11 ブラダマンテ、危機一髪!?
サラセン人ブルネロは、絶望した老魔法使いアトラントの喉元に、ナイフを突き立てようとした。が……
「待てぇぇぇぇッッ!!」
叫びと共に、アトラントに馬乗りになっているブルネロに迫る騎士がいた。
ブルネロはハッとなってその姿を確認し、驚愕した。
「ブ、ブラダマンテだとォ!?
馬鹿な、楯の魔力からもう回復したというのか――」
有り得ないはずの女騎士の突進に、ブルネロは彼女が倒れた方を見やったが……そこにも白い騎士の横たわる姿があった。
「なッ……ブラダマンテが、二人!?」
「その人を放せェッ!」
今突進しているブラダマンテは、
では先ほどまで戦っていたブラダマンテは誰だったのか? 尼僧メリッサが魔法で変装した姿であった。
アイはあらかじめ、ブルネロから指輪を奪うのに失敗した時のために、メリッサを近くに控えさせ、後を尾けさせていたのである。
指輪なしでアトラントと対決する羽目になった時に備え、ブルネロが逃走した後でメリッサはブラダマンテに変身して交代する。本物のアイはアトラント襲来直前にメリッサの隠れていた場所に避難し、敵が油断する隙を伺っていた訳である。
まさかブルネロも同じ事を考え、近くに潜伏していたとは思っていなかったようであるが。
アトラントを殺す気などなかったアイは、ブルネロの凶行を阻もうと無我夢中で飛び出したのだ。
ブラダマンテの剣が一閃する!
「ぎゃああああッッ!! お、オレの腕がァァァァ!?」
女騎士の剣は、ブルネロの右手首を斬り飛ばしていた。
悲鳴を上げてうずくまるサラセン人に、アイもまた呆然としていた。
「えっ――嘘。そんなつもり、じゃ……」
アイが狙っていたのは、ブルネロのナイフを弾き飛ばす事だけであった。
だが、慌ててブルネロが応戦しようとして右腕を振り上げたタイミングが悪く――女騎士としての鋭い斬撃は、ブルネロの腕を切断してしまったのである。
ナイフを強く握り締め、中指に指輪の嵌まった右手が、血を撒き散らして地面に転がった。
いくら歴戦の女騎士の記憶と身体能力を備えているとはいえ……その魂は平凡な女子高生のままなのだ。
血に染まった剣を握り締めたまま、ブラダマンテ――いや
女騎士の動きが止まったのに気づいたブルネロは、右腕の流血と激痛に顔を歪めながらも――恐怖より闘志の方が勝ったのか、それとも怯えるブラダマンテの姿が反撃のチャンスと映ったのか――怒りと憎しみの表情を浮かべ、左手にもう一本のナイフを構えた。
「あぎッいぎッ……いいイイ
この、クソアマが……よくもオレの腕を! ブッ殺してやるゥゥゥゥ!!」
脂汗を滲ませた顔から殺意に満ちた視線を向け、手負いのブルネロは駆け出し、ブラダマンテに飛びかかってきた。
(戦わなくちゃ――剣を構えて、アイツのナイフを払い除けなきゃ――
女騎士ブラダマンテに、なりきらなくちゃ――でないと、殺される!)
アイは頭ではそう考え、立ち向かおうとしたが……身体は震えたまま、言う事を聞かない。
(え――嘘。何で動かないの――? 怖い、やだよ。死にたくないのに――)
ナイフがブラダマンテの顔めがけて迫る。にも関わらずアイは動けない。
こんな所で終わるのか。彼女が諦めかけた時――
「目を閉じよ! ブラダマンテ殿ッ!!」
突如響いたのは老魔法使いアトラントの声だった。反射的に目を閉じるアイ。
次の瞬間――辺り一面に目映い輝きが放たれた。
アトラントが再び、魔法の
怒りで頭に血の昇っていたブルネロは対応が遅れ――彼を守るはずだった指輪も切断された右手にあったため、光の影響をまともに受けてしまった。
「いぎぃああああッッ!? あ、ああアア――」
視力を完全に奪われたブルネロは、地面の岩に足を取られ、転倒し――狭い渓谷の道から足を踏み外して、谷底へと滑り落ちていった。
息詰まる恐怖の連続だった戦闘は、今ようやく終止符が打たれた。
強く目を閉じていた
そこには老魔法使いアトラントが立っていた。
「わたしを――助けてくれたの? アトラント――さん」
「貴様がワシの命を助けてくれたからな。その礼をしたに過ぎぬ」
アトラントの声は穏やかだった。奇妙な事に敵意は感じられない。
先ほどまであれほど――メリッサが化けていた姿だったが――激しく戦い合ったとは思えないほどである。
一方、楯の気絶の魔力からようやく回復したもう一人のブラダマンテ――いや、メリッサが立ち上がった。すでに変身は解けており、元の尼僧の姿に戻っている。
「戦いは――決着したのですね? ブラダマンテ」
「ごめんなさい、メリッサ。あんな危険な目に遭わせてしまって。
わたし、ロクに何もできなくって――!」
緊張が緩んだアイは、泣き出しそうになってメリッサにすがりついた。
そんな彼女を――勇ましき女騎士らしからぬ醜態を見せるブラダマンテを。
メリッサは慈母のごとく優しく受け入れた。
(もしかして、ブラダマンテ――貴女の中にある魂は、私の知るあのお方ではないのですか――?)
メリッサはその直感が、アトラントが戦いをやめた理由にも繋がる事に気づいてしまった。
「――アトラントさん」幾分落ち着いたアイは、口を開いた。
「貴方はロジェロの事を息子と呼んでいたけれど……父親、なんですか?」
「いいや――血の繋がりはない。ただの育ての親だ」アトラントは答えた。
「だが、ワシは息子がキリスト教に改宗し、若くして死ぬ運命にあると知った。
だから世間に出すまいと、ワシの隠れ家であるあの城で、ずっと育てていこうと決心したのだ。
ワシの目論見を破り、ロジェロを連れ去ったのもまた、サラセン人のブルネロであったが」
ロジェロはアトラントの手によって、類稀なる騎士として育てられた。
しかしブルネロは、アフリカ大王アグラマンの命令を受け、ロジェロをサラセン帝国軍の陣営に加えるべく、魔法の指輪と計略を使ってロジェロを誘い出したのである。
もっともこのブルネロの働きがなければ、プロヴァンスの戦場にてブラダマンテと出会う事もなかったのであるが。
「しかしご老人。貴方の言う『死の運命』とは、占星術によるものでしょう?
そんな不確かなモノのために、数多くの人間を攫って自分の城に閉じ込めようとした。許されるような行為ではないと、百も承知のハズですわ」
メリッサが怪訝そうに口を挟むと、アトラントの表情が曇る。
キリスト教であれイスラム教であれ、占いの類は一部の例外を除き、禁じられた邪法であると。
ブルネロが言っていたように、今のメリッサの言うように。当時の宗教的な常識からすれば、アトラントの行いは気が触れたようにしか思えない悪事なのだろう。
しかしアイは――意を決して言った。
「アトラントさん……手塩にかけて育てた息子同然のロジェロを死なせたくないという気持ち、分かります。
でも――貴方のやり方はやっぱりおかしい、と――わたし、思うんです」
アトラントは驚いたような顔をした。自分の行いなど、誰からも理解されないと思っていたのだろう。
「ロジェロを城に閉じ込めて、彼が寂しくないように、大勢の人を攫って――
でもアトラントさん。ロジェロが死ぬ前に、貴方の寿命が早く尽きますよね?
その後の事は考えていたんですか?
もし、貴方の言う試みが上手く行ったとしても、貴方にずっと飼い殺しにされていては。
貴方がいなくなった後、ロジェロは途方に暮れるだけなんじゃ?」
アイの指摘に、アトラントは言葉を詰まらせた。
「親は子が弱いうちは、庇護する義務があるとは思います。でも――
独り立ちできるように育てる義務もまたあると、わたし思うんです。
何よりアトラントさん。貴方の考えはロジェロの望みを汲んだものなんですか?
貴方おひとりの、勝手な考えじゃあないんでしょうか?」
「そうかもしれぬ。しかしワシは、ロジェロを失いたくない――」
「その思いは、わたしも一緒です。アトラントさん」
アイは――女騎士ブラダマンテの気持ちを重ね合わせて、力強く言った。
自分ももし、ロジェロが
「このブラダマンテも。クレルモン公爵家に誓って。我が神とキリストに誓って。
ロジェロを死の運命から救うため、災いを跳ね除ける事に全力を尽くします。
だからどうか――ロジェロが何を望んでいるのか、今一度尋ねてあげて下さい。
もし彼が城を出る事を望むなら、わたしと共に、手を携える事を――どうか、お認め下さい」
ブラダマンテは
ここまでされるとは思っていなかったのだろう。アトラントはおろか、隣にいたメリッサですら驚いている。
「――不思議なものだな。今の貴様からは噂に聞いたような、勇ましき女騎士の魂をまるで感じぬ」
その言葉を聞き、アイはドキリとした。自分の正体が――見抜かれている?
(無理もないか。さっきあれだけ、情けない姿を見せちゃったものね――)
「にも関わらず――その言葉には嘘を感じぬ。心から信じて言っておると分かる。
――よかろう、異教の女騎士よ。そなたの真摯な言葉に免じ――息子ロジェロに会わせよう」
アトラントの返事は優しげだった。今度はアイが驚いた顔をする番だった。
彼は空飛ぶ馬ヒポグリフに再び跨り、山頂の城に通じる抜け道を案内しようと言い、二人に自分の後を尾いてくるようにと促したのだった。
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