11 ロジェロ、アンジェリカと契約する

 アルシナの都の地下にある牢獄にて。

 ロジェロこと黒崎くろさき八式やしきの囚われている房の隣に、契丹(カタイ)の美姫アンジェリカが放り込まれていた。

 彼女はボロボロの衣服と、ゴワゴワした申し訳程度の毛布を渡され、冷たい地肌の上でようやく目を覚ました。


(……何、ここ……?

 ああ、死にたいと願ったから。地獄にでも辿り着いたのかしら……?)


 アンジェリカは当初、サラセン騎士サクリパンと共に旅していたのだが。そこにフランク騎士リナルド(ブラダマンテの一番上の兄)が現れ……彼女を巡って争い始めた。

 その最中、謎の隠者がアンジェリカの苦難を救おうと甘言を囁き馬をあてがってくれたものの……その馬は彼女の言う事を聞かず、あらぬ方角に走り続け、やがて海に飛び出してしまった。

 気がつけば砂漠の孤島に一人取り残され、放浪の美姫は心の底から絶望した。


『ほんッッとにもうやだ、こんな生活……!

 何なの、このクソみたいな運命!? 私が何したってのよ!

 どーして次から次へと厄介事が私に襲ってくるのよ!?

 あーもー分かったわよ! 死ねばいいんでしょう、死ねば!

 海で溺れ死ねばいいの? 獣に食い殺されるの? もう何だっていいわ!

 死ねば楽になるもの! こんなロクでもない人生も終わってしまえば、きっと清々するでしょうよッ!』


 アンジェリカは半ば自暴自棄になって天に叫び続け、そのまま気を失った。

 そして例の隠者――海神プロテウスの神官に捕まり、アルシナの島に連れて来られてしまったのだ。


(……隣に誰かいるわね。囚人かしら?)


 目覚めた独房の中で状況がさっぱり把握できなかった美姫は、隣で寝ている男囚に向けて大声で呼びかけた。


「ちょっと! 起きてる? っていうか生きてる?

 生きてるなら返事しなさい!」

「…………ん…………?」


「何よ、生きてるんじゃない。

 悪いんだけどさ、私ここに来て間もないから、ここがどこかも分かんないのよ!

 説明しなさい。カタイの王女アンジェリカがそう命じているのよッ!」

「……うるせえ奴だなぁ」


 隣の男囚――ロジェロは素直に感想を述べた。

 ここに捕まるという事は、よっぽどの事をやらかして、手酷い扱いを受けた事は想像に難くない。

 だがその割には、声と元気だけは人一倍あるように感じたからだ。


「うるさいって何よ! 淑女レディに対する礼儀がなってないわよ?

 私のような美女に声をかけられたら、大抵の男は畏まってかしずくのにッ!」


 なおもギャーギャー喚き立てる自称淑女レディに、ロジェロ――黒崎はぼんやりと意識を取り戻した。

 アンジェリカ。「狂えるオルランド」の前日譚「恋するオルランド」から始まる一連の事件のきっかけを作った元凶の美女だ。最強の騎士オルランドが恋焦がれた挙句に狂ってしまい、長い事フランク王国側の戦力にならなかったのは彼女が原因である。


「オレは……ロジェロ。ムーア人(註:スペインのイスラム教徒)騎士だ。

 ここは悪徳の魔女アルシナの都の地下牢。何でもオレ達は、魔女の飼ってる海魔オルクっていう化け物の生贄にされるんだとよ」


「なん……ですってッ……あなたがロジェロ?

 嘘でしょう? なんであなたが捕まってるのよ!?」

「なんでって言われてもなぁ……」


 アンジェリカはひどく狼狽した様子で、ロジェロに食って掛かった。


「そ、そうだわ。指輪は? 私の持っていた金の指輪はどこ?

 あなたが持ってるんじゃあないの!?」

「持ってねえよ。それにオレ、今は囚人だぜ?

 仮に指輪を持っていたとしても、アルシナの奴に取り上げられちまってるだろ」


 ここまで答えて、ロジェロはふと会話の違和感に気づいた。


「ちょっと待て。アンタ……アンジェリカと言ったか?」

「え、ええ」


「おかしいな。オレとアンタは初対面だろう?

 何でオレの事を知ってるような口ぶりなんだ?

 それにオレが指輪を持っていて当然みたいな事言ってるけど、何でアンタがそれを知ってるんだよ?」


 黒崎はこの物語の原典を知っている。

 アンジェリカが海魔オルクの生贄にされそうになる所を、助けに来るロジェロ。

 ロジェロはその時、メリッサより託された魔法の指輪を所持しており、偶然にもアンジェリカの指に嵌めて返却する。

 アンジェリカはこれ幸いとばかりに、助けてくれたロジェロに礼も言わずに指輪の魔力を使い、姿を眩ます――という話の流れだ。


 つまり、「原典を知らなければ」……ロジェロが指輪を持っているなどと知る筈がない。

 ロジェロの指摘を受けて、アンジェリカは驚いた顔をした。


「……あなた、もしかして……この本に『入って来た』人なの?」

「おいおい、マジか。そんな話ができるって事は……まさかアンタも――」


 ロジェロが言いかけた所に、上の階から足音が聞こえてきた。

 途端に二人は空気を読んで押し黙り、何でもない素振りを装った。

 足音の主は先刻も見た、血色の悪い牢番の兵士だ。右手に鍵束を持っている。


「……何の用だ? オレを化け物に食わせるのか?」

「いいえ。助けに来ましたわ――ロジェロ様」


 兵士の声音は、聞き覚えのある清楚な女性のものだった。


「アンタ、もしかして……尼僧メリッサか?」

「はい。ブラダマンテと共に――貴方をお助けに参りました」


「司――いや、ブラダマンテもこっちに来てるのかよ!?」

「ええ。貴方を魔女からお救いするために」


 言ってメリッサは鍵を牢の扉に差し込み、ロジェロの戒めを解いた。


「後は奪われた武具や馬ですわね。それはブラダマンテがアルシナから聞き出し、こちらと合流する手筈ですので」

「待ってくれ、メリッサ。頼みがある。

 隣にいるアンジェリカも、一緒に助け出してやってくれないか?」


 ロジェロの提案に、メリッサは難色を示した。


「しかしロジェロ様、彼女は――アンジェリカは、魔女アルシナと同等かそれ以上に、男を手玉に取る悪女ですのよ?

 あなたが気の迷いを起こしてアンジェリカに迫り、それをブラダマンテに見られでもしたら……!」


 この世の終わりだと言わんばかりの様子で、青ざめた顔をするメリッサ。


「本人いる前で、すごく失礼な人ねあなたって!

 私は誘惑した覚えなんてないわ! 男どもが勝手に言い寄ってくるのよッ!」


 アンジェリカは心外だとばかりに抗議の声を上げた。


(ああ、この人そっちを心配してるのか。

 確かに原典だと、救出したアンジェリカにロマンスを期待してる描写あったっけなぁ)


 原典のロジェロはアンジェリカの裸体を見た瞬間、欲情していた。

 黒崎もアイと同い年の平凡で多感な男子高校生である。もし同じ場面に遭遇したとして、心動かされないという自信はない。

 だが幸いな事に、独房の隣では彼女の姿は直接は見えない。

 アンジェリカからはもっと詳しく情報を聞き出す必要がある。ロジェロは交渉を成立させるため、務めて冷静に振舞おうとして言った。


「心配しなくていい、メリッサ。

 アンジェリカ。ここから出られたとしても、オレたちに余計なちょっかいを出したりしないよな?」

「……ええ、それはもう……お約束します」


 ロジェロとアンジェリカの奇妙な信頼関係に、メリッサは訝しんだものの。

 彼の説得に押され、不承不承納得したようだった。


「メリッサ。アンジェリカは熟練した魔法使いでもある。

 彼女の助力があった方が、魔女アルシナに対抗しやすいんじゃないか?

 ひとつ訊くが――アンジェリカの魔法の指輪は、今はどこにある?」

「それは今、ブラダマンテが持っていますわ」


 アンジェリカに協力してもらう報酬として、牢からの脱出と、彼女の魔法の指輪を返却する契約を結んだ。

 こうしてロジェロ、メリッサ、アンジェリカの三人は奇妙な共闘関係となり――地上の都にいるブラダマンテと合流すべく動いたのだった。

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