5 司藤アイ、綺織浩介と話す
放浪の美姫アンジェリカは「
それを確実に理解できたのは、その場にいたブラダマンテ――
(顔が……変わった!? アンジェリカから……全く違う女性の顔に!
これが多分、
しかし彼女はその直後にひどくショックを受け、意識を失ってしまった。
「アンジェリカ……アンジェリカッ!?」彼女の身体を支えつつ、必死に呼びかけを続ける恋人メドロ。
「姉さん……! どういう事だ、これはッ……!?」
(初めて表情が変わりましたわね、この方……)
メリッサは目ざとく、レオの様子を観察していた。
(アンジェリカに
「メドロ様、レオ皇太子。アンジェリカの容体を調べさせて下さい。
このメリッサ、アンジェリカほどではありませんが、治療の術に心得がありますので」
「そうなのか……頼みますッ! メリッサさん……アンジェリカを、どうか助けて欲しい……!」
悲痛な声を上げ嘆願するメドロ。
メリッサは早速アンジェリカを毛布の上に寝かせ、脈拍や呼吸を調べる。
「……命に別状はありませんわ。精神的なショックで気を失ったようですが……
早くて数時間、遅くとも二、三日の内に目覚めるハズです。どこか安静な場所に移す必要がありますが」
尼僧の診断に、メドロも
その後、騒ぎを聞きつけたマイエンス家の騎士ボルドウィンの協力もあり、アンジェリカはトリエステにある高級宿に運び込まれた。
街の人間に見つかって騒ぎにならぬよう、ボルドウィンが搬送ルートを確保してくれていた為、いたずらに騒ぎが大きくなる事はなかった。どうにかアンジェリカの安全を確保したブラダマンテ達は、その日は彼女の看病にかかりきりとなった。
しかしアンジェリカは結局その日、目覚める事はなかった。
**********
その日の夕方、ブラダマンテ――アイは人知れず宿を出た。
洞窟を抜ける直前、レオ――
戸惑い半分、期待半分で夕焼けの沈む、美しいオレンジ色を
(お腹空いちゃったな……そう言えば今日はアンジェリカにつきっきりで、まともに食事も摂ってなかったわ)
海に沈む夕日が完全に消え、辺りが薄暗くなった頃――
「
「お待たせ、
微笑みながら話す
ふと、ぐううう、と腹の音らしきものが聞こえた。
アイは思わず赤面してしまい、俯いてしまった。
「ご、ご、ごめんなさい! 先輩! わたしったら、こんな時に……」
「いや、今のは……僕のお腹の音だよ」
「えっ」
照れ臭そうに目を細める
言われてみればそうか、とアイは思い直した。食事抜きで看病というなら、あの場にいた全員が何も食べていなかった筈なのだから。
「……それで、宿の女将さんに頼んで、こっそり持って来ちゃった」
「そ、それは……!」
悪戯っぽく笑う先輩が取り出したのは、塩漬けにした
「以前に来た時にも食べた事があるから、味は保証するよ。
まあ、今夜の
……良かったら、
「い、いいんですかっ!? わたしも丁度、お腹空いてて……いただきますっ!」
「……そっか。多めに持ってきて正解だったね」
首振り人形もかくやと言うほどに頷きまくるアイを見て、
すっかり暗くなった夜の海を見ながら、二人はしばしの間、食事を摂った。
「……この生ハム、美味しい……思ってたよりしょっぱくない」
「
あとレモン汁も仕込んである。ペルシアで栽培された奴を持ち込んでみたんだ。
日持ちはしないけれど、その分食べやすくなってると思う」
(先輩、もうずっと長い間、会ってなかったのに……わたしの好みの味、覚えててくれたんだ)
たったそれだけの事なのに、アイは無性に嬉しくなってしまった。
先輩はいつもそうだ。とてもさりげなく、気を配ってくれる。しかも親切を親切だと思わせないような、自然な形で受け入れさせてくれる人であった。
「すまなかったね、
「いいえ、あんな状況じゃ……仕方がないですよ。お姉さん……早く意識が戻るといいですね」
「……ありがとう」
それを見てアイは思う。
(ああ……この笑顔。優しい声。
本当に今、目の前にいるんだ……)
「隣、座ってもいいかな?」
「えっ……? え、えと……ハイ、ど、どうぞ……」
突然の提案。アイはしどろもどろになってコクコクと頷く。
憧れの先輩とすぐ隣で、共に夜景を見る。ただそれだけなのに、アイは気が気ではなかった。
とはいえ思考はちゃんと働く。黒崎と違い、
「大変だったね、
「え、ええ……もちろんわたしだけじゃ、ブラダマンテを全うする事なんて、できませんでした。
黒崎や、メリッサや、アストルフォや――みんなが協力してくれたお陰です」
黒崎の名を出した時、一瞬だけ
が、すぐに彼は笑顔に戻り、話を続けた。
「僕もこの世界の事情はおおむね把握している。ブラダマンテがロジェロと結ばれない限り、物語が終わらず僕たちは閉じ込められたままだ。
生憎と僕は、ロジェロの役ではないけれど――陰ながら
「ありがとうございます、
二人の結婚式が無事終わって、もしこの世界から脱出できたら……その……せ、先輩……」
「……そうだね。全てが終わったら――きみに大事な話をしたい」
遮られて言われた台詞に、アイは驚いて二の句を継げなかった。
「えっ……? 大事な、話……って……?」
「ごめんね
僕はレオ皇太子として、きみはブラダマンテとして――まだ果たすべき役割が残っている。それらが終わってからにしよう。
だから……いいね? 必ず生きて再会すると誓って欲しい」
随分と思わせぶりな言い分であるが……アイはどぎまぎして、言われるがまま「わ、分かりました」と答えるしかできなかった。
「……アンジェリカ、いや
ちょっと強引な話になってしまったけれど、彼女もれっきとした現実世界の住人だ。一緒に脱出できるならそれに越した事は無い。
そうは思わないかい?
「えっと……わたしは――」
「所詮この『狂えるオルランド』の世界は……本の中の、架空の物語なんだ。本物じゃない。たとえこの世界で恋をして、本気で好きになったとしても。それは偽物だし、報われる事はないんだよ」
「…………」
(そう……なのかな……?)
アイは
それからレオは腰を上げた。
「もっと一緒にいたい所だけれど、お忍びで外出する時間も限られていてね。
今日のところはここまでにしよう。話を聞いてくれてありがとう、
「……は、はい。こちらこそ――」
思いの外あっけなく、二人の時間は終わってしまい。
アイはそのまま宿へと戻った。彼女にもブラダマンテとして使命がある。明日にでもトリエステを離れ、ロジェロやアストルフォの助勢に向かう必要があった。
何故なら彼らと共に狂ったオルランドという非常に厄介な怪物を相手取り、正気を取り戻させねばならないからだ。
(アンジェリカが目覚める前に、街を発たなきゃいけないのが気がかりだけど……
いつまでもこの街に長居する訳にもいかない。仕方ないよね――)
結局アンジェリカの事はメドロと
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