其の拾
「誰なのだと聞いているのだ! 紅葉!」
男性から声が発せられるたびに嵐のように風が舞い踊っていた。名を呼ばれた紅葉は強直した顔で急いで跪いた。
「天地様っ! この者達は、天地様に謁見したいと申したのでおつ――」
「黙れ大うつけが! 私は誰なのだと聞いているのだ! 人間達と一緒にいるそこの者は何なのだと聞いている!」
天地は錫杖で紗理奈を差した。自分でも自分が何なのか解らなくなっているところに、この山に来てから差されるのが苦しく、制服の胸元を強く握りしめた。言葉や仕草を浴びせられる度に厭な思いが募っていく。
紅葉は後ろにいる他の天狗達を見るが、紗理奈をどう説明して良いのか解らないようだった。
「何故答えぬ? 紅葉!」
紅葉は地面を凝視して小刻みに震えていた。それを見かねた青葉が紅葉の隣まで行って跪いた。
「天地様! お話を聞いていただきたく思います!」
三日月のような尖った目で天地は青葉を見た。
「誰がお前に答えろと言ったのだ! 私を愚弄するのか! 下がっていろ!」
「できません! 紅葉は僕の、私の話を聞いて、敦君、失礼、この者達をここに連れてきたのです。全てはこの青葉に説明させてください!」
「ならば早く申せ! その者は――」
「天地様! お話があるのです! これは天地様の、守り続ける者に関わる重要なことなのです!」
嵐のような風が収まり、ようやく目を開ける事ができた。子供の様な他の天狗達と違って、天地は大人であることに違いはないが、青葉と同じく男でも女であっても驚きはしないほど端正な顔立ちをしていた。
「何だ? 守り続ける者に関わることとは? お前の発言を許そう」
「ありがとうございます! 天地様は、本当に僕らの天地様なのですか?」
天地は首を傾げて
「何を申しておるのか見当も付かぬ問いかけだな。私は私だ! 一体何が言いたいのだ青葉!」
青葉は名を呼ばれて身体が跳ねたが
「あの三つ目と謁見した後から、天地様はおかしいのです!」
「……それで? どういう意味なのだ、それは?」
「恐れながら、この人達から話を聞いたのですが、あの三つ目は権藤夫婦の息子なのです。そして、あやつは権藤のおばさんの力を受け継いでいると思うのです。ですから! 私は! 僕は天地様が! 操られているのではと思ってます!」
天地はその言葉を聞いて先ほどまで周囲を貼りつかせるような殺気を感じさせていた表情を和らげ高々に笑った。
「はははははは、何を申すかと思えば、そのようなありえぬことでこの者達を連れてきたと申すのか。これは一興である。ははははははは――」
その言葉が森に響いて草木が騒めき始め、大地が揺れた。散らばっている重たい岩が地面の揺れによって小刻みに震え砂埃をまき散らしていた。
「おかしいのは貴様らだ! この大うつけ者共め! そのような世迷言を信じると申すのか? 私を誰だと思っている! 私こそ大天狗天地であるぞ!」
苦境に立たされているのは話を聞いていても、それでなくても見るからに解る。青葉は次の言葉を探しているようで唇を噛みしめていた。
「私を愚弄するならば、それ相応の罰を受ける覚悟があるのだな?」
「天地様! 僕は天地様がおかしいと思うのです! 人間達の町まで僕らを向かわせて、機械を壊させたり! この間は人間達のいる前で力を使って襲わせるなんて! そんなことする天地様は! 天地様じゃない!」
「この
「天地様?」
天地は視線を青葉から外して天を仰ぎ太陽を睨み付けた。その目は先程までの刃のような鋭さが削られ、深い悲しみに満ちていた。
「確かに、あの三つ目にけしかけられたことは認めよう。しかしな、私を操ることなどあの三つ目にはできないのだ。だから私は私のままなのだ。こんなことを私が望んでしているとでも本気で思っているのか?」
「どういうことですか?」
「これは私の意志なのだ! 人への警告なのだ! 愚かな人間は私達の、妖怪変化達の住処を奪い、緑を、世界を蝕み続けている。人は傲慢になり過ぎた。昔は神を崇め、今はどうだ? 彼らが崇めているのは自分達自身なのではないか?」
瑠美は天地の話を聞きながらポケットに手を入れた。それを紗理奈は見逃さなかった。
「良いか? このままではいけないのだ! 私には、我らには守り続けなければいけないものがあるのだ! 我らを受け入れてくれたこの地に感謝し、守り続ける。それを忘れたのか!」
「忘れたことなどありません! だからこそ、僕らは、間違っていると思うのです! 人を傷つけたり、物を壊すことで、何が残るって言うのです! それじゃあ、僕らも人と同じではありませんか!」
「青葉君……」
敦の呟きが聞こえたようで、青葉は振り向き今でできる精一杯の笑顔で応えた。意を決した青葉は天地を見つめ
「この地に受け入れられた時、僕らは人に受け入れられました。お忘れですか? 飛騨を追われた僕らを受け入れてくれたこの地の人達のことを。天地様はお忘れになったのですか!」
「忘れたことなど一度としてない」
「ならどうしてなのですか? 僕らにこんなことをさせるのは?」
「もう私は、我らは過去の存在になったからだ」
天地は紗理奈達に視線を向けた。その瞳には夜空に儚く散っていく夏の花火を見た後に思う切なさが込み上げていた。
「我らのことなど彼らは当の昔に忘れてしまったのだ。ここに住む者達を見ろ。皆、住処を奪われ、私の所に逃げてきたのだ」
天地の言葉に林の中から次々と大小さまざまな動物達が顔を出した。熊、鹿、猿、様々な種類の野鳥、狐、狸、栗鼠などが涙を流していた。それを見た敦は
「ここに、こんなに動物がいたのか……」
天地は両腕を広げて動物達を見た。
「この者達だけではない。妖怪変化達も住処を奪われこの地に来た。私は、これ以上、人に彼らの住処を奪わせたくはないのだ」
そうして見たこともない人ではない、異形の者達が姿を現した。白い仮面に顔が書かれたような者や人のような顔をした有象無象が姿を見せた。
「だから、私は、守り続ける者は、彼らを守らなければいけないのだ! 貴様には守り続けるの者の資格がない! 貴様は追放だ!」
その時、突然敦が青葉の隣に行って天地に跪いた。
「天地様! 聞いてください!」
天地は訝しげに敦を見た。それでも殺気のような物は一切感じない。まるで、子供を見つめる親のような穏やかな瞳だった。
「お前は?」
「俺は村上敦って言います。青葉君は、昔俺を守ってくれたんです! どうか! 追放はやめてください!」
「お前を守ったとはどういうことだ?」
「昔、父親に俺と母さんは暴力を振るわれていました。。それはもう酷かったんです。毎日身体のあちこちに新しい痣ができる日々でした。そんな時に、俺はこの森に入ったんです。家に帰りたくなかった。でも、ふと思ったんです。母さん一人にしたら、俺の分まで殴られるんじゃないかって――」
紗理奈は瑠美を見ると、ポケットに手を突っ込んでタイミングを見計らっているように思えた。
「だから、帰ろうと思った時でした。帰り道が解らなくて迷子になったんです。その時に青葉君に助けられたんです。それで家に帰ることが出来ました。その時、青葉君に俺は父親の事を話していたんです。それを聞いた青葉君は、俺の母さんに暗示をかけたんです」
「その事なら記憶にある。人に暗示をかけた罰は既に青葉に――」
「違うんです! 青葉君は俺を守ってくれたんです! 母さんに勇気をくれて、それで、その暗示で俺と母さんは父親から逃げる事ができた。青葉君は天地様がみんなを守っているように、俺を守ってくれたんです。だから!」
「もう良い!」
天地は動物達や妖怪変化達を見渡し、最後は青葉に視線を向けた。
「青葉、お前は何を守っているのだ? 答えよ」
青葉は先ず敦を見た。それから紅葉、白葉、黒葉、黄葉を見て、顔を上げて天地の目を見た。
「僕は、僕の大切な友達、ここに住むみんなを守っています」
「そうか……しかしだ、貴様は私の考えを否定した。ここで共に生きて行くことはできない」
天地の言葉にずっと話を聞いているだけだった白葉達が、青葉の周りで天地に跪いた。黒葉が
「お願いです天地様! 青葉を追放しないでください!」
黄葉が
「天地様! 僕らはただ、昔のような天地様でいて欲しかったのです!」
白葉が
「青葉だけの考えではありません! 僕らも青葉と同じです!」
そして紅葉が
「天地様、失礼と承知で申し上げます。僕らは、今の天地様が嫌いです。ここがまだ村だった頃、人の願いを叶えていた頃の天地様が大好きでした! ここにいる動物や妖怪変化達も同じです! みんな、今の天地様が、天地様じゃありまんせん!」
そうして、動物たちが鳴き声を上げ始めた。妖怪変化達も声を大にして
「天地様! お願いです! もうやめてください!」
「こんなことする必要はないのです! 私達はここにいられるだけでも幸せなのです」
「青葉を追放しないでください!」
「どんなに辛くても、ここにみんながいればそれで良いのです」
「全て奪われるわけではありません。どうか、人への怒りを鎮めてください」
その声を聞いた天地は目を閉じて
「お前達……」
そうして敦が
「マンションの建設は止まらないかもしれない。でも、ですね、ここに新しく森を作るんです。今は荒れ果てた枯れた木々だった森を再生させるんです。俺達は、人はただ壊しているだけじゃないんです。未来に残す緑をちゃんと考えているんです」
天地は深く鼻から息を吸って吐き出した。
「もう何も言うな」
「天地様……」
青葉から始まり紅葉達も、動物達も、妖怪変化達も山の神「天地様」と口にした。天地はここにいる者全てを見渡しながら
「私が間違っていたのかもしれないな」
「天地様……」
「青葉の追放は撤回しよう。そして、人に危害を加えることもな」
「良かったぁ」
青葉がそう言うと紅葉達が彼に圧し掛かって押し潰し始めた。「やめろよぉー」と言いつつも青葉は嬉しそうで天狗達は「あははは」と笑っていた。
動物達も妖怪変化達も笑っているように見え、紗理奈も敦もそれを見て釣られて笑っていた。だが、瑠美だけは顔色一つ変えずに天地を見つめていた。その時だった。
「くだらない! ふざけるな!」
響く声の主を探して辺りを見るが、誰が言ったのか解らなかった。男性の声というのは解るのだが、妖怪変化の中でも男性のような者が多く解らない。
「やはり他の奴は信用できない。信用できるのは、家族だけだ!」
天地はその声を聞いて
「どういうことだ? いるのか? 三つ目よ。何処にいるのだ?」
「こっちを見ろ!」
天地は後ろからする声に振り向いた。巨木の左右に動物や妖怪変化がいたが、その中で紗理奈はそれを見た。一つ目や二つ目の中に紛れ込んで、大きく禍々しい赤い瞳が額にある三つ目の人物を。しかし、瞳は見えるのに顔が闇に溶け込んでいて見えなかった。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
「天地様!」
天地の叫びを聞いた青葉達は急いで駆け寄ろうとしたが
「来るな!」
天地の言葉で動きを止めた。天地はもがきながら
「この! 大天狗を! 操ろうと言うのか! ああぁぁぁぁぁ!」
「天地様!」
「ここにいる者全てを殺せ! 捧げるのだ!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
紗理奈達に振り向いた天地は白目になっていて、それを見た紗理奈は思い返した。
「イペタムの時と同じだ……」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
天地が
「きゃっ!」
その一瞬で瑠美が紗理奈の前に立って、ポケットから缶詰を取り出して蓋を開けた。
「させないわ!」
瑠美が突き出した缶詰の中身を見た天地は急上昇して巨木の枝に止まった。紗理奈は彼女が持っている缶詰が何か匂いで解った。
「え!? それって味噌煮?」
「そうよ。これは鯖の味噌煮よ。天狗は鯖が嫌いなの」
瑠美が開けた缶詰の匂いを青葉達も嗅いでいるようでひっくり返って転んでしまった。天地は巨木の枝からこちらを見下ろしていたが、錫杖を振りかざすと瑠美が持っていた缶詰が手から離れて森の中に飛んでしまった。瑠美は突然の出来事に
「なっ! まずい!」
「え!? 何で!?」
紗理奈は瑠美に気を取られていたが、上を見ると天地が急降下して真っ直ぐにこちらに向かっていた。
「黒木さん!」
瑠美が紗理奈に庇って覆い被さった。
「瑠美ちゃん!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
天地は錫杖の輪っかが付いた先端を手に持って引き抜くと刀が姿を見せた。そして、それは振りかざされる。
「瑠美ちゃん!」
紗理奈は瑠美を抱きしめながら目を閉じた。そして、カキンっとした金属がぶつかり合った鈍い音が聞こえた。そして、聞き覚えるのある声が笑っていた。
「ふふふ、大天狗のくせにこんな術に引っかかるとは馬鹿でありんす」
「美鬼ちゃん!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
美鬼は押さえつけていた仕掛け刀を金棒を薙ぎ払って天地を巨木の根元まで吹っ飛ばした。紗理奈に覆い被さっていた瑠美が
「言ったでしょ? 切り札があるって。切り札は最後まで取って置くのよ」
美鬼は金棒を肩に置いて不敵な笑顔を見せた。
「さぁ来い大天狗、勝負じゃ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます