10 ブラダマンテ、アルシナの罠に嵌まる
ブラダマンテを歓迎する、という名目で開かれた都の宴会も無事終わり。
魔女アルシナはブラダマンテに「今夜、
アルシナの指定した時間まで若干の猶予がある。その間にブラダマンテは来客用の屋敷に案内された。
街の様子を見て歩きたかったが、魅了されているフリをしなければならず、余り目立つような行動は取れない。
やがて屋敷に来客があった。貴婦人風の女性――変身した尼僧メリッサである。
「ブラダマンテ。首尾よく街に入られたようですね」
「メリッサこそ……無事で良かったわ」
再会を喜ぶ抱擁。これは小声で情報交換するためでもあった。
「ロジェロ様は――地下牢に囚われています」
「やっぱり、いたのね?」
「無事と言えば、無事ではありますが……手放しでは喜べません。
飽きられて植物に変えられている訳でもなく、いきなり虜囚扱いというのは――
アルシナの不興を買ったか、あるいは強い警戒心を抱かれているという事です」
メリッサの推測を聞き、ブラダマンテ――
(黒崎はこの物語について、結構詳しかったわね……
そのせいで普通の登場人物であれば知り得ないような、メタ発言で口を滑らせちゃったとか?)
「メリッサ。ロジェロは助け出せそう?」
「ええ。幸いな事に、彼は最初から虜囚ですから……魅了の影響下にはありませんでしたわ。
装備品さえ取り戻せば、一緒に協力してこの都の脱出も可能でしょう。
ただ、地下牢のある地底湖には――伝説の魔物、海魔オルクが潜んでいるとの事ですわ」
「海魔オルク……?」
「海神プロテウスが遣わしたという魔物で、怒りを鎮めるために処女の生贄が必要という、曰くつきの伝説を持っています」
「うわ……ベッタベタねえ。昔読んだ神話にありそうな感じ」
「? そうですわね……」
アイが辟易したのも無理はなかった。海魔オルクの逸話は、まんまギリシャ神話と符合する。
エチオピア王女アンドロメダが、母カシオペアのせいで海神ポセイドンの怒りを買い、海獣ケトスに生贄にされそうになる、という話だ。
かの有名なペルセウスが偶然通りかかり、メデューサの首の魔力を使ってケトスを石に変える事で勝利。ペルセウスとアンドロメダは結ばれめでたしめでたし――と。
「狂えるオルランド」の作者アリオストはこの神話を
ケトス=
もっとも、ロジェロとアンジェリカは結ばれたりはしないのだが。
「ともあれ、ブラダマンテ。
魔女アルシナとその配下だけでも手に余ります。その上、伝説の海魔オルクまでいるとなると――まともに挑んでも勝ち目は薄いですわ。
ヒポグリフの繋がれている
くれぐれも――アルシナにはご用心を。貴女にはアンジェリカの指輪があるとはいえ、相手は危険な魔女です」
「うん……分かったわ、メリッサ」
かくして相談は終わり、二人は再び別れ――そして夜を迎えた。
**********
魔女アルシナの住む居城。
ブラダマンテは彼女の部屋に案内される前に言った。
「アルシナ殿。貴女の収集している素晴らしい宝の山を、一目見てみたい。
このような輝くばかりの都。さぞかし貴重な品々を納めているのでしょう?」
「ふふふ……もちろんです。いいですとも」
アルシナはブラダマンテの申し出を二つ返事で承諾した。
魅了の術に晒されている以上、特に問題はないと踏んだのだろう。
ブラダマンテは、いざロジェロと共に都を脱出する際、奪われているであろう彼の装備品を取り返すため、アルシナの宝物庫の位置をしっかりと記憶しておいた。
目の覚めるような目映い宝物の数々。中には今まで都を訪れた騎士たちの装備品もあり……アストルフォの黄金の槍、ロジェロの愛剣ベリサルダや、光を放つ魔法の
「……満足いたしまして?」
「ええ、とっても」
「でしたら、今宵のお楽しみの時間と参りましょう。
どうぞ、
「…………はい」
アルシナの言葉に従い、ブラダマンテは彼女の寝室へと入った。
兜や剣こそ置いてきているが、女性である事を気取られぬよう、
「そう言えば、まだお名前を伺っておりませんでしたね?」
「……リッチャルデット。クレルモン公エイモンの子です」
ブラダマンテは咄嗟に、自分に顔のそっくりな兄の名前を口にした。
「ほう――あなたが。道理でお美しい顔を」
「アルシナ殿には、遠く及びません」
魔女アルシナは艶めかしく腰を振りながら、艶っぽい笑みを浮かべブラダマンテをじっと見つめた。
時間稼ぎにも限度があるだろう。メリッサが首尾よくロジェロを脱出させている事を祈るしかないが……
(いざとなれば、魔法の指輪を使って脱出できる。大丈夫、なはず――)
そう考えながら、アイは寝所に入り――途端に凄まじい魅了の魔力に晒されるのを感じた。
右の中指に嵌めた金の指輪の熱が増し、指が焼き切れるかと錯覚するほどにまで高まった! 思わず顔が歪む。
次の瞬間、アルシナの輝く顔が間近に迫っていた。
不意を打たれ、唇を重ねられる。
魔女の舌が無遠慮に侵入してくる。丸薬のような何かが、口の中に無理矢理押し込まれる感触があった。
「!?」
「ふふ、ごめんなさいね。どうも魅了の術の効きが悪いようなので、薬を使わせて貰ったわ」
唇を放し、意地の悪い笑みを湛えるアルシナ。粘つく唾液が糸を引いている。
ブラダマンテの思考は、泥の中にでも沈んだかのように重く、鈍くなっていた。
「くッ……何……今、のは……?」
「ン~。キスした感じで分かったわ。あなた――女性ね?」
「なッ…………!」
「聞いた事があるわ。リッチャルデットの妹で、美しくも力強き騎士ブラダマンテの噂を……本当だったのね。
エリフィラを圧倒したと聞いて、にわかには信じられなかったけれど。
……素晴らしいわ! たまには女性を蕩かして、堕落させるのも一興ね」
ブラダマンテとしての正体がバレた。しかも薬を使われ、今まで感じた事のない奇妙な感情が湧き起こってくる。
身体を重ねてくるアルシナから離れようともがいたが、抵抗できない。力づくで振り払おうとするたび、滑らかに愛撫されビクリと身を震わせてしまう。
もはやアイは、たおやかな魔女の細腕から逃れる事すらできなかった。
(し、まったッ……! 口から直接、薬を入れられたんじゃ……指輪の力で中和もできない……)
「心配しなくていいのよ、ブラダマンテ。
美しいモノを快楽の蜜にとっぷりと沈め――醜くさせ、己に絶望させる。
その瞬間が見たいだけなの! 美しさに自信のある者が心から絶望するとき――彼らは何か違うモノになりたいと願う。
ある者は木に。ある者は石に。ある者は野の獣……といった具合にね。
あなたは絶望した時、何に変わるのかしら? とっても楽しみね!」
悪徳の魔女アルシナは、美しい顔に嗜虐の色を濃く浮かべ、ぐったりした女騎士の身体を見下ろしていた。
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