッ……!!」


 真昼にも関わらず、薄い暗闇に包まれた不毛の大地。

 すぐ近くに無色透明の川が流れている。ブラダマンテは既視感を抱いていた。


(……この光景、見覚えがある。聖ヨハネの所で見た『月』世界……!?)


「……何なのだ? ここは……」マンドリカルドは顔をしかめた。

「マラジジめ。俺様ごと魔術に巻き込むだなどと聞いておらんぞ……まあいい。

 ブラダマンテよ。先刻の弓にて傷つけてしまった事、改めてお詫びしよう。だが戦士たるもの、常に万全の状態で戦いに臨めるとは限らぬ。これも戦場の習いよ。

 そなたも騎士の端くれであれば、このタタール王マンドリカルドとの一騎打ちを受けられたし。

 もっとも、我が得意とするは弓と馬術。フランク騎士の作法では戦えぬがな!」


 勇猛なるタタールの王は、焦燥する女騎士を好奇の視線で射すくめた。

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