16 アンジェリカを救出せよ!

 ブラダマンテの乗る天馬ペガサスと、ロジェロの乗る幻獣ヒポグリフは、海中に潜む魔物の伸ばした無数の触手をどうにか空中で回避し、難を逃れたが。

 相手はいかなる武器でも傷つかない、硬い外皮を持つ伝説の海魔オルクである。

 怪物に対抗できる唯一の装備、魔法の光を放つ円形楯ラウンドシールドは……たった今触手によって海に叩き落とされてしまった。


「なんてこった! どうすれば……」

 ロジェロ――黒崎くろさき八式やしきはパニックを起こしかけていた。


「他に方法がないなら、落とした楯を拾いに行くしかないわね」

 ブラダマンテ――司藤しどうアイは言った。


「海中に沈んでいたら、どうするんだ?」

「飛び込むしかないわね……」


「それこそ海魔オルクの思うツボだろ!?」

「でも他にどうしろってのよ!」


 アイの苛立った口調に、黒崎は言葉を詰まらせた。

 現状、打開策がないのなら……行動するしかない。このままじっとしていても、怪物の触手に捕まってしまうだけだ。


「ロジェロ。アンジェリカを助けてあげて。

 それまでの時間稼ぎを……わたしがやっておく」

「大丈夫なのか……?」


 不安げに尋ねるロジェロに、ブラダマンテは片目をつむってみせた。


「無茶はしないから。心配しないで」


 苦肉の策のようで、ロジェロは案外悪くない作戦かもしれないと思い始めた。

 海魔オルクは、海神プロテウスの神官によって操られていると仮定するならば。アンジェリカと格闘している隠者を倒す事で、あの恐ろしい怪物を大人しくさせる事ができるかもしれない。


「……わかった。ありがとう、ブラダマンテ。

 オレがあのジジイを何とかするまで……頼んだぜ」


 ロジェロの言葉にブラダマンテは頷き、ペガサスに乗って海上を飛翔した。


**********


 砂浜では、美姫アンジェリカと隠者が激しい格闘を続けていた。

 もっとも二人とも、肉弾戦に長じている訳ではないため――傍目には野良猫同士がじゃれ合っているような、泥臭い戦いであったが。


「いい加減、諦めなさいよ! しつこい男は嫌われるわよッ!」

「くぉの! ワシを誘惑しておきながら! どの口がほざくかァッ!?」


 二人が得意の魔術を打ち合わず、拙い格闘に精を出しているのにも理由がある。

 魔術は集中を要し、魔力を消費する事は激しい運動と同程度の消耗をもたらす。

 強大な魔術であればあるほど、使用のための呪文を詠唱する時間が必要であり、この至近距離では大きな隙を作ってしまうのだ。


(といっても、このまま不毛な戦いを続けていても、埒が明かない……!)


 アンジェリカは焦っていた。ロクに食事も摂れておらず、休息も十分ではない。

 いくら相手が老人とはいえ、体力面も決して優位であるとは言えなかった。


 アンジェリカは意を決し、隠者との格闘に備えるフリをして――口の中で小さく呪文を唱え続けた。

 この術ならば、詠唱を先に完成させておけば、発動時の印は一瞬で済む。相手の不意を打てる筈――


 隠者が一歩踏み込んできた。


(今だッ!)


 アンジェリカは詠唱を終えると、契丹カタイにて父より教わった呪印を結び、隠者の胸めがけて「力」を放った!

 肉弾戦の構えと見せかけた、刹那の術式の発動。

 この至近距離では躱しようがない。


 ところが――隠者はそれを待っていたかのように、大きく身を屈める!

 アンジェリカの放った「力」は、老人のフードをわずかに掠めただけで、虚しく背後を通過してしまった。


「なッ……!?」

「つくづく愚かな娘よのう。魔術の素人ならばいざ知らず……

 ワシのような長年海神に仕えし神官が、その程度の小細工を見抜けぬとでも思うたか?」


 アンジェリカはただでさえ消耗気味だった上、満を持して放った魔術が空振りに終わり、大きく肩で息をしていた。

 動きの鈍った彼女の首を掴み、締め上げ……瞳に狂喜を宿した老人は勝ち誇る。


「がッ……はァ……!」

「くっくっく。どうやら今の一撃が最後の力だったようじゃなァ?

 好都合よ。ワシは貴様だけでなく、上空の幻獣ヒポグリフの騎士も相手せねばならぬでのゥ」


 隠者は抜け目なく空を見上げ、ロジェロの救援を警戒していた。

 捕えた美姫をこれ見よがしに晒す。迂闊に自分に近寄れば、人質の命はない――そう警告するために。


「ぐッ…………!」

 ヒポグリフを駆って、アンジェリカの救出に向かったロジェロだったが、眼前の窮状に二の足を踏んでしまう。


「うむ、それでよい。ムーア人(註:スペインのイスラム教徒)の騎士よ。

 よもや囚われの淑女レディを見捨ててまで、ワシを討とうだなどと考えぬであろう?」


 これまでにないほどの嗜虐的な笑みを浮かべ、隠者は得意げだった。

 このまま膠着状態に持ち込めば、いずれ彼の主・魔女アルシナも参戦してくる。そうなれば形勢は一気に逆転だ。


「あ……なた……私を怪物に……捧げるんじゃ……ないの?」


 息も絶え絶えに、アンジェリカは言葉を紡いだ。


「そう急くな。時間はたっぷりとあるでのゥ……貴様を海に投げ込んでも良いが。

 となれば上空の騎士が即座にワシに向かってくる。無駄な危険を冒す必要はないわい」


 老人の返答に、放浪の美姫は……苦しげではあったが微笑んでみせた。


「あら、そう……ひとつ、間違ってるわ。あなた……

 少なくとも、あなたに時間は……『ない』」

「…………何ィ?」


 アンジェリカの謎の余裕の正体に気づいた時――頭上を巨大な影が覆った。

 刹那の出来事だった。隠者が見上げると、葦毛の馬の姿があった。


「ラビカンッ!!」

「馬鹿なッ――いつの間にィ!?」


 アンジェリカの乗っていた魔法生物――名馬ラビカンである。

 隠者が気づかなかったのも無理はない。ラビカンは10ヤード(約9.1メートル)離れた岩陰から一気に跳躍してきたからだ。


 馬は勇ましく嘶くと砂浜に力強く着地し、逞しい後脚で老人を蹴り飛ばした!


「ぎゃああああッ!?」


 隠者は情けない悲鳴を上げ、海に頭から盛大に着水した。


「ゲホッ、ケホッ……さっき外した術。アレは攻撃用じゃなかったのよね~」

 アンジェリカは咳き込みながらも、ニンマリと笑った。

「あなたを狙ったんじゃなくて――ラビカンをここに呼ぶための術だったのよ」


 海上では、溺れた隠者が懸命にもがいていたが――それも長くは続かなかった。

 彼の背後に巨大な影――海魔オルクが迫っていた。巨大な海蛇を思わせる頭部が浮かび上がり、哀れな老人を一呑みにしてしまった!


「なんだアイツ……神官のクセに化け物に喰われてるじゃねーか……」


 一部始終を見ていたロジェロは、呆れ声で呟いた。

 しかし厄介事が終わった訳ではない。海魔オルクの触手は相変わらず活発に蠢き、天馬ペガサスに乗ったブラダマンテを絶え間なく追跡している。


 しかも更なる危機が迫っている事にロジェロは気づいた。

 疲れ切ってへたり込む美姫アンジェリカの背後に、銀色の仮面を被った醜い老婆の姿が見えたのだ。


(アレはもしかしてッ……魔女アルシナの真の姿かよ!? まずいッ……!)


 今度こそ躊躇ためらっている時間はない。

 ロジェロはヒポグリフを駆り、全速力でアンジェリカの救援に向かった!

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