26の物語
ささなみ
Airplane
「
腹の底に響くような、担任のヨッシーこと内藤
なぜ関係のない自分が怒られているのだろう。歩は不機嫌な足音で吹き抜けの螺旋階段を上りながら考えた。進路希望調査票なんて、決まってないなら適当に書いて出せばいいものを。
歩も迷った結果、家から近い順にそこそこ名の知れた大学の経済学部を並べて提出した。最初からそうしていれば、今頃家でのんびり動画サイトでも見ていられたのに。ヨッシーに理不尽な命令をされて佐々木を呼びに寒い階段を昇ることもなかったのに。
佐々木
つまり歩は佐々木祐実とはほとんど仲良くないのだが、彼女の居場所には心当たりがあった。歩でなくとも、おそらく大抵のクラスメートは知っているだろう。授業を抜け出したときや放課後、何をしているかは知らないが、決まって彼女は屋上に続く吹き抜けの螺旋階段のてっぺんにいるのだ。
やっと着いた。
歩は大きなため息とともに最後の一段を上りきった。案の定、佐々木はそこにいた。階段の床に這いつくばって、綺麗に縦半分に折り目のついた進路希望調査票の角を、これまた丁寧に直角二等辺三角形に折っているところだった。
「……何してんの?」
「ん? 紙飛行機」
歩の問いかけに、佐々木は顔も上げずに答える。長い髪の毛先を階段の床に引きずってしまっている。吹き抜けなので床の上は土埃がすごいのだが、気にならないのだろうか。
「かみひこうき」
彼女の言葉を反芻した。ぼんやりとした自分の声が耳に届いてから、その返答がえらく阿呆みたいに聞こえることに気付いて咳払いをした。
「ヨッシーが探しとったで。はよ進路調査の紙出しや」
「無理」
「今職員室にい……はぁ?」
秒速で返されたにべもない答えに、声が裏返った。
「無理」
佐々木は歩の大きな声に一瞬顔を上げたが、変わらず愛想のない声で繰り返すだけだ。
「いや、何がやねん。はよ出してくれな俺がヨッシーに怒られるねんけど」
不遜すぎる態度に軽く苛立ちながら催促する。高校生にもなって失礼な奴。礼儀やコミュニケーション以前の問題だ。
「私日本の大学行かへんもん」
「はぁ」
また阿呆みたいな声が出たが、何だか咳払いする体力がもったいなく思えてやめた。
「ニューヨーク行く。もう弟子入りする人も決めてるし」
あー、夢見ちゃってるタイプですか。いよいよ阿呆らしくなって、歩は天を仰いだ。
「何するん?」
「佐竹には言わへん」
義理で投げた質問すら拒絶で返ってきた。いや別に興味もないですけど、と口の中でもごもご言い訳する。俺は佐々木が進路希望調査票をヨッシーに提出してさえくれれば、あとのことはどうでもいいのに。
「とにかく何でもいいから調査票書いたらいいやん。別に大阪の大学でもいいんちゃうん」
投げやりに言うと、佐々木が初めて真っ直ぐこちらを向いた。歩に負けず劣らず不機嫌そうな顔をしている。
「佐竹は何かやりたいことあって大阪以外に住んだことあんの? そもそもやりたいことあんの?」
「ないけど」
「ないのに言わんといてもらえます?」
突き放すような物言いと視線に、歩は何も言えなくなって俯いた。なぜ関係のない俺が睨まれているのだろう。
「だいたい一回ちゃんと書いて出したのに真面目に書けって返してきたのヨシオやし、真面目に書いたのに返されたから書かへんって言ってきて」
先ほどまでの短い返答が嘘のように、佐々木は怒りを抑えた声でまくし立てる。
「ごめんて。そんな睨まんといて」
歩は佐々木の手負いの虎のような鋭い目に耐えきれず、目を逸らして両手を挙げた。頼むから二人ともお互い自分で伝えてくれ、俺を伝書鳩扱いしないで。
「ヨッシーにも怒られて、佐々木にも睨まれる。何もしてへんのに間に立つ俺の気持ちにもなってよ」
歩の訴えは、彼女を少し冷静にさせたようだった。そりゃそうやな、と呟いて黙り込む。
「分かった。じゃあヨシオには言わんでいいよ、ごめん」
短く謝った佐々木は、再び俯いて紙飛行機作りに戻った。裏返された進路希望調査票は機首を大きく折り込まれ、佐々木はその角をもう一度直角二等辺三角形に折ろうとしている。__なるほど、へそ飛行機を折るんだな。
「ちょっとそれ貸して」
「やだ」
すげなく即答される。デジャヴだ。
「もっとよく飛ぶ折り方したるから」
佐々木は食い下がる歩をちらりと見る。よほど歩が物欲しそうな顔をしていたに違いない。彼女は渋々といった様子で折りかけの紙飛行機を差し出した。歩に紙飛行機を手渡すなり、床に寝転がる。
「あーあ、ヨシオなんかクビになればいいのに」
白いブラウスの背中に砂の痕がつくのも気にとめていないようだ。仰向けに空を見上げて、あっ飛行機雲、と小さく声を上げる。
「そらにー、あこがれてー」
そのまま空を指差して歌い出した。機嫌は良くなったのだろうか、表情があまり変わらないので読みにくい。その指差すほうを見ると、なるほど薄く靄のかかった水色の空に、はっきりと白い筋が真っ直ぐに走っている。
「ほんま周りに流されず自由なタイプやな」
紙飛行機の先端部を折り込みながら、少し嫌味っぽく言ってみる。
「佐竹は自分と周りの指示が正反対のときは周りに従うタイプやんな」
歩の嫌味などどこ吹く風で歌い続けるかと思ったが、明らかに嫌味っぽい口調で反撃がきた。びっくりして佐々木の顔を見るが、相変わらずポーカーフェイスだ。
「私は周りの指示に従ってリスクを避けるより、衝突するかもって分かってても自分が思うままに進むわ。飛行機に乗るより鳥になりたい」
「鳥やと飛行機にぶつかったら死ぬやん。弱いやん」
両翼の端を九十度に折りながらツッコミを入れる。睨まれた。
「その弱い鳥とぶつかって墜ちる飛行機もあるねんで」
えいっ、と上体を起こした佐々木が、歩の手元を覗き込む。
「へぇ、そんな折り方あんの? 詳しい」
嫌味ったらしい口調から一転、純粋な驚きと賞賛が彼女の口から述べられる。
「ギネス記録保持してる紙飛行機の折り方やで」
褒められて悪い気はしない。自慢げに説明しながら翼の角度を調整し、佐々木に返す。
「紙飛行機好きなん?」
佐々木は手渡された紙飛行機をあらゆる角度から観察しながら問いかけてくる。
「まぁ」
他人に話したことはないが、動画で飛ばし方や折り方を研究して試してみたり、月に数回は大きい公園まで足を伸ばして飛ばす程度には好きだった。
「何や、やりたいことあるんやん」
佐々木が満足そうに笑った。至近距離で繰り出された不意打ちの笑顔が見慣れず、ギュッと目をつぶって瞬きをする。
「やりたいっていうか、好きなだけやで」
歩はなぜだか急に決まりが悪くなって、もごもごと口ごもった。
「十分やん」
口ごもる歩とは対照的に、佐々木は歯を見せて屈託無く笑う。その生き生きと輝く瞳に、こいつってこんなんだったっけ?と歩は一人で首をひねった。
「うちらにはまだ可能性あんねん。全然そんな感じせんけど、先生(あの人)らに比べたら、まだ」
「そういうもん?」
「さあねー、人それぞれ」
佐々木は勢いをつけて立ち上がった。すっかり晴れ晴れとした顔をしている。
「一回やってみたかったねんな。進路希望調査票、紙飛行機にして飛ばすやつ」
「夢をかいたー、テストのうらー」
何となく雰囲気に流されて口ずさんだ。途端に佐々木の白けた視線が飛んでくる。
「古くない?」
「は?自分さっきもっと古い歌歌っとったやん」
気恥ずかしさから慌てふためいて反論する歩に、佐々木は口を開けてあははと笑った。笑い声を初めて聞いた。
「まあ見てて。いつか虹を架けたるよ、みんなに見せたろ」
佐々木の手を離れた紙飛行機は、すいっと上昇したあと、緩やかに下降に転じた。彼女は目を凝らし、その軽い機体に眺め入っていた。
きっとこの子は、一見笑い方を知らないように見えて、その実誰よりも笑い方を忘れることはないのだろうな。歩は柄にもなくセンチメンタルな気分になっていた。やりたいことというのが何にしろ、飛行機に乗り、海を越え、彼女はそれに真っ直ぐに向かって行くのだ。
燃え盛る炎のような情熱を宿して、彼女はその目に何を映して行くのだろう。歩は目を細めて、隣のマンションの向こうに消えていく白い機体を見つめた。
佐々木とはそのあとすぐ、じゃあ、と短く味気ない挨拶を交わして別れた。明日からも変わらず、特に口もきかない関係のままだろう。
その晩、夢を見た。歩が紙飛行機のギネス記録を更新して、ニューヨークのステージでパフォーマンスをしている夢だ。白い大きな紙飛行機がステージの青い風船を割り、色とりどりの小さな紙飛行機が客席にまう。客席の最後尾には満足そうに笑う佐々木が座っていて、舞台の上の紙飛行機を眺めている。
ヨッシーへの報告をすっかり忘れていたことは、翌朝廊下で仁王立ちしている彼に出くわすまで、思い出しもしなかったのだった。
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