17 狂えるオルランド
アンジェリカが焦りの表情を浮かべたのを見て、オルランドは我が意を得たり、とばかりに猫なで声で語りかけた。
「アンジェリカ。誰か想い人がこの村にいるのか? 誰だね?
是非とも教えて欲しいものだな」
「……知って、どうするのよ?」
「その男の命だけは助けてやろう。
このオルランド、騎士として誓おうではないか。
その代わり、この村の連中は皆殺しにするがな」
「…………ッ!」
オルランドは嫌らしい笑みを浮かべて言った。
アンジェリカの顔から血の気が引く。
この男の騎士の誓いなど、当てにはできない。
メドロの事を教えたが最後、喜々として刃を向ける恐れだってある。
「どうした? 教えたくないか? まァそれでもいいさ。
その場合はこの農村の住民、虱潰しに殺していくだけだからな」
オルランドを案内してきた、村の農夫の一人がヒッと怯えた声を上げ逃げようとしたが――瞬間、騎士の抜き放った聖剣デュランダルが閃いた。
農夫の背中が真一文字に裂け、全身を赤く染めて倒れ込み、動かなくなる。
その光景を見て、周囲にいた野次馬たちから悲鳴が上がった。
「ご覧の通り俺は本気だ。アンジェリカ。
誰だね? 名前を言う気になったかね?」
このままではメドロが殺される。彼は今、盲人だ。オルランドの魔手から逃れる事はできないだろう。
アンジェリカは悔しさに目を滲ませた。拒絶の意思を伝えただけで、こうも強硬な手段に打って出るとは。彼の騎士としての理性と慈悲にすがり、メドロの名前を教えるしかないのだろうか?
(いいえ……ダメよ……! メドロの名前を言ったところで、
よしんば彼を助けてくれたところで、私を強引に妻として
「オルランド。この村の人々を殺そうというなら……筋が通らないわ。
彼らは貴方が訪ねてきた時、私を匿ったりした? 素直に居場所を教えようと、案内したわよね?
つまりこの村の人たちは、私を貴方に引き渡すために捕えていたのよ」
「くッ……はははは! 屁理屈もいい所だなアンジェリカ!
だが筋が通っていない訳でもない。しかし、いいのかね? その理屈で行けば、貴女は俺に引き渡されても文句は言えないという事になるが」
(オルランドに私の
ごめんなさい、メドロ……貴方を救うには、これしか方法が……)
屈辱に打ち震えながらも。アンジェリカはオルランドの虜となるべく、足を前に踏み出し――
「……待ってくれ、アンジェリカ!」
叫ぶ声がした。聞き覚えのある、愛おしい男の声。
メドロだった。牛飼いの主人に支えられ、ここまでやって来ていたのだ。
「……ちょっと、メドロ! 何で来たのよ! バカ!」
アンジェリカは気色ばんで叫び返した。
「ごめんアンジェリカ――役に立たないと分かっていても。
どうしても、居ても立ってもいられなくなってしまって」
二人の二言三言のやり取りで、オルランドは確信した。
このメドロなる盲人こそが、放浪の美姫の想い人であると。
「愚かな事だ、アンジェリカ。よりにもよってそんな男を選んだというのか?
サクリパン。リナルド。アグリカン――これまで貴女を求めてきた屈強な男たちの想いを何だと思っているのだ!」
求め続けてきた美姫の恋人をいざ目の当たりにすると、オルランドの怒りの感情はさらに強まった。
こんなひ弱な
「オイラの名前はメドロ。アンジェリカの事を悪く言わないでくれ。
アンタの話は聞いている。フランク王国最強の騎士だと」
「フン――では問おう、メドロとやら。今この状況でアンジェリカをいかに俺から守り通す気だ?
できまい? 貴殿は守るどころか、守られねばならぬ弱者だ!
いかにアンジェリカが好いていようが、貴殿は彼女に相応しくない!」
「ああ、そうだ。オイラみたいに何の取り柄もない男が、アンジェリカに好かれるなんて夢のような話だ。
アンタみたいに強い騎士にオイラが立ち向かったところで……なす術もなく斬り殺されるだろう」
メドロは牛飼いの支えを振り切って、足を前に踏み出した。
よろけながらも、オルランドの声のする方へと向かっていこうとしている。
「一体何の冗談だ?」オルランドは不快感を露にして言った。
「勝ち目がないと分かっていても――アンタがアンジェリカを奪おうとするなら。
オイラは立ち向かわなくちゃいけない。だって彼女はオイラを、愛してくれたんだから」
メドロは恐れていなかった。目が見えずとも、オルランドの放つ威圧感を全身に受けている筈だ。
にも関わらず、歩みを止めない。震えながらも、冷や汗をかきながらも。最強の騎士相手に一歩も退かない。
かつて死を賭して、己が主人であるダルディネルを弔おうとした勇気は未だ健在だった。
不安定な足取りのメドロに、思わずアンジェリカが駆け寄って支えた。
「アンジェリカ、済まない――」
「済まないじゃないわよ! バカ! 何で絶対助からないのに向かってくのよ!
目だって治ってないのに! 私の顔、一度も見ないまま死ぬつもり?
私を誰だと思ってるのよ! 世界一の美女、
アンジェリカは涙声になって怒鳴り続けた。泣き笑いと呼ぶに相応しい、美姫にあるまじきグシャグシャの顔になってしまっている。
しかし幸せだった。感情を剥き出しにして、愛するメドロとの距離が――狭まり密着する。その温もりから、メドロの身体を、命を――支えているのを実感する。鼓動が高鳴る。絶体絶命な状況だというのに、アンジェリカは夢心地のような気分であった。
「離さないわ。たとえ殺されたって、貴方を離すもんですか。
さあオルランド! メドロを殺そうというなら、私ごとスパッとやっちゃって。
覚悟は決めたから。彼と一緒なら、どんな末路を迎えたって後悔はない――!」
「ふざけるなお前たち! 何を言っているのか分かっているのかッ!?」
オルランドは大声で吠えた。
「お前たちは酔っているだけだ!
一時の高揚で、後先考えずにやけっぱちになっているだけだ!
俺の目的はアンジェリカ、貴女なのだぞ! ここで殺してしまっては何の意味もない……!」
そこまで言って、オルランドはニタリと笑みを作り――近づいてくる二人の鼻先にデュランダルの切っ先を突きつけた。
「……とでも言うと思ったか? ここでお前たちをまとめて斬り殺す事に躊躇する俺だと思うのか?
アンジェリカ。ここで貴女を殺せば、貴女は永遠に俺のモノだ。
世間にはこう吹聴してやるさ。『嫉妬に狂ったメドロがアンジェリカを殺し――オルランドがその仇を討った』とでもな。そうすれば、俺が世界一の美姫の
「……勝手にしなさいな。私たちの命は奪えても、魂までは奪えないわ」
アンジェリカは憮然となって言った。
「断言してあげる。私を殺しても、私は貴方のモノにはならない。
私の
挑発するようなカタイの王女の物言いに、オルランドの感情は沸点を越えた。
煮えたぎる怒りがこめかみに青筋を浮かび上がらせ、形相もより一層険しいものとなった。
「――もういい。望み通り殺してやろう!
そんなつまらぬ男と共に屍を晒すのが貴女の望みとはな! 呆れ果てたぞ!」
「――メドロの悪口を言うな。この極悪ストーカー野郎がッ!」
アンジェリカもまた、とうとう感情を爆発させてオルランドを罵った。
「メドロはね。私の弱い所も醜い所も、全てを認めて受け入れてくれたわ!
それにね。貴方なんかよりも彼はずっと強い。
貴方にある? 彼のような勇気が。勝ち目が無くても、死ぬと分かっていても。敵に立ち向かう覚悟なんて決めた事、貴方にはないでしょうよッ! メドロに比べたら――オルランド。貴方には男としての魅力なんて欠片もないッ!!」
オルランドは雄叫びを上げ、デュランダルを振りかざした。
凄まじい気迫と咆哮。三人のやり取りを固唾を飲んで見守っていた農民たちは、皆縮み上がって逃げ出すか、へたり込んで失禁してしまうほどの恐怖であった。
そんな中、最強騎士の放つ戦慄すべき殺気を浴びても――アンジェリカとメドロは逃げ出そうとしない。震えながらも、怯えながらも――身を寄せ合い、互いを抱き締め合っている。アンジェリカは片時もオルランドから視線を逸らさなかった。
(クソッ! 気に入らぬ! 気に食わぬ! 苛立つ瞳でこちらを見つめおって!
何故そんな目ができる? アンジェリカ、お前は俺と同じハズだ!
最上の美貌を持つが故に、どんな男とも釣り合わぬ孤独を味わってきたハズ!
最強の武勇を持つ、この俺のように……なのに何故! 俺とは違う、満ち足りた顔をしているのだ……!)
デュランダルを振り下ろそうとするオルランド。一瞬で終わる。この最強の聖剣が振り下ろされた時、二人の生は瞬時に終焉を迎える。
その刹那、彼は気づいた。誘惑に屈しなかった自分が、何故こうもアンジェリカを追い求めていたのかを。
惹かれていたのだ。彼女の孤独に。彼女の悲哀に。彼女の残酷な運命に。ずっと惹かれていた。
オルランドも波瀾万丈の生を送り――最強ではあるが、孤独だった。いかな武勲を上げ、名声を得ても。心は満たされなかった。
放浪の美姫アンジェリカもきっと同じだ。今は納得できずとも、共に生きる事ができれば――必ず互いの孤独を知り、心の空隙を埋め合う事が可能な筈だ、と。
だが裏切られた。アンジェリカは自分ではない、別の男に心を満たされていた。
もはやここで殺しても意味がない。オルランドの空虚は満たされない。ところが対するアンジェリカはどうだ?
愛する者と分かり合い、肌を重ね合わせながら――絶頂の瞬間に死を迎える。
完全な勝ち逃げではないか!
「うごおおおああああああッッッッ!?」
野獣のような咆哮を上げ――オルランドはデュランダルの軌道を無理矢理に捻じ曲げた。
メドロを庇うように抱き締めていたアンジェリカの毛髪が数本、宙を舞う。
しかしそれだけだった。聖剣の切っ先は二人を逸れ、明後日の方向に飛び地面に転がった。
オルランドは天に向かって、大熊の如く吠え続けた。
彼の目はもうアンジェリカ達の方を向いていない。その行動は到底、人間のものとは思えなかった。
「え――? オルランド――?」
アンジェリカ達が見守る中――オルランドは叫び疲れたのか、眠るように意識を失い、倒れ伏した。
**********
オルランドはアンジェリカを得る事が叶わなかったショックで三日三晩、意識を失った。
後に意識を取り戻した時、彼はオルランドであって、オルランドではなかった。
聖剣デュランダルに目もくれず、
この出来事は後世に叙事詩として伝わっている。「狂えるオルランド」と。
(第5章 了)
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