処刑刀


「おい大丈夫か。マジでお前はわけわかんねえな。【魔】を殴り飛ばすやつなんて初めて見たぞ」


 デブに助け起こされた。


「しかたねえだろ。剣じゃ効かねえんだから」

「だから殴るって? お前は頭が筋肉なのか?」


 心底呆れたように言われた。デブてめえ……。

 しかし、手ごたえはあった。竜をぶん殴った時は一発KOだった。

 期待を持って目を向ける。

 しかし、山羊頭は平然と起き上がっていた。足がふらつくでもなく、ダメージが通っている様子もなかった。


「【魔】が空中を跳んで行ったのですが、貴方は無事ですか?」

「余裕」


 隣にやってきたエリーゼに答える。服の端々が汚れてはいたが、怪我を負った様子はなかった。

 ノッポもまたやってきて、再び四人で山羊頭と対峙している。


「物理無効とかラスボスかてめえは」


 思わず愚痴も出る。

 おれと相性の悪い敵の見本のようだった。おれは基本的に、馬鹿力で殴る斬る叩くという攻撃しかできない。つまり物理特化だ。魔法なんて使えるわけもない。


 そしてあいつの攻撃も、おそらくおれには効かない。ただ、意味もなくめっちゃ怖い思いをするだけだ。

 なんだこれ、終わりのない戦いの始まりですか?


「高位の【魔】ではありますが、どうやら完全体というわけでもないようです」


エリーゼが言った。


「あの山羊型の頭蓋骨の中にコアがあることは間違いありません。頭だけは庇う動作をしています」

「つまり?」

「頭を破壊するか、首を落とせば存在が崩壊するということです」

「でも攻撃が通用しないよな」


 エリーゼとデブがおれを見た。


「それが問題です。ここには高位の魔術師も、聖印の刻まれた武器も存在しません。祝福もなしに、己の魔力だけで戦うには、少し荷が勝ちすぎますね」

「俺らがここに残ってあいつの足止めをするから、アンタらは助けでも何でも呼びに行ってくんねーか」


 デブが気だるげに言った。


「セオリーとしてはそうしたいところですが、助けが来る前にこの街が無くなっているでしょう。それに、できる事はまだあります」

「さすがは騎士エリーゼ。こんなバカみたいな奴相手に、できることがあるって?」


 デブの問いかけには何も言わず、エリーゼは前に足を進めた。

 手に持った魔力剣がぐっと細くなり、まるで刺突剣のようになった。剣身の周りで、ばちばちと火花が弾けている。


「魔力を圧縮するのです。密度を増した魔力剣ならば、斬ることもできるでしょう」


 エリーゼの言葉を聞き、おれの横でデブが笑った。


「簡単に言ってくれるぜ、おい。さあやろうと言ってできるもんでもないだろ。第一、そんなに負荷をかけちゃ、剣の魔結晶がもたねえよ」


 そしてデブが歩いていく。その後ろを、何も言わずにノッポが付いていく。

 ぶつくさ言っていたというのに、二人の魔力剣もまた、細く圧縮されていた。

 山羊頭はすでに体勢を整え、大鎌を大上段に構えている。


 三人はまるでちょっとそこのコンビニ行くかのように歩いて行く。

 その後ろ姿には緊張もなく、恐怖も見て取れなかった。この世界で戦いに身を置く人間と、おれの覚悟の違いを見せつけられているようだった。


 いくらチートを手に入れようと、体が頑丈になろうと、おれの心はまだ平和ボケしていたあの頃のままなのだ。

 理性も感情もない魔物を相手にするのとは違う。わけのわからない恐怖をまとった、想像の中だけの存在だった悪魔を相手に戦うには、おれの心は未熟にすぎた。


 おれは自分の腰に手を当てた。1本だけ残った鉄の剣がある。

 殴ったところで山羊頭は吹き飛ぶだけだし、剣は折れるだけだ。

 自分が無力に思えた。自分に何ができるのだろうか。山羊頭の動きを止めることぐらいはできるだろうか。


 プロに任せておけばいいんじゃないか。

 そんな声が聞こえた気がした。


 そもそも俺のような素人が出る幕は無い。騎士とか言う存在が、わけのわからない武器を持って目の前にいるんだ。

 わざわざおれが挑まなくても、本職の人間に任せておけば良い。


 山羊頭を見る。

 骸骨の山羊の眼窩は暗く落ち窪み、赤い炎がゆらゆらと燃えている。

 黒く汚れきった襤褸切れは、山羊頭の全身を覆い隠し、風もないのに揺らめいていた。布から突き出された骸骨の両腕は錆びた大鎌を振り上げ、幻想の中に生きる死神かのようにこちらを睨んでいる。


 これが現実のものと思えなかった。

 しかし、骸骨の向こう側で、大司教がニヤニヤとこちらを見下している。


 ――アレクシアの泣き顔が、思い出された。

 あいつのせいで、アレクシアは泣いていたのだ。


 わけのわからない力を望み、多くの人を犠牲にして、そしてその力をみせびらかして満足げに笑っている。

 リズはおれにお願いをした。あの子を助けてほしい、と。


 だったら、おれの戦う理由は、それで十分じゃないか?

 それどころか、おれが、おれこそが戦うべき理由を持っている。騎士なんぞに任せていられるわけがない。


 それに。

 圧倒的な力を持っているからと、ドヤ顔浮かべて他人を踏みにじろうとする大司教の顔が、心底、気に食わない。


 力を持っている。だからどうした?

 攻撃が通用しない。それがどうした?

 わけのわからない力なら、俺も持っている。


 俺は足を踏み出した。

 一歩を踏み出す事に、余計な感情が押し流されていく。

 くだらない恐怖や、悩みが、抜け落ちていく。

 腰を落とす。つま先を地面に食い込ませ、踏ん張る。

 そして力を一気に解放すれば。景色は高速で流れ飛ぶ。

 前にいた三人の頭上を追い越し、一瞬で山羊頭のところにたどり着く。

 

 山羊頭の顔を、思い切り殴り飛ばした。山羊頭の体が大司教の方向へぶっ飛んだ。大司教の顔が引きつり、青ざめるところまで、はっきりと見えた。


 手ごたえは十分にあったのだが、やはり山羊頭はピンピンとしている。追い打ちをかけたが、山羊頭はすでに大鎌を振り上げていた。

 振り下ろされた大鎌の刃がおれの左肩に当たったが、傷ひとつ入らない。痛みもない。山羊頭の攻撃もまた、おれには通用しないのだ。


 ただ、その衝撃は別だった。

 山羊頭の馬鹿力の勢いそのままに、おれは吹き飛ばされて、大聖堂の壁面に飾られた石像の群れに突っ込んだ。

 背中から突き抜ける衝撃に、肺の空気が押し出されて、一瞬呼吸困難に陥った。

 砕かれた石像の欠片が、がらがらとおれの周りに落ちて山となる。


 くっそ、武器はないのか武器は!

 素手じゃ攻撃通らねえよ!


 ――と、俺がぶつかった衝撃で落ちてきたんだろう。石像たちが手に持っていた装飾品や、壁にかけられていた燭台に混じって、大剣が落ちていた。

 それは、大司教が言っていた、処刑人が持っていたという剣だった。


 おれは瓦礫から体を出し、その大剣の柄を握った。

 重みを感じなかった。

 大剣はおれの身の丈ほどもあり、装飾はほとんどない無骨なものだった。

 切っ先は無く、見た目はまるで長方形の板だ。長い間手入れがされていなかったのだろう。あちこちが錆びていた。

 ファンタジーでよくあるような、持っただけで力が湧いてくるとか、これは魔剣だとかいうこともなかった。普通の剣のようにしか思えなかった。

 しかしこれは魔族の首すら落とした処刑刀だという。

 もしかしたら、これならば、あの山羊頭の首を落とせるのではないだろうか。


 両手で柄を握り、何度か試し振りをする。

 剣身は長いが、おれの腕力があればどうと言う事はなかった。自由自在に振ることができる。

 山羊頭を見た。

 デブたちが山羊頭と戦っている。


 おれは山羊頭に向けて剣を構えた。深く息を吸う。意識が研ぎ澄まされていく。

 デブと戦った時に感じた集中力が、頭の奥から広がっていくのがわかった。山羊頭の動きが、デブたちの動作が、その髪の毛一本の揺らめきすら、見えた。


 デブが山羊頭の足首を斬った。

 かすかではあるが傷が入り、山羊頭の右足が膝をついた。

 反対側にいたエリーゼが魔力剣で山羊頭の左足を払った。左膝から下が斬り飛ばされた。エリーゼの持っている魔力剣の柄に、大きな罅が入るのが見えた。


 大聖堂の中にあるものすべてが見えていた。天井から落ちてきた塵ひとつの動きまで――今なら、何でもできる気がした。


 一歩を、踏み出し。


 二歩を、歩み。


 三歩で、跳んだ。


 両膝をついた山羊頭は地面に両手をついていた。

 頭を差し出すその姿は、まるで執行を待つ罪人のようだった。

 おれは空中で処刑刀を振り上げ、落ちる勢いをそのままに、首へと振り下ろした。


 ――手ごたえはなかった。


 おれは地面に降り立ち、はっと意識を取り戻した。

 いつの間にか、地面に蹲っていた。記憶がひどく曖昧だった。


 慌てて振り返り、山羊頭を見上げる。感情のない赤い炎の眼窩で、おれを見ていた。慌てて姿勢を直して剣を構える。

 しかし、山羊頭は動かなかった。

 山羊頭の首が、どさりと落ちてきた。頭蓋骨が地面を転がり、ついで、その体が崩れ落ちた。

 おれはぽかんと、それを眺めていた。


 ――や、やったか!?

 あ、これあかんフラグのやつだった。


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