4 好ましからざる状況と再会

 衝撃を受けているブラダマンテ――司藤しどうアイを見て、傍らにいたメリッサも事の次第に気づいた。

 東ローマ帝国皇太子のレオ。マイエンス家の騎士ボルドウィン。一見奇妙な取り合わせである。

 しかし先日のアンジェリカの話では、レオに宿る魂の名は綺織きおり浩介こうすけ。アイの憧れの先輩であるという。


(なるほど、それでブラダマンテ……いえ、司藤しどうさんは動転しているのですか。

 綺織きおりさんという方、私は存じ上げませんが……司藤しどうさんの様子を見る限り、余程大切な方のようですね)


 このまま遭遇し言葉を交わせば、メリッサにとって好ましくない状況に陥るかもしれない。

 ブラダマンテが将来結ばれるはずの黒崎ロジェロではなく――レオを選んでしまう未来が有り得るのではないか。


(彼女がどんな選択を行ったとしてもこのメリッサ、ブラダマンテの味方でいる事に変わりありませんが……

 用心するに越した事はありませんわね。私の勘が、レオ皇太子を警戒すべき人物と告げています)


 メリッサの勘とやらは、半分がた彼女の嫉妬に近い感情から生まれたものではあったが。


 ともあれ洞窟内の四人の様子は、平穏とは程遠い雰囲気に包まれていた。

 アンジェリカとの会話から、彼女がブラダマンテと接触した事を知ったレオは、人払いを願い出てボルドウィンを遠ざけた。

 一方のアンジェリカであるが、メドロを伴ったままだ。


「――これからする話に、メドロを同席させて大丈夫なのかい?」

「ええ。彼にも一緒にいてもらわなきゃ。とっても大事なお話ですもの」


 アンジェリカの言葉に、レオは微笑んで応じた。


「僕がトリエステに着く前にすでに、ブラダマンテと会っていたとはね。

 しかもアンジェリカ。君が僕の正体に気づいている上に、ブラダマンテと同様、この世界の外から来た魂を宿しているとは――」

「レオ皇太子。貴方は最初から気づいていたのね……ブラダマンテの正体に」


「ああ。かくいう僕もそうだからね。僕の名前は綺織きおり浩介こうすけだ」


 皇太子レオの明かした正体。物陰に隠れて様子を伺っていたアイとメリッサは息を飲んだ。


「ブラダマンテに宿っている魂の名は?」

「――司藤しどうアイよ」


 それを聞き、レオは「やはりそうか」と頷いた。


「今日、彼女と会う予定だそうだね? 僕も是非とも、彼女と会って話をしたい。

 構わないよね? アンジェリカ――いや、麗奈れな姉さん」


 レオ皇太子――綺織きおりの口から本当の名前を聞かされ、アンジェリカは露骨に顔をしかめた。


「まさか姉さんを見つけられるとは思わなかった。そして失われた記憶を取り戻す手段まであるなんて。

 司藤しどうさんには感謝してもしきれないな。それこそ僕が長年望んでいた事だから――」


「待って。話を勝手に決めないで! 確かに記憶の瓶は受け取ったけれど……

 まだ私は瓶の中身を飲んでないわ。怖いの。嫌なの。せっかく手に入れたメドロとの愛を、失ってしまいそうで――」


 アンジェリカは隣のメドロの手を強く握り締めた。

 メドロの手に震えが伝わる。話が突飛すぎて、あくまで物語世界の住人である彼には内容を把握しきれなかったが……隣の愛おしい恋人が、瓶の中身を飲むことを極端に恐れている事だけは伝わった。


「オイラも、アンジェリカがこんなに怯えているのに――瓶を開けるのは反対だ」


 メドロの言葉に、綺織きおりはあくまで穏やかな笑みを絶やさず言った。


「メドロさん。想い人を大切にしたい気持ちは分かります。ですが……

 麗奈れな姉さんは僕と同じく、本来ならばこの世界と異なる世界の住人。僕らの世界では、彼女が突如いなくなった事でそれまでの生活や、幸せを失ってしまった人間がいるのです。

 姉さんと結婚していた錦野にしきのの旦那様。そしてこの僕自身も、そうだ」


 綺織きおりの突きつけた言葉は、メドロにもショックを与えた。

 現実世界の彼女にも伴侶がおり、この世界に引きずり込まれた事で引き裂かれたというのだ。動揺しないほうが酷というものだろう。


「今の姉さんは契丹カタイの王女アンジェリカとして、メドロさんとの幸せを手に入れてしまっている。だから今更現実世界の記憶などで心惑わされたくない。その言い分はもっともです。でも……

 現実の世界にも貴女のことを気にかけ、救い出したいと思っている人々がいる。それを考えて欲しい」


 三人の口論を岩陰から聞き、アイは青くなってしまった。


「わたしのせいだ。わたしが記憶の瓶なんて持ち帰ってきてしまったから……」


「そんな事ありませんわ」メリッサは震えるアイの身体を支えた。

「彼女の記憶を得ようと思ったのは、その記憶と共に希望を取り戻して欲しかったからでしょう?

 結果として好ましからざる状況かもしれません。ですがそれは貴女のせいなんかじゃありません。私はそう思いますわ」


 放心気味で力の抜けたアイの鎧が、岩肌とぶつかって乾いた音を立てた。

 物音に気づいたアンジェリカ達が誰何の声を上げたため、二人が潜んでいた事は感づかれてしまった。


「……こそにいるのは……司藤しどうさん、かな?」

「あ……き、綺織きおり先輩……その、お、お久しぶり、です……!」


 まごうことなき憧れの人の顔を目の当たりにし、アイはそれだけ言うのが精一杯だった。

 こんな状況でなければ、もっとじっくり語り合って。ようやく会えた余韻と感動に浸って。色々と話したい事、やるべき事があったろうに――アイは思考がまとまらず混乱しかけていた。

 そこに背中から手を添えてくれたのは、メリッサである。そして小声で囁く。


(お気持ちは分かりますが、司藤しどうさん。どうか冷静になって。

 私がついています。気を落ち着けて、今話すべき事を見失わないで下さい)


 メリッサの言葉と共に、昂ぶっていたアイの心は不思議と鎮まっていく。何かの魔術かもしれない。

 アイとていたずらに感情を暴走させたまま、綺織きおりと話をするのは不本意だった。だからメリッサの力添えに「ありがとう」と感謝の意を述べた。


 と、その時であった。

 異変に気づいたのはメドロである。

 アンジェリカの持っていた、記憶の瓶の栓が「ひとりでに」緩み――中身が勢いよく開け放たれたのだ。


「なッ…………!?」


 瓶の中身の煙はアンジェリカにまとわりつく。

 異常を察したアイ、メリッサ、綺織きおりの三人も即座に彼女の下へ駆けつける。


 煙が晴れた後、立っていたアンジェリカはさらに顔を青ざめて、ガチガチと震えが止まらなかった。


「……そんな。そ……んな、事って……!」


 錦野にしきの麗奈れなだった頃の記憶がよほど衝撃的だったのだろうか。

 アンジェリカは過呼吸めいて弱々しく呟くと、意識を失いメドロの胸の中に倒れ込んでしまっていた。

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