バレンタイン・ナイト(猫短8)
NEO
バレンタインの夜
ポーン
『ただ今、当機はオホタイサン国際空港へ最終着陸態勢に入りました。現地の気温はマイナス三度、天候は雪との情報が入っております……』
ビジネスクラスの座席の窓から外を眺めながら、猫は物思いに耽っていた。
……まさか、この日にここで「仕事」とはな。まあ、手間が省けていいか。
いや、今日だけは平穏に過ごしたかったか。
フン、この俺がか? 笑っちまうな。
飛行機が大きく左旋回し、窓の外の景色が大きく動いた。
窓際好きではあったが、実は高所恐怖症の猫だった。地上が間近に見えるここでの旋回は、あまり気分のいいものでははない。
……とにかく「仕事」だ。あとの事は、あとで考えばいい。
三十分後、猫を乗せた飛行機は定刻より四十五分遅れで、目的地の空港に着陸したのだった。
「……」
空港から一時間後、猫は杖の先端を「ある物」に向け、雪の降る中、雑居ビルの屋上に伏せっていた。
杖の先には、高級ホテルのスィートで女たちを集め、大騒ぎしているバカの姿があった。
……ターゲット確認。ドン・カルロ。
写真なんて一回見れば覚える。この辺りを仕切る組織の大ボスだ。
そう、これが猫の『仕事』である。今回の依頼は、このバカの『抹消』だ。
普段は自分のビルから出ようとしないが、「今日」である事が幸いした。
というか、それしかチャンスがないので、あえて指定されたのだが……。
「全く、嫌になっちまうな……」
猫にバカの馬鹿騒ぎなど、いつまでも覗いている趣味はなかった。
杖を構え直して照準を合わせると、猫は杖に描かれた魔法文字の一部を右手の指でなぞった。
魔法に付き物の発光は一切なかった。
一本の『矢』が放たれ、条件次第では八百メートル近い射程を誇るそれは、ホテルの強化窓ガラスを容易く撃ち抜き……「仕事」は完了した。
急ぎ撤収しようとした時、猫の体を焼け付くような痛みが襲った。
「チッ!!」
コンクリートの上を転がり、エアコンの大形室外機の裏に隠れた瞬間、ホテルの屋上でチラッとだけ動く影が見えた。
「用心棒を配置してやがったか。俺に気取られないとは、大したもんだ」
瞬間、室外機が爆発して吹き飛んだ。
猫の脳裏にはざらつくような感覚。攻撃魔法でロックされた時の感覚だ。
「フン!!」
防御も回避も間に合わない。
猫は再び杖をなぞった。
ホテル側の屋上で小爆発が起きると同時に、ホテルから飛んで来た光の矢が、容赦なく
猫を打ち据えた。
「くっ……いい腕だな」
狙撃手同士の戦いは、最初に姿を見つけた方が勝つ。単純明快だ。
猫はレーダーに相当する魔法を放ったが、全く反応はない。
当たり前だ。対策はしているだろう。
「さて、どうしたものか……」
再びあの感覚。これを使うしかない。
猫は神経を研ぎ澄ませて「発生源」を探った……いた。
猫が呪文を詠唱しない理由はこれだった。どうしても隙が生じるのだ。
相手が光の矢を放つのと、猫が見えない矢を放つのは同時だった。
「うぐっ……これ以上はさすがにヤバい。当たってろよ」
その場に跪きながら猫は魔法で探り、何とか敵を倒した事を確認したのだった。
猫はボロボロだった。
歩くのさえ困難という状況だったが、今日は約束があった。
「クソッ、今日だけはすっぽかすわけには、いかんのにな。なんて様だ」
約束の場所は、雑居ビルから徒歩で三十分ほどの距離にある広場だったが、まるで永遠のような距離だった。
杖を頼りに歩く二本の足に最後の力を込め、猫が広場に着くと、すぐに約束相手は見つかった。
「……ホテル取ってる。手当するから行こう」
それは、赤髪をショートにした、快活そうな人間の女性だった。
女性は猫をそっと抱きかかえると、広場近くのホテルに入った。
「あーあ、相当やられたね。私の回復魔法だと、時間掛かるよ」
女性は小声で呪文をつぶやき、光りが点った両腕を猫にかざした。
「……何も聞かんのだな」
ベッドに横になり、治療を受けながら猫は女性に聞いた。
「あなたの仕事については、何も聞かない。最初の約束。まあ、私だって馬鹿じゃないから、まともじゃない事くらいは分かっているけどね」
「……」
大したものだと、改めて猫は思った。
「それにしても、酷くない? 人を雪の中散々待たせておいて、なにも今日に限って、ボロボロで現れなくたっていいじゃない」
「いや、それは……。すまん」
プリプリ怒る女性には、さすがの猫も勝てないようだ。
「まあ、いいわ。生きて来たからよし。よし、これで動けるくらいにはなったでしょ。あとは自力で治しな!!」
「お、おう……」
猫はベッドから起き上がり、そっと床に降りた。
「さて、改めて、今日は何の日だ?」
女性が、意地悪く笑みを浮かべた。
「……言わせるのか?」
心底嫌そうに猫が聞き返した。
「当たり前。一時間も待たされたんだから、お仕置きじゃ」
「チッ……バレンタインデーだろ。二度と言わせるな」
ふて腐れたように猫は言った。
「はい、正解。半分だけね」
「ん、まだなんかあったか?」
猫は必死に頭を巡らせたが、答えは出てこなかった。
「あーあ、これだから。あんたの誕生日でしょ。どれだけ欲深なんだか」
呆れて女性は首を横に振った。
「ほぅ、そうだったか……」
特に必要のない事は覚えない。それが、猫の行動哲学だった。
「ほぅ……じゃないわよ。全く。はい、毎年だけど猫缶ね。あなたチョコはダメだから」
「うむ、ありがたく頂こう」
差し出された高級猫缶二つを受け取り、猫は普段は見せない笑みを浮かべた。
「全く、いつもそうしてりゃ可愛げがあるのにねぇ。私も変な女だわ。こんなの好きになるなんて……」
女性はベッドにダイブした。
「こんなのとは失敬だが、変なのは合っている。普通、猫を好きになる女は……いや、いるが、意味合いが違うな」
高級猫缶のプルトップがどうしても開けられず、思案に暮れながら猫は言った。
「なにぉ!! って、まあ、こういうやり取りが楽しいんだけどね」
「やはり変な女だ。そして、これを開けてくれ」
「自分で開けなさい!! ルームサービス頼んであるから、プチ・パーティやろ!!」
女性はベッドから飛び降りた。
「うむ、いい考えだ。そして、これを開けてくれ」
「くどい!!」
こうして、猫と人間の不思議な二人の夜は、穏やかに過ぎていくのだった。
バレンタイン・ナイト(猫短8) NEO @NEO
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