其の肆
姿の見えない夜叉達は青葉を見て口々に
「天狗か!」
「やっかいだな」
「どうする?」
「一人なら」
「殺せ!」
それを聞いた青葉は表情こそ口角を上げた笑顔であるが、その目は鋭く殺気に満ちていた。
「その人達を離せ! さもないと痛い目を見るぞ!」
「ほざけ!」
「こわっぱめ!」
「木の葉天狗如きが!」
「舐めるな!」
「殺せ! ころっぎゃあぁぁぁ!」
空気を切り裂くような音が聞こえた直後、断末魔の叫び声と共に颯爽と駆け抜ける黒影が見えた。
「誰が一人だって?」
その声のする方を見ると、青葉の隣には紅葉がいたのだった。
「紅葉君!」
「この山を汚す者は許さない!」
「ぎゃあぁぁぁ!」
紗理奈の近くでまた乾いた風が勢い良く高い音が聞こえると、夜叉の叫び声が響き渡った。
「天地様の山で下手なことしない方が良いぞ」
「白葉君!」
紅葉の隣に白葉が颯爽と飛んできて、さらに
「何でお前カッコよく登場すんだよ!」
「黒葉君!」
「みんな置いてくなよ~」
「黄葉君!」
天狗五人衆が揃い、生き残った夜叉達は動揺しているようで、紗理奈を捕まえている夜叉が震えているのが振動で解った。
「クソ!」
「どうする!?」
「銀色の一族だけでも連れて帰るんだ!」
その言葉を聞いた青葉達は顔を見合わせた。
「僕達から――」
「天地様の――」
「山から――」
「罪を犯して――」
「逃げられると――」
「「「「「思うなよー!」」」」」
天狗五人衆が錫杖を何処からともなく取り出して、一斉に空から獲物を狩る鳥のように降下して夜叉達を攻撃した。
「ぎゃあぁぁぁ!」
夜叉の叫び声と共に紗理奈と星彩の母親の拘束が解かれた。そして、地面へ落ちる前に紗理奈を青葉が、星彩の母親を白葉がキャッチした。
「ありがとう青葉君」
「どうしてあんたはいつも巻き込まれるんだ?」
「えへ」
青葉に抱きかかえられ二階くらいの高さにいた。高所ではあったが、今はそのようなことで恐怖を感じることが出来ないほど麻痺していた。そして、紗理奈は星彩の母親を見た。白葉に抱きかかえられキョトンとした表情になっていた。
咄嗟に星彩がいないことに紗理奈は気付いた。地上を見ると星彩は宙に浮きながら移動していて「助けてー!」っと叫んでいた。
「青葉君! 夜叉が逃げちゃう!」
「大丈夫」
「権藤様の元にこの娘だけでも!」
そう言った夜叉の前に紅葉と黒葉が舞い降りた。夜叉は方向転換しようと後ろを振り向くとそこには黄葉が陣取っていた。
「クソッ! 天狗め!」
「その子を離せ」
紅葉の呼びかけに夜叉は星彩を乱暴に放り投げた。
「きゃあ!」
投げられた星彩をすかさず黄葉が翼で飛び、瞬時にキャッチした。
「おいお前!」
っと黒葉が夜叉に言葉をぶつけたが
「逃げたか」
っと紅葉が口にした。
雲母は「ママー」っと叫びながら母親に駆け寄って行った。母親は膝をついて両手を広げて彼女を抱きしめた。
紗理奈はようやく訪れた平安な時を噛み締めるように安堵の溜息をついた。その時、空の彼方から蒸気機関車の汽笛の音が聞こえてきた。空を見上げると偽汽車がこちらに向かって降りてこようとしていた。
「やっと来た。遅いよもー!」
天狗達も空を見ると「何あれ!」「すごいね!」っと偽汽車に興奮しているようだった。男の子というのは大抵車や汽車が好きというイメージがあったが、どうやらそれは妖怪変化である天狗の男の子でも変わりはないようだ。
「青葉君、ありがとう」
「困っているなら助ける。当たり前のことだよ。自分にできることをしたまでだよ」
「私にも……できること、あるのかな?」
「何が?」
「ううん、何でもないよ」
「そういえばさ――」
「どうしたの青葉君?」
「あのさ、どうしてあんたはその娘達と一緒に襲われてたんだ?」
「解んない。雲母ちゃんが、あの娘が夜叉に襲われてたから、一緒に逃げてたの」
「ふーん。そうなんだ」
そこに紅葉が
「もしかして、その夜叉って奴らが最近この山に住む妖怪変化達を攫っているのか?」
「妖怪変化が攫われてる? どういうこと?」
紗理奈の質問に白葉が答えた。
「妖怪変化ばかりじゃない。この山に住む動物も姿を消してるんだよ」
続いて黒葉が
「攫われるとこを見た奴の話だと毛むくじゃらな奴だって言ってたから、きっとさっきの奴らの仕業だろうね」
っと言った。紗理奈はその言葉に
「ねぇ、私には夜叉の姿が見えないのはどうしてなの?」
「見えない?」
「うん。雲母ちゃんとお母さんには見えてるみたいなんだけど」
「それはきっと今、あんたの心が乱れているんじゃないかな? 雑念が多すぎて、本当は見えてるものが見えなくなった。って感じかも。例えば、今の人間は雑念が多すぎて妖怪変化が見えないから」
「そっか。私って本当に馬鹿だから……」
「まぁ、銀色の一族は人間じゃないけど、妖怪変化でもないから、仕方ないっちゃ仕方ないかもね。それにあの二人は――」
紗理奈と青葉の会話を遮るように黄葉が
「そんなことより銀色の一族の血で黄金蝶をとか言ってなかったけ?」
その台詞にほんのひと時だけ忘れていた自分が何者であり、そして、瑠美にこの場所で言われた言葉の数々が走馬灯のように駆け抜けた。
一瞬のうちに笑顔の消えた紗理奈を見た天狗達はお互いに顔を見合わせた。そして、青葉が
「ねぇ、銀色の一族さん、黄金蝶は絶対に復活させちゃ駄目だ」
紗理奈は俯きながら
「青葉君、銀色の一族って妖怪変化じゃないなら何なの? あと黄金蝶って何なの?」
「それは――」
青葉の言葉を遮るように偽汽車が汽笛を鳴らして紗理奈の前に降り立ち停車した。そこへ雲母が母親と一緒にやって来て
「お姉ちゃん、行こう」
「う、うん」
雲母は紗理奈の右手を握って笑顔を見せた。可愛らしい雲母に少し心が癒されたような気がした。同年代の女性のみならず、このような幼女でさえも自分はイケるのかと思ってしまった。
雲母の母親は天狗達に「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。それを見た紗理奈も嫌なことを全て頭の片隅に置いて
「青葉君、紅葉君、黄葉君、白葉君、黒葉君、ありがとう」
っと言った。雲母は母親と紗理奈と手を繋ぎながら偽汽車に向かって歩き出し、乗車口に乗り込もうとしたところで振り向いて
「お兄ちゃん達、ありがとう! また会おうね!」
っと手を振りながら笑顔を天狗達に見せた。天狗達は少し照れくさそうにしながら雲母に手を振り返した。偽汽車に乗り込むと車掌姿の偽汽車が待っていた。
「大変遅くなり申し訳ございませんでした」
「もう! 何してたの偽汽車さん!」
っと雲母はほっぺを膨らませて腰に手を置いて怒っているようではあったが、どうあがいても可愛くて仕方がない。
「それは後でご説明致します。では出発致しますので席に着いて下さい」
雲母は窓側の席に座ってその隣に母親が座った。紗理奈は二人の正面に座って窓の外にいる天狗達を見た。雲母が天狗達に目一杯手を振っていたので彼らも手を振り返していた。
偽汽車の汽笛がなり、蒸気が噴き出し、ゆっくりと偽汽車は動き始めた。それを見ていた天狗達は雲母に向かって、まず紅葉が
「じゃあね」
白葉が
「気を付けて」
黄葉が
「いつでも来てね」
黒葉が
「今度は遊ぼうね」
っと言った。最後に青葉が
「またねー!」
っと言っていた。それに対して雲母は
「うん! また来るね! ありがとー!」
偽汽車の車輪はゆっくりと地面を離れて大空へと上昇した。雲母は天狗達が見えなくなるまで手を振り続け、天狗達も雲母に手を振り続けていた。
紗理奈は座席にもたれ掛かって、やっと肩の荷が下りたと思い深い溜息を吐いた。それを見た雲母の母親が
「ありがとう紗理奈ちゃん」
っと言った。紗理奈は少し分が悪そうにしながら
「いいえ、私は何もできなかったです。全部青葉君達のおかげですよ」
っと答えた。雲母の母親はにっこりと笑いながら
「いいえ、そんなことはありませんよ。あなたにしかできないことがあるんですから」
「私にしかできないことって何ですか?」
「その血を黄金蝶に捧げること」
雲母の母親は口を大きく開き、白い何かを紗理奈に吹きかけた。それは紗理奈に張り付いて身体の自由を奪い去った。
「ママ上手くいったね!」
「いい娘だね雲母。あたいの雲母。今度こそ、あたい達は幸せになれるよ。権藤の野郎に銀色の一族を献上すればね」
「うん!」
紗理奈は悪寒が全身に走り鳥肌が立った。そして、凝視していた雲母の母親が座席から立ち上がって通路に出た。彼女は高飛車な笑い声を上げた途端、顔から幾つもの目がぱっちりと開かれ、口の中から二本の牙のような物が鎌状に飛び出し、下半身は肉を引き裂いて何本もの節足動物ののような脚が姿を現した。
八つの目、九本の脚、
「蜘蛛……」
「そう、あたいは
椿の変わり果てた容姿に吐き気を催し、喉の手前まで来ていたが辛うじて堪えることができた。
少しだけ冷静に自分の身体に張り付いているのが蜘蛛の糸だと理解した。身体を動かそうと何度も何度も試してみるが、微動だにしない。
紗理奈は雲母を見ると彼女は先程までと同じ純粋無垢そのものの笑顔を見せていた。
「雲母ちゃん……嘘でしょ? 嘘って言ってよ!」
「ママと私の幸せのためなの。ごめんねお姉ちゃん」
「何で!? どうして!? 権藤って人の手下なら、味方の夜叉に狙われていたのは何でなの!?」
「あれは計画の一部だよ。一芝居打ったのさ」
「偽汽車さん! 助けて! 偽汽車さん!」
「呼んでも無駄だよ。それと丁度良い、窓の外を見てみなよ」
紗理奈が窓の外を見ると偽汽車は旋回して工事現場の真上にいた。そして、紗理奈は空まで燃え盛る炎の渦を見た。
そして、紅葉、黒葉、黄葉、白葉が倒れているのが見え、彼らの名前を叫んだ。自分が今見ている光景を信じたくなかった。認めたくなかった。何故なら、唯一立ち上がっている青葉の目の前にいるのは京狐だったのだ。
「どうして!? 何で京狐さん!? 偽汽車さん! 助けて! 偽汽車さん!」
偽汽車はゆっくりと紗理奈に近づいてきて徐に深々と頭を下げた。
「紗理奈さん、申し訳ありませんが、私の主人は京狐さんなのです。あの方の命に逆らうことなど私にはできないのです」
「京狐さんも……グルなの?」
「あんたまだ気づかないのかい? 銀色の一族と木の葉天狗が四人に、烏天狗が一人。これで完璧に黄金蝶が復活できるよ」
「いやー! いやー!」
「ママ、じゃあ私、もう大丈夫なの?」
「そうだよあたいの雲母。あんたはもう大丈夫だよ」
椿は偽汽車の方を見て
「残りの銀色の一族も捕まえるよ。こいつの家に向かいな!」
「かしこまりました」
「やめて! お願い! 誰か! 助けて! いやあぁぁぁぁぁぁー!」
椿がまるで唾を吐き出すように小さな塊のような糸を出してそれで紗理奈の口を塞いだ。
「五月蠅い餓鬼だね全く」
「んー! んー!」
声が出せなくなっても、紗理奈は声を出していた。そこに雲母が近づいて
「お姉ちゃん、ありがとう。雲母のために――」
雲母は紗理奈の右頬に手を置いた。
「死んで」
「んー!」
その時、偽汽車の窓が突き破られた。椿と雲母は咄嗟に後ろを振り向き、紗理奈は少し首を傾げて通路を見れば、窓を突き破って入ってきたのは美鬼だった。
「あんたはっ! 九尾の言ってた鬼だね!」
椿は美鬼がやって来たことに狼狽え、星彩を抱きかかえながら車掌姿の偽汽車の後ろに下がったが
「全く面倒じゃ! わっちが何でこんなことしなきゃならんのでありんすか!」
唐突に美鬼は地団太を踏み両手を握りしめ大声で怒鳴り始めた。
「あー! 腹立つ! どいつもこいつも口を開けば紗理奈紗理奈! 旦那様も! お姉様も! お義母様も! どうしてわっちのことを誰も見てくれないでありんすか! あー! もー!」
友達だと思っていた、いや友達以上の存在になりたかった瑠美には心にナイフを突き刺され、自分ができることをしたいと思って助けたかった雲母には騙され裏切られ、心に刺さったナイフでそのままズタズタに引き裂かれ、何だかんだ助けに来てくれたと一瞬でも思った美鬼は、自分への不平不満を大声で言われ、ズタズタにされた心を燃やされ灰にされてしまった。
美鬼の愚痴を聞いていた椿はあっけらかんとした表情になったが、瞬時に気持ちを切り替えたのか、八つの目が鋭く美鬼を見据えた。
「んんんんんー(美鬼ちゃん)!」
紗理奈は美鬼に自分の方を向いて欲しかったが、彼女は相当怒っている様子だと思った。なぜなら二本の角がいつもよりも真っ赤で、それでいていつもよりも鋭く長くなっていたのだった。
椿は美鬼の怒りの矛先が自分達に降りかかる前に仕留めようと雲母を偽汽車に預けて動き出した。それを見た紗理奈は「んんんんんー(美鬼ちゃん)!んんんんんー(美鬼ちゃん)!」っと声を出したが、当の本人は椿に背中を見せて隙だらけの状態になっていた。
蜘蛛の巣に捕えられた獲物に近づくように椿は物音一つ立てずに背後まで近づき腹部から鋭い針を美鬼に目掛けて突き立てた。
「んんー(いやー)!」
紗理奈は美鬼に針が突き刺さる前に顔を背けてしまった。
「なっ!」
「ママー!」
「ん?」
雲母の切羽詰まっているような叫び声に目を開けた。紗理奈の眼前に広がっていたのは、目を疑いたくなるような光景だった。
「がはっ!」
椿はどす黒い血を吐き出し、突き刺さっているものを見た。彼女の胸元には棒高跳びの棒のような長さで、闘牛の角のような美鬼の角が身体を貫いていたのだ。
「今日のわっちは虫の居所が悪いんじゃ。このまま銀色の一族を大人しく渡せば全員生かしといてやらんでもない。半殺しにしてやるでありんす」
刀のように鋭い目で椿を睨み付ける美鬼は今まで見たことがないほど鬼の形相そのものだった。
椿は美鬼の言葉を聞き終わると首だけを動かして雲母を見た。彼女は偽汽車の背後にしがみ付いて今にも泣きそうな顔で椿を見ていた。
「あたいはっ! あたいはここで銀色の一族を渡すわけにはいかないんだ! あたいの雲母のために! 雲母を守るために! 絶対に渡すもんか!」
椿は威勢のいい啖呵を切ると唾を吐き捨てるように糸の塊を美鬼に飛ばした。
美鬼は一切避ける動作をすることなく、糸の塊は彼女の両目を覆ったが、それでも彼女はピクリとも微動だにしなかった。
それでも椿は「ああぁぁ!」っと悶絶しながら後退し美鬼の角から逃げ出した。美鬼は両目を覆っている糸の塊を片手でいとも簡単に剥がした。
そして、刀のような鋭い目で椿を睨み付けていたが、その視線はやがて紗理奈の方へと移った。
「このままこやつがいなくなれば、旦那様は、またわっちを見てくれるでありんす」
美鬼のその発言に驚いたのは紗理奈だけでない。椿も偽汽車も雲母も耳を疑ってしまった。
「んんんんんー(美鬼ちゃん)!」
「ぬしさえいなければ、旦那様はきっとわっちを見てくれる。また、以前のようにわっちだけを考えて下さる。はうー!」
紗理奈は改めて美鬼が人間の倫理、価値観とは逸脱している存在なのだと実感した。
人間でいえば狂人のような考えのそれを瞬時に思いついてしまう思考の傾向を今まで見てきたが、それでもそれを戒めるようにはじめ、麗、凛がいてくれた。彼らは抑止力だったのだ。
しかし、ここに宮部家の人間は誰一人としていない。誰も美鬼を止めることなどできないのだ。それでも、友達だと一度でも言ってくれていたのに。
そして、麗が言っていた以前の言葉が脳裏を過ぎった。
――傲慢な、我儘な、欲にまみれた化身、鬼――
「じゃあ、このまま見逃してくれないかい? 後のことは任せておくれよ」
美鬼を後押しするように椿が声に出した。さらに続けて
「あんたはここにいなかった。何も見てもいないし、知らなかった。どうだい? それであんたの旦那様は、あんたのことをきっと考えてくれるよ」
椿の囁きに真っ赤だった二本の角は次第に朱色へと変わっていき、いつものように親指程度の長さに戻った。
そして、先程までの表情が嘘のような、はじめに見せていた晴れやかな笑顔になっていた。
「わっちはここにはおりんせん。見てもいなければ、知らなかったでありんす。邪魔したな」
そう言うと美鬼はぶち破った窓の方へスキップをしながら進んで行ってしまった。
「んんんんんー(美鬼ちゃん)!」
紗理奈のことなど見向きもせずに美鬼は遠のいて行く。椿は安堵し、雲母を節足の足で手繰り寄せて頭を撫で始めた。
「良かったね雲母。あたいの雲母。これであんたが黄金蝶の生贄に――」
「おい! 今何て言った?」
つい今しがたにこやかだった美鬼の目は、獲物を見据えたチーターのように坐っていた。
「な、何がだい?」
「今何て言ったんだよ」
「あたいの雲母?」
「ちげーよ! その後だよ!」
椿は罵声のような美鬼の一語一句にビクビクしていた。
「えっと、黄金蝶の生贄に――」
「やっぱぬしら全員殺す」
「なっ!」
美鬼の発言に椿は戦々恐々となった。それもそのはずである。美鬼の心変わりの速さは尋常ではない。それでも紗理奈は自分が助かる道筋ができたような気がした。
「ちょっと待っておくれよ。あたい達を見逃してくれるんじゃなかったのかい? どうしてまた急にそんなこと」
「黄金蝶が絡んでいるなら話は違うでありんす。悪いがここで全員ぶっ殺す」
美鬼の放つ殺気に椿のみらず偽汽車も雲母も、そして紗理奈までも広がっていく死の恐怖に身震いした。椿は雲母をじっと見つめ
「偽汽車! 雲母を頼んだよ! もしもの時はその娘を連れて逃げておくれ!」
「かしこまりました」
「ママ!」
椿の元へ駆け寄ろうとした雲母を偽汽車は静止し、庇うように背後へと押しやった。
八つの足が小刻みに震えているのが紗理奈でも解った。それでも椿は
「あたいはね! あたいの雲母への愛は誰にも負けない! 母親の愛はどんな恋より、どんな愛よりも強いんだよ! さぁ! かかってこいよ!」
身構えた椿は獲物を捕食するときの蜘蛛そのものだった。対して美鬼は再び二本の角が真っ赤になり俯いた。そして
「母親の愛が恋より強いじゃと? わっちの恋が、旦那様とわっちの恋がぬしの愛なんぞに負けると? じゃあ――」
美鬼は俯いた顔をゆっくりと上げた。
「――死ねよ」
その瞬間に椿の間合いに入った美鬼は簪を金棒に変えて下から突き上げた。その打撃で椿は車両の天井にめり込んだ。
「ママー!」
天井にめり込んだ椿はその重みからゆっくりと通路に落ちた。めり込んでいた部分の天井は穴が開き、青空が広がっていた。
「ママー!」
「いけません!」
「離して! ママー!」
雲母は偽汽車の静止を振り切って椿の下に駆け寄った。その顔には大粒の涙が頬に流れ椿の顔までしたたり落ちた。
「餓鬼だからって殺さなんと思ったら大間違いでありんす。お前らは殺してからじっくりと皮から肉、臓物、骨、魂まで食い尽くしてやる」
「やめて! 私はどうなっても良いから! ママは! ママは助けて!」
「あぁ? 舐めてんのかゴラァ! ぬしから先に殺してやろうか?」
美鬼のドスの利いた声にビクビクしながらも雲母は気絶している椿を守るように覆いかぶさり美鬼の目をじっと見ていた。
「お願いします! 殺さないで! 私からママを奪わないで!」
そこに偽汽車が美鬼の前に立ち塞がった。
「乗客の安全を守ることが使命。ここはお任せを」
「偽汽車さん!」
雲母の呼びかけに偽汽車は振り向くことなく
「この車両の連結を外します。隣の車両に逃げて下さい!」
「でも! 偽汽車さんが!」
「早く逃げなさい!」
二人の会話を聞いて完全に呆れている美鬼はメンチを切って
「ごちゃごちゃうるせーんだよ! 先に死にたいなら、望み通り殺してやるでありんす!」
っと言って金棒を振り上げた。
「早く逃げて下さい!」
偽汽車がそう言うと美鬼の足が通路に沈み始めた。
「あ?」
まるで通路が流砂のように美鬼を飲み込んでいった。それを見た雲母は見た目には到底できるとは思えない怪力で椿を運び始めた。
通路に沈んだ美鬼を確認した偽汽車は雲母が隣の車両に行ったのを確認して溜息をついたが、その瞬間
「おらぁ!」
飲み込まれた美鬼が通路を突き破って偽汽車を金棒で天井へ投げ飛ばした。その打撃で偽汽車の身体は天井にぶち当たり上半身の半分が潰れ、真っ黒い臓物類が辺りに散乱した。
その光景を一瞬でも目にしてしまった紗理奈は、顔を背けて吐き気を催した。鼻で深く空気を吸って呼吸を整え、恐る恐る美鬼の方を見た。
返り血を浴びた美鬼は頬に付いていた血を長い舌で一舐めした。紗理奈の心は複雑な気持ちで溢れていた。
偽汽車は京狐の僕のようなもので、自分を三つ目の権藤に渡そうとした椿と雲母の仲間であったが、その最後は悲惨そのものだからだ。
「今助けてやる」
美鬼はゆっくりと紗理奈に近づいてきた。紗理奈はどう思って彼女を見つめれば良いのか解らず視線を泳がせた。
ガコンッ!
っと言う音と共に車両が傾き始めた。糸で座席に固定されている紗理奈は下に引っ張られる重力を感じていた。
美鬼は態勢を崩して引力で天井に引っ張られたが綺麗に着地した。紗理奈が窓の外を見ると世界が右に空があり、左に地上がある不思議な光景となっていた。
地上へと急降下する車両の中で死ぬのかと思った矢先、美鬼が鼻と目の先までジャンプしてやって来て
「飛ぶぞ」
「んん(飛ぶ)?」
美鬼は紗理奈の肩に左手を置いて、右手で張り付いていた糸を引き剥がして、そのまま車両の窓と壁を突き破って空中へ飛び出した。
「んー!」
口に糸が張り付いている紗理奈は言葉にできなかったが、それでもこの状況にきちんとした言葉を発することができるとは到底思えなかった。こういう時はただ叫ぶだけしかできない。
地上がどんどん近づいて来ていたが、美鬼は紗理奈を抱いたまま特に何かをするわけでもなく澄ました顔で地上を見ていた。二人の隣には車両が同じ速さで地上まで落ちている最中だった。
さらに地上まで近づくと見慣れた町並みであることが解った。通っている高校、水木神社のある山を確認することができた。そして、このまま落ちていくと南凰公園だと解った。
「しっかり捕まっとれよ」
美鬼はさっきよりも少し強く紗理奈を抱きしめ、紗理奈も戸惑いながらも美鬼にしがみ付いた。
今あれこれと他のことを考えている余裕などなかった。今はただ生きたいということ、それだけを思い浮かばせることが精一杯だった。
どんどん近づいてくる地上に紗理奈は目を開けていることができなくなり、美鬼にしがみ付きただ彼女を信じるしかなくなった。
しかし、ふと目を開けた時の光景は見たことのある三階くらいの高さから見た地上だった。
「んー!」
もう紗理奈がそう思考した瞬間には地上がすぐそこまで近づいていた。このままでは頭から地上に落下してしまうと思った瞬時に美鬼は態勢を変えて足を地上に向けた。
ドスンッっと言う音と共に鉄やコンクリートがぶつかった音が辺りに響き渡った。美鬼は紗理奈をお姫様抱っこして股を開いた状態で地面に着地していた。
その足は地面にめり込み、公園の敷き詰められた模様のあるコンクリートを円状の地割れが美鬼を中心に広範囲に広がっていた。
「ふぅ。楽しかったでありんす」
美鬼は何食わぬ顔で抱っこしていた紗理奈をそっと立たせたが、紗理奈は立つことの感覚を忘れたようにフラフラと揺れて尻もちをついてしまった。
「おい。絶対にあの車両でわっちが一度ぬしを見限ったなどと旦那様に言うなよ。絶対だぞ!」
美鬼の言葉に紗理奈は何も反応することができず聞き流していた。そのまま少しばかり放心状態となっていたが、ふと公園を見渡せすと一緒に落下したはずの車両は影も形もなかったが、何かが落ちたようなクレーターのような窪みができていた。
そして、気が付いた。公園のあちらこちらに毛むくじゃらの化物の無惨な死骸が散乱していることに。
「うっ」
紗理奈は何度も我慢していた吐き気を抑えることができず胃の中から逆流してきたものを外に吐き出した。
「片付けるのをすっかり忘れとったわ」
胃の中から逆流してきたものを吐き出しながら紗理奈は嗚咽し、そのまま泣き崩れてしまった。
この短時間で起こった様々な出来事が脳裏を過ぎり心に棲みついた。得体の知れない、真っ暗闇が彼女を支配したのだった。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「なんじゃ? そんなにわっちに助けられて嬉しいのか?」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! もういやあぁぁぁぁ! 誰か私を助けて!」
美鬼は首を傾げ
「わっちが助けてやったじゃろ? 何を言うておる?」
「瑠美ちゃーん! あぁぁぁぁぁ!」
「瑠美がどうかしたのか?」
「もうこんな目に合うのは嫌! あぁぁぁぁぁ! もう誰も信じられない! 私にはできることなんてなかった! みんな私を利用するだけ! 何なのよ私の人生! もう嫌! いっそ死んだ方がマシ! こんなに苦しいだけなら生きてても何の意味もない! 私の存在価値って何なの! こんな人生はもう嫌! 嫌! 嫌! 嫌あぁぁぁぁぁぁ!」
泣きながら喚き散らす紗理奈の喉を美鬼が恐ろしいまでの速さで掴み彼女の身体を持ち上げた。
「五月蠅い! 五月蠅い! 五月蠅い! もううんざりじゃ! このままここでぬしを殺した方がこの町のためじゃ!」
「うっ、うっ」
「黄金蝶の復活だけは阻止しなければならんのじゃ。悪く思うなよ」
喉を締め付ける力が徐々に強まっていき呼吸をすることが困難になっていった。本当に死ぬと解り、紗理奈は苦しみながら死ぬことに抵抗したかった。
美鬼の力を振りほどくことなどできないのは解っているが、それでも、彼女はやはり死にたくないと思っているのだ。このまま、死ぬのは嫌だと。
意識が遠のく寸でのところで美鬼は唐突に力を緩めた。紗理奈は立つことができず崩れ落ちた。
「おえっ! おう!」
っと首を押さえながら大粒の涙を流した。
「はぁはぁあぁぁぁぁぁ!」
「これが死ぬってことでありんす。簡単に死にたいなどと口にするなボケ! 子が親より先に死ぬとは恥を知れ!」
紗理奈は美鬼の顔へ視線を移すことができず、涙で揺れてる地面をただ眺めていた。
ついさっき自分を見捨てようとした鬼が言うことに耳を貸すつもりは毛頭なかったのだ。
「さぁ、帰るぞ」
美鬼は強引に紗理奈の腕を引っ張り上げたが、紗理奈は自分から立ち上がろうとせず足に力を入れようとはしなかった。
「おい! 立て馬鹿!」
「……どうせ私は何もできない愚か者で馬鹿だよ」
「くっ!」
美鬼はそのまま紗理奈を無理矢理立ち上がらせ、両手で抱えながら家々を飛び越えながら水木神社へと向かった。
紗理奈が空を見れば、太陽が沈んでいく西の空から茜色と紫色が混じった綺麗な空がそこにあった。しかし、紗理奈はその景色を見ても何も感じることができなかった。
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