9 ブラダマンテvs大泥棒ブルネロ
洞穴の礼拝堂における、尼僧メリッサの長い長い話が終わった後。
彼女は申し訳程度に次のように付け加えた。
「ロジェロ様をお救いするためには、カレナ山の魔法使いアトラントを成敗しなければなりませんわ。
彼は空飛ぶ馬ヒポグリフに、無数の武器を出現させる呪文書。そして目映い光を放つ
特に彼の持つ楯が凶悪でして、今まで挑んだ騎士は皆これで負けています。
楯の光を浴びれば、運が良くて目が眩み、最悪意識を失ってしまうでしょう」
「直に会った事でもあるの? 見てきたように詳しいわねメリッサ……」
「私、預言者ですから!」
アイは呆れ声で言ったつもりだったが、メリッサは褒められたと脳内変換したのか胸を張って誇らしげであった。
「これらの凶悪な魔法の武器を操るアトラントに無策で挑めば、さしもの貴女でも捕われの身となってしまうでしょう。
ですが大丈夫! 幸いにして今ボルドーの町に、彼の魔法を無力化できる指輪の持ち主がいるのです。
その醜い小男の名は、サラセン人のブルネロ。異教徒にして泥棒という、慈悲の欠片も必要のない大悪党です!
彼に接触し、隙を見て指輪を奪っちゃいましょう! その時ブッ殺しちゃっても構いませんッ!」
「……えぇえ……」
目を輝かせながら、かなりエグイ提案を平然と勧めてくるメリッサ。
自分の言い分に寸分の狂いもなく、女騎士ブラダマンテが100%助言を受け入れてくれると信じて疑っていない目だ。
「いいですわね? ブラダマンテ」
「……は、はい……」
断ると後が怖い気がしたので、アイは仕方なく頷いた。
するとメリッサは、スッとさり気なく彼女の傍に近づき……ぎゅっと抱擁した。
「しばしのお別れとなりますが、ブラダマンテ。私はいつでも貴女の味方ですわ。
気をつけて行ってらっしゃいませ。くんかくんか。すーはー」
(ちょっ……この人、わたしの匂い執拗に嗅いでるゥ!?
やっぱり変態だァァァァ!?)
アイは泣きたくなったが……下田の必死の説得もあり、どうにか我慢した。
メリッサは十分堪能したと言わんばかりに満足げな表情を浮かべて……その場を去ろうとした。が――
「あ、そうだメリッサ。ひとつ頼みがあるんだけど――」
**********
ブラダマンテこと
ボルドーはフランス南西部に位置する港町だ。町の中央をガロンヌ川が横切り、大西洋に通じるビスケー湾に注いでいる。
ワインの王様として有名な「ボルドーワイン」は、この地の水はけが良い砂利を利用して作られた。要するにブドウの栽培に絶好の条件が整っていたのだ。
ボルドーワインに厳格な格付けが行われるのは19世紀、大きく発展するきっかけになったイングランド輸出の拡大は12世紀の出来事のため、この当時の生産はまだまだ小規模ではあった。
しかしワイン醸造の歴史自体は古く、なんと1世紀頃の古代ローマ時代にすでにスペインのブドウが持ち込まれ、当時から名産地の呼び声が高かった。
何しろ大プリニウスの「博物誌」やポンペイ遺跡の壁画にさえ、ボルドーワインについて記述があるくらいである。
『アイ君。せっかくボルドーに来たのだし、ワインをたしなんではどうかね?
もうしばらくすると、この地もサラセン帝国軍の手に落ちる。平和に過ごせるのは今のうちだけだぞ?』
気遣っているつもりなのか、下田教授はそんな呑気な提案をしていたが。
ロジェロこと
「興味がなくもないんだけど……今はブルネロって奴を探さないと」
果たしてメリッサの言う通りの髭面の小男が、宿屋にいるのを見つけた。恐らく彼がブルネロだろう。
ブラダマンテは最初は彼に無関心を装いつつ、宿の主人にチップを握らせ、情報を聞き出す事にした。
「最近、この界隈を空飛ぶ馬に乗って荒らし回る魔法使いがいるという噂を聞いたのだが――」
近くのテーブルにいるブルネロにも、わざと聞こえるように話す。
案の定、彼も興味を示し、宿の主人との会話に割り込んできた。
「へえ……旦那も魔法使いを追ってここに来たのですかい?
実はあっしもなんですよ。ひょっとしたら、及ばずながらもお手伝いできるかもしれやせんね」
揉み手をしながら近づいてくる髭面の小男。
絵面的には怪しい事この上ないのだが、アイはおくびにも出さず、話に乗るフリをした。
「確かに、道中の案内役がいれば心強いな。
わたしはブラダマンテ。宜しく頼む」
自己紹介しつつ、宿屋の主人に頼んでワインを持ってこさせ、彼の座るテーブルに置いた。
「へっへっへ。賢い旦那はさすが、話が早い。あっしはブルネロと言います。
こちらこそ、宜しくお願い致しますよ。
いやぁしかし、噂に違わぬ美味らしいですなぁボルドーのワインは!
本当にご馳走になっていいんですかい?」
ボルドー産のワインは複数のブドウをブレンドさせる事で、その質を高めているのが特長だ。
「構わない――道案内の礼の、前金代わりだと思って欲しい」
アイは務めて平静を装い――落ち着いた声音でワインを薦めた。
現在のボルドーワインも渋味が強く濃い。味の洗練が未成熟な8世紀フランスでは尚更である。
アイも試しに飲んではみたものの、余り好みの味ではなかった。
それでもブルネロは、さも美味そうにガブ飲みしていたが。
(あれっ。確かイスラム教徒って、お酒飲んじゃ駄目なんじゃ――?)
アイはふとそんな事を思い出したが、宗派によって嗜む程度は認めている場合もあるようだ。
そもそも敵地であるフランク王国の土地に侵入しておいて酒が飲めません、ではスパイ活動もロクにできない。その辺は融通が利くのだろう。
ブルネロはやぶにらみの目を細め、ニタリと笑みを浮かべて――ブラダマンテの旅路に同行する事を承諾したのだった。
**********
ブラダマンテは、サラセン人の小男ブルネロを先頭に立たせ、道案内をさせつつ馬を進めた。
そして彼の右の中指に、一際目立つ金色の指輪が嵌まっているのに気づいた。
(あれがメリッサの言っていた、魔法の指輪……
確か元々は放浪の美姫アンジェリカって人の持ち物で、いかなる魔術も打ち消す事ができる上に、口の中に含めば姿が消せる力があるんだっけね)
ブルネロの余裕ぶりにも合点がいく。そんな強力な指輪があるなら、魔法使いのいかなる魔術とて恐れるに足りないだろう。
やがて険しい山道を抜けると、山頂に巨大な真鍮製の城がそびえ立っているのが見えた。
確かにあの場所と地上を行き来するためには、空飛ぶ馬でも所持していなくてはどうにもならない。
「この辺まで来れば、魔法使いもこっちを見つけやすくなるでしょう。
彼と戦うというのなら、旦那。角笛でも吹いて、こちらの来訪を報せてやってはどうですかい――」
ブルネロは相変わらずこちらに背を向けている。
今が好機と判断したブラダマンテは彼から指輪を奪おうと、こっそり裏から飛びかかろうとした。
「――ねえ? クレルモン家の公爵令嬢、ブラダマンテさん?」
「!?」
明かしていなかったはずの素性を語られ、目を見開くブラダマンテ。
彼女の一瞬の戸惑いの隙を突いて、彼は素早く指に嵌めていた魔法の指輪を口に含み、その姿を消してしまった!
「しまったッ……!」
「あっしの姿が消えたのに、大して驚きませんね、ブラダマンテさん。
どうやらあっしの持つ指輪についても、よーくご存知の様子で。
こうなると迂闊に近づけませんね。貴女の始末は、件の魔法使いにやってもらいましょうか」
そう言うや否や、姿を消したままのブルネロは、角笛を盛大に吹き鳴らした!
カレナ山に住む魔法使いアトラントを呼び寄せ、ブラダマンテにけしかけようというのだろう。
「くっ……卑怯者ォッ!」
叫んではみたものの、彼女も背後から不意打ちを仕掛けようとした身。おあいこだろう。
ブラダマンテは周囲を捜索したものの、姿を消したブルネロはさっさとその場を離れてしまったようだ。すでに気配すら感じない。
かくして
原典通りであれば入手できたはずの魔法の指輪なしで、空飛ぶ馬ヒポグリフに乗った魔法使いと対決せねばならなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます