幕間3

姉弟

 現実世界。大学教授・下田しもだ三郎さぶろうの自宅マンションにて。

 部屋の持ち主である中年の男性は、ギョロリとした眼をさらに見開き、鬼気迫る表情で一心不乱にパソコン画面と格闘していた。


 その隣にはページを開かれた状態の大判の赤い書籍が置かれている。

 魔本「狂えるオルランド」。


『何をしているんだい? 下田三郎』


 憔悴しきった様子でカタカタとキーボードを叩き続ける男に、語りかける声があった。

 部屋には下田以外、誰もいない。声の主は魔本に宿りし悪魔的存在――Furiosoフリオーソである。


『魔本の内容を、書き写しているのか。

 ご苦労な事だねえ。備忘録ってヤツかい?』


 甲高く作り物めいた「本の悪魔」の言葉に、彼は反応を示さない。


 下田教授は写本作業を切り上げると魔本を閉じ、今度はインターネットで検索を始めた。

 事前に警察の知人に助力を仰いだりもしたが、すげなく断られたり無視されたりしている。これも本の悪魔が言うところの「部外者は魔本に干渉できない」という呪いの顕れなのだろうか。

 しかし下田は違う。Furiosoフリオーソと直接語る事ができ、魔本に閉じ込められた主人公の女騎士・ブラダマンテに憑依した司藤しどうアイと念話を通じて意思疎通が行える。

 物語世界の登場人物には成り代われないものの、彼もまた立派な「当事者」であった。


 魔本の奥付を開き、記載されている――45名の行方不明者の名前を確認する。

 彼らは全て「魔本」に引きずり込まれ、消息を絶っている。ある者は忘れられ、ある者は失踪宣告を受け「死亡」と見なされていた。


 情報そのものは普通にアクセスできる。不審な点は見当たらない。

 恐らくは魔本に危害を加えようという意図に敏感に反応し、自然と記憶を消し、遠ざける力なのだろう。実に厄介だ。


 下田とて、情報収集の目的は魔本の滅却ではない。アイ達の現実世界への脱出を支援するためだ。

 やがて目当ての情報を探し当て、下田はようやく安堵の息を吐いた。


「なるほどな――結婚して姓が変わっていたのか」


 奥付の行方不明者名簿の半ばに存在する女性の名。下田は彼女の身元を割り出す事に成功した。

 錦野にしきの麗奈れな。旧姓・綺織きおり――司藤しどうアイの憧れの先輩・綺織きおり浩介こうすけの実の姉である。


**********


 フランク最強騎士・オルランドが意識を失い卒倒した直後。

 放浪の美姫アンジェリカとその恋人メドロは、彼女の故国である契丹カタイを目指して逃亡を続けていた。


 しかし途中、思わぬ協力者たちと同行する事になる。


「わざわざ済まないわね――馬や資金の援助どころか、護衛まで引き受けて下さるなんて」


 アンジェリカは協力者である二人の騎士に礼を述べた。

 二人の掲げる紋章は――マイエンス家のモノだ。一人は若々しくも端正な顔立ちをしているが、もう一人は卑屈そうな痩せぎすの青年であり、隣に気の強そうな、険の強い美人の女性を従えている。

 前者はガヌロン伯の子・ボルドウィン。後者はアンセルモ伯の子・ピナベルと、その妻であった。


「お気になさらず。我が父ガヌロンの命に従っているに過ぎませんから」


 とはボルドウィンの言。悪名高きマイエンス家の、しかもガヌロンの血を引いているとは思えぬ爽やかな印象と声音を持つ、堂々たる騎士の振る舞いである。

 対するピナベルはというと、事ある毎に何かしらブツクサ文句を呟いては、隣の妻に小突かれている。実に対照的な二人である。


「噂には聞いていたが――アンジェリカ姫、すっげェ美人。もっと早くに出会っていれば――」

「アナタなんか、速攻で斬り殺されて終了よ! 失礼しちゃうわね」


 アンジェリカらはマイエンス家出身の騎士たちの支援もあり、オルランドの追跡を振り切って南ドイツ・バイエルンはミュンヘンの街に辿り着いた。

 ここは現在、フランク王国の支配域の東端に位置する、バイエルン公ネイムスの本拠地である。


「ここからさらに東へと旅するには――あの方の支援を受けるに越した事はないでしょう」

「あの方って……?」


 思わせぶりな騎士ボルドウィンの言葉に、怪訝な表情を浮かべるアンジェリカであったが。

 それに対しピナベルが呆れたように口を挟んできた。


「分かるだろう? 東の大国といったら、伝統ある東ローマ帝国だよ!

 ま、キリスト教国といってもアッチはギリシャ正教だし、ウチとは宗派が違う。しかも先代皇帝の時代から偶像禁止令とかサラセン人めいた事を言い出して、国内が真っ二つに割れるという大ポカやらかしちまってるから、大変みてェだがな」

 意外と情報通のピナベルは、得意げに鼻を鳴らした。

「今ちょうど我がフランク王国との同盟締結のために皇太子サマが、遠路はるばるミュンヘンに来ているんだ」


 いずれにせよ故国カタイは遠い。通り道の権力者の援助が得られるなら、謁見する手間など惜しんではいられないだろう。

 そう判断したアンジェリカはボルドウィンらの勧めに従い、東ローマ帝国皇太子との面会に応じた。


 その日、ミュンヘンにあるネイムス公爵の屋敷にて。

 アンジェリカは驚くべき事実に直面する事になる。


 彼女は立会の席にて知ってしまった。東ローマ皇太子レオ――のちの皇帝レオン4世の姿が、今までの「世界線」と異なる事に。


「はじめまして、アンジェリカ姫。僕はレオ。東ローマ皇帝コンスタンティノスの子です。

 ガヌロン伯爵やネイムス公爵とは常日頃から、懇意にしてもらっています。此度のフランク王国との盟約の件も、前向きに検討する所存です」


(えっ……誰なの、この人……? 全然、違う顔なのに……

 なんでだろう? すごく懐かしい感じがする。どういう事なのよ……?)


 アンジェリカは表向きは平静を装いつつも、内心は混乱していた。

 皇太子レオの顔は――紛れもなく綺織きおり浩介こうすけのものだったが、アンジェリカに宿る「魂」はその事実を知らないのだった。



(幕間・了)

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