7 ブラダマンテら、北イタリアへ
ブラダマンテはふと我に返ると、慌てて馬を下りてマルフィサへ駆け寄った。
「マルフィサ! 大丈夫? 怪我はない?」
マルフィサは放心状態だった。
王女の座に上り詰めてから、サラセンの戦士に身を投じて数年。彼女は圧倒的な力を誇り、敗北した事などなかった。
ブラダマンテの兄リナルドとの対決でも、武器を落とされたにも関わらず戦意を失わず、素手で頭を殴り意識を奪いかけた事もあった。
最強騎士オルランドとの戦いでも一歩も譲らず、彼に冷や汗をかかせた程の武勇と伝わっている。
それが今、馬上の槍勝負とはいえ、叩き落とされてしまったのだ。彼女にとって初めての体験だった。
下手をすれば敗北の恥辱に激昂し、マルフィサの心を騎士から獣へと変貌させるほどの衝撃だったろう。
しかし――心配そうな顔をして近づいてくるブラダマンテには、警戒心の欠片も無い。
すでに一騎打ちは決着がついたと思っているのだろう。マルフィサが怒り狂い、横紙破りをして斬りかかって来るなどとは夢にも思っていないようだ。
そんな彼女の様子を見ていたら、マルフィサの中に沸き立っていた屈辱や敵愾心は、いつの間にか消え去っていた。
正々堂々、全力で一騎打ちをした結果なのだ。そのような邪念を抱く事こそ戦士として恥ずべきであろう。
「心配無用だブラダマンテ。このマルフィサ、これしきで怪我をするほどヤワではない。
素晴らしい槍さばきだった。騎士としても、兄さんの背を預けるに相応しい腕という事なのだな!」
マルフィサは起き上がり、満面の笑みを浮かべてブラダマンテを抱き締めた。
「えっ……ちょっと、マルフィサ――?」
「ああ、気にしないでくれ。あたしなりの親愛の証なんだ。
アストルフォに教わったんだがな。自分でも気に入っている」
メリッサと違い、明らかに性的な嗜好のない、家族にするような抱擁。
故にブラダマンテは微笑ましく思い、受け入れた。
――だがマルフィサは力が強すぎる。以前のロジェロと同様、女騎士は締め上げられてすぐ、悲鳴を上げてしまうのだった。
**********
その後、ブラダマンテが騎士ピナベルを探しに北イタリア・ヴァロンブローザに向かうつもりであると話すと、マルフィサも同行したいと願い出た。
「せっかく兄の想い人と会えたんだ。共に旅をし、親睦を深めたい。
いずれ『義姉さん』と呼ぶ事になるだろうからな!」
屈託ないマルフィサの言葉に、ブラダマンテ――
(うわー、似合わない! クッソ受ける! 黒崎もだけど、わたしだって酷い有様だわ!
はぁ……まったく、黒崎の奴も気が利かないなぁ。どうせならマルフィサと一緒にマルセイユに来ればよかったのに。
マルフィサの話では、アストルフォと一緒に旅をしていたそうだけど――何の為なんだろう?)
この場に黒崎がいたなら。今の自分の妄想も語り合って。
一緒に笑ったり、からかい合ったり。
(なんだろ。寂しいのかな? わたし――
あんな奴でも、いてくれたらホッとするんだ)
魔女の島で喧嘩別れしてから、すでに一週間以上が経つ。しかし不思議と、長い間離れ離れになっているような錯覚に陥った。
他に現実世界での知り合いがいないから? 本当に、それだけなのだろうか。
(うー……分かんないけど、なんかモヤモヤするなぁ……)
「どうした、ブラダマンテ? 浮かない顔をしているが」
気づかぬ内に眉間にしわを寄せていたのだろう。
マルフィサが気遣わしげに顔を覗き込んできたので、慌てて「ちょっと考え事。大丈夫」と取り繕う。
ともあれマルセイユの守りは今まで通り、兄リッチャルデットが引き受ける事となり。ブラダマンテとマルフィサはヴァロンブローザに向け出発したのだった。
**********
数日かけてヴァロンブローザに到着した。ここは著名な修道院があり、キリスト教徒が礼拝によく訪れるという。
「ふむ。ピナベルという騎士か」マルフィサは怪訝そうに声を漏らした。
「ここに来るまでの道中、さんざん聞き込みをしたが……彼を見たという話は聞けなかったな。案外噂通り、すでに死体になっているのではないか?」
「たとえそうだとしても、見つけてガヌロンさんに報告しなくちゃね。
ヴァロンブローザに入ってからの情報が途絶えているって事は、ここで身動きが取れなくなっちゃったのかもしれないもの」
そんな訳で早速、ブラダマンテ達はピナベルに関して聞き込みを行ったが。
奇妙だった。ヴァロンブローザの人々はピナベルの名前を聞くや、すぐにそっぽを向いて「知らない」と答え、そそくさと逃げるように去ってしまうのだ。
「むう――知っている者がいないとは。本当に彼はここに立ち寄ったのか?」
「え。マルフィサ……今の人たちの態度を見たでしょ。
あんなに動揺しながら『知らない』って言うのは、知っていても知らないフリをするか、答えたくないかどっちかよ」
「な、なるほど――そうなのか。ブラダマンテは鋭いな」
(ええー……本気で言ってるのこの
インド王女マルフィサ。戦いにかけては玄人だが、脳筋な騎士らしく人を疑うという発想がないらしい。
ともあれ、住人たちは明らかにピナベルの存在を隠したがっている。恐らくは――向こうから接触してくるはず。
アイの読み通り、早速四人の騎士たちに周りを囲まれていた。
「――あんたらか。ピナベルについて嗅ぎ回っている騎士ってのは」
「ええ、そうよ。知っているなら教えて欲しいわね」
「いいだろう。俺たちに勝てたら教えてやる!
だがその代わり、負けたら身ぐるみ置いていってもらおうか!」
一騎打ちに勝利し、勝った側が負けた側の持ち物を奪ったり、身代金を取ったりするのは騎士の常であるが。
何とも分かりやすい。彼らの物言いは、もはや山賊同然であった。
四人の騎士が一斉に剣を抜くのを見て、ブラダマンテとマルフィサも己の武器を抜き放った。
「四対二だけど、どうするの? まとめてかかってくる?」
ブラダマンテの露骨な挑発に、四人の騎士は冷笑で応えた。
「心配するな。我らとて騎士の端くれ。一人ずつお相手しよう!」
「――あ。そこは最低限、礼儀正しくやってくれるのね」
四人のうち二人がそれぞれ進み出て、ブラダマンテ達に挑みかかってきた。
彼らの身のこなしは素早い。恐らくはかなりの場数を踏んだ手練れなのだろう。
だが次の瞬間――地べたに転がったのは襲ってきた側だった。
『なッ…………!?』
「なかなかの剣筋――と言いたい所だが、物足りないな」
残った二人もいきり立って向かってきたが――実力差は明らかであり、瞬く間に決着がついた。
仲良く這いつくばる四人を見て、マルフィサは「あっ」と声を上げた。
「見覚えのある鎧兜だと思ったら。アクィランにグリフォン。サンソンにグィードじゃないか!」
「え――知り合いなの? マルフィサ」
ブラダマンテが意外そうに尋ねると、マルフィサは平然と答えた。
「ああ。この間まで、アストルフォやロジェロ兄さんと一緒に旅していた仲間だよ」
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