其の拾弐

 瑠美は青葉が持っていた竹筒の水で擦り剥いた左膝を消毒していた。


「……ありがとう……」


「これくらいしかできないから」


「瑠美ちゃん、これ貼ってあげるね」


 紗理奈は持っていたハートマークの書いてある絆創膏を貼った。


「……ありがとう……」


「剥がれちゃうといけないから、これ全部あげるね」


 と言って紗理奈は絆創膏の残りの束を瑠美に渡し、瑠美は何も言わずにそれをポケットに入れた。先ほどから不機嫌になっているのはどうしてなのかと考えてみも解らなかった。

 こういう時に瑠美は何も話してくれない。だから、聞かないことにしているし、いつか話してくれると信じている。それも友達だと思うのだ。


 再び巨大になった羽団扇に乗って紗理奈達は工事現場に戻ることになった。瑠美は敦と、美鬼は一人で、紗理奈は凜と一緒だった。道中で紗理奈が凜に


「どうして凜さんと美鬼ちゃんがここに来たんですか?」


「あのね、三時頃だったかしら? 瑠美ちゃんから電話があったの。今日の放課後にマンションの建設現場に行くって。それで山の神のしもべを誘き出すから、美鬼ちゃんを連れて来て欲しいって。本当に驚いたわ」


「ははは、すみません。あ! でも、どうやって異界に来たんですか?」


「美鬼ちゃんが紗理奈ちゃんの匂いを辿ってくれたの。私この歳になっておぶってもらうなんて思ってなかったわ。でも、凄い速さだったわ」


「あはは、楽しそうですね」


「何にもなくて良かったわ。でも、どうして瑠美ちゃんは、天狗達を誘き出せるって思ったのかしら?」


「そういえば……」


 考えてもどうしてなのか解らなかったので、帰ってから聞いてみることにした。そして、今凜に聞いておかなければいけないことがあった。


「あの、凜さん、私って……人間じゃないんですか?」


 凜は驚いた風な表情ではなく、悲しそうな表情で紗理奈を見た。


「どうして?」


「私を青葉君達天狗は、人間じゃないって……それで……私、お婆ちゃんから聞いたんです。昔から宮部にお世話になってるって! それってどういうことなんですか? 凜さんは最初から私のこと知ってたんですか?」


「私からは話せないわ。これはあなたと家族のことだもの。お母さんに聞いてみなさい。きっと答えてくれると思うわ」


「お母さんに?」


「えぇ、私からは紗理奈ちゃんの事を話すことはできないわ」


 そう言って凜は紗理奈の頭を撫でてくれた。どう感じれば良いのか解らなかった。家に帰ってからあきこがこの話をしてくれるのか不安しかなかった。いつものように何も話してくれないのではないかと思ったのだった。

 工事現場で降ろされて青葉達は「じゃあねぇー」っと言って山の方へと帰って行った。敦は彼らが見えなくなるまで手を振っていた。そうして瑠美が一人で歩き出した。それを見た紗理奈が


「瑠美ちゃん? 何処行くの? 待ってよ」


 っと肩を掴むと瑠美は思ってもいなかった強い力でその手を払った。


「やめて! もう近づないでくれない?」


「え!? 急にどうしたの瑠美ちゃん?」


「もうあなたに用はないの。今までありがとう。もういらない」


 紗理奈は境界の中にいる時のような寒気が全身を包み込み、心には底知れない不安と恐怖が襲い掛かってきた。


「穢れた血はとっても役に立ってくれたわ。でも、もう終わり。友達ごっこは終わったの」


「瑠美ちゃん? 何を言ってるの? 穢れた血って何?」


 瑠美は紗理奈の方を向いた。その表情は冷たく、蔑んだ目をしていた。


「何も知らないのね。それにここまで言葉にしてもまだ解らないの? やっぱり馬鹿なんだね、あなた」


「え? 何を言ってるのか解らないよ瑠美ちゃん!」


「私はあなたを利用したの。最初からね」


「どういうこと? どうしたの?」


「だーかーらー、私は、私の目的のために、あなた達をずっと利用してきたの。あなたの特異体質を利用してここまで辿り着いた。こんなにも上手く行くなんて思ってなかった。ふふふ」


 紗理奈は怖いと言う感情で涙が目に溜まり、水中にいるように世界が見えた。


「もう用はないの。さようなら」


 話を聞いていた美鬼が


「瑠美! お前どうしたんじゃ!? 何が――」


「うるさい! うるさい! うるさい! 私に近づくな! 私は人間なの! あなた達とは違うの! 化物が気安く私の名前を呼ばないで!」


「何じゃとこの餓鬼!」


 美鬼は歯を剥き出しにして飛び掛かりそうになり、紗理奈が抱き付いて制止した。


「やめて美鬼ちゃん!」


 瑠美はそれを見て「ははは――」と笑って


「じゃあ、馬鹿には親切丁寧に最初から教えてあげる。私はね、あなたにパレードの話をする前に京狐さんに会ってたの」


「え? 京狐さんに……会ってたの?」


「それはそうでしょ? 噂になってどれだけの時間があったと思ってるの? 三週間毎日毎日必死になって町中を探し回った。そして、見つけた。あなたとのきっかけは最初から私の計画だったの。いきなり話しかけてパレードとか噂を話したのもそのため。あんたは奴らを呼び寄せるからね。その穢れた血で」


 紗理奈は初めて京狐と会った時の記憶が鮮明に脳裏をよぎった。確か、京狐は瑠美を見て「おもろいなぁ。あんた、いや、言わん方が良いね」そんなことを言っていた。あの時にはすでに瑠美は京狐に会って、自分の知らない自分を知っていたということなのか。


「穢れた血……まさか! 瑠美ちゃん! 何を知っているの!」


 凜が怒っている表情を初めて見た。それは憎んでいる眼ではなく、軽蔑している眼差しだった。


「妖怪変化を引き寄せてしまう血ですよね? それ以外は知りません――何ですかその目? 怖いですね、ははは――」


「私は……妖怪を引き寄せるの?」


「えぇ、自分でも何で毎回自分なのか不思議じゃなかった? 本当に頭の中に私と同じ脳があるの? あぁ、馬鹿だから解らないかぁ。あははは――」


「やめて瑠美ちゃん! 悪い冗談はやめてよ。私達友達でしょ?」


「私に友達なんていない! あなたとは友達ごっこしていただけなの! それにしてもあなた馬鹿だから簡単に引っかかった。あっははは――」


 瑠美は笑い過ぎで涙が浮き出てきたように見えた。


「ははは、穢れた血の子であるあなたを利用したの? お解り?」


「……そんな、瑠美ちゃん……」


「あのね、何度も同じこと言わせないで。気安く名前を呼ばないでくれない? ねぇ? これでも私のこと友達って思う?」


「わ、私は……瑠美ちゃんのこと……」


「ああー! もう! これならどう! あなた、この間、お婆ちゃんを助けるために京狐さんとキスしたでしょ?」


 雷鳴が心の中で響き、全身を貫いた。


「どうして……それを知ってるの?」


「私は京狐さんに自分のことを見てもらう代わりにあなたを差し出したの。そして、京狐さんは等価交換で人攫いの現れる場所を教えてくれた。それであなたと鬼を引き離して京狐さんに力を取り戻させたの。本当にお人好しばかりで助かったわ」


「瑠美ちゃん、あなた……何を……どうしてそこまで?」


 凜の言葉を瑠美は笊に流したように全く耳に入れていないようで無視していた。紗理奈は


「どうして? 私を守るって、絶対に守るって言ってくれたじゃない」


「ははは、あなたを守るって言ったのは、あなたが傍にいてくれさえすれば、妖怪変化は穢れた血に引き寄せられてくるからよ。でも、難点があった。自分の身を守る存在が必要だった。だから噂でしかなかったけど、鬼が必要だった。まさかこうも上手く引き寄せるなんて、私は運が良いわ」


「嘘だよ……嘘……」


「でも、もう全部終わり。友達ごっこは終わりなの」


「そんな瑠美ちゃん、だって私達――」


「最初からずっと! 私の演技だったの! 私将来女優になれるかもしれない! あはは――」


 瑠美の話を聞いている全員がそこに立ち尽くしていた。豹変した瑠美に誰もが心を穢されたと思った。


「私はね、あなたのことを友達だと思ったことなんて一度もない! 放課後に一緒に過ごしたのも、休日に一緒にいたのも、家に呼んだのも、全部あなたを信用させるため! あなたが必要だったから! 解った? 自分じゃ何もできない愚か者」


「瑠美ちゃん! 嘘だよね? ねぇ! 瑠美ちゃん! 笑えないよ……瑠美ちゃん!」


 名前を呼ばれた瑠美は紗理奈に近づき力強く手を振り上げて頬を叩いた。


「痛っ!」


「何度もうるせーんだよ化物!」


 それを見た美鬼が髪飾りを金棒に変えて瑠美の頭上に飛んでいた。


「テメー!」


「やめなさい美鬼ちゃん!」


「クッ!」


 凜に呼び止めらえれ金棒は瑠美をかすめて地面に振り下ろされた。砂埃が舞い散る中でも瑠美は動じることなく


「さようなら。化物――」


 瑠美は落ちかけた太陽に向かって歩いて行った。紗理奈は涙を地面に落としながらその後ろ姿を見つめた。


「瑠美ちゃん! 嘘だって言ってよ! 瑠美ちゃん! いやあぁぁぁぁぁ!」


 瑠美は振り返ることなくその場から去って行った。凜が紗理奈に駆け寄って涙を拭いたが、心の闇まで拭うことはできなかった。

 美鬼は泣きじゃくる紗理奈を見たが、声を掛けず視線を去って行く瑠美へと向けた。その表情はいつか夜に雑談していた時に紗理奈だけに見せた悲しそうな表情だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る