其の陸

 二人が話し声の聞こえる距離まで近づくと男性の声が聞こえてた。男性は作業服を着ていて背中に「江戸川建設」と書かれていた。


「お願いです! 同行させてください!」


「すみませんがそれはできないですよ」


「知りたいだけなんです! どうかお願いします!」


「ですから――あら? 瑠美ちゃん? 紗理奈ちゃん? どうしたのこんなところで?」


 凜は歩いてきた瑠美と紗理奈に気が付いて話しかけてきた。瑠美が「えっと」っと言葉を探しいるようだったので紗理奈が


「凜さん、私達、天地様を調べてるんですよ」


 その発言に瑠美は「え!?」っと声を漏らして、それを聞いた凜は


「もう、困ったわねぇ。後で話しましょ。今は――」


凜は男性に向き直って頭を抱えていた。男性は祈るように


「お願いです!」


「すみませんが、お気持ちだけで十分ですよ。今日はありがとうございました」


「待ってください! 送ります!」


「すみませんが、この娘達と帰りますので。では」


 凜が二人の元に歩いて来て「行きましょ」っと言ったので大人しく付いて行くことにした。紗理奈が振り向いて男性を見るとじっとこちらを見ていたが、視線を祠に向けて手を合わせった。道中で凜が


「もしかして二人は昨日の私の話を聞いたのかしら?」


 瑠美はバツの悪そうな顔で


「……すみません」


「しょうがないわねぇ。それで、何か解ったの?」


 瑠美が困っている様子だったので紗理奈が


「えっと、特に何も解ってないです。あの凜さん、天地様って動物が神霊化したんですか? 資料館の館長は、子供だったり、老人になったり変化自在だったって言ってましたけど」


「動物が神霊化したのではないわね。恐らくは妖怪変化の中で力の強かった者がこの辺りで神として崇められたんじゃないかと思っているわ」


「じゃあ、有名な妖怪変化ですか?」


「さぁ、妖怪変化と言っても必ず私達の間で知られている名前がある者ばかりではないのよ。特に山だと妖精のような無害な妖怪変化もたくさんいるのよ。彼らの多くは名前を知られず自由に生きているの。だから力を持っているとしても必ずしも有名な妖怪変化とは限らない」


 それに対して瑠美が口を開いた。


「山には妖怪変化がたくさんいるんですか?」


「そうね。人がいない場所に住んでいる妖怪変化は多い。特にこんなにも人が溢れてきた世の中で、彼らが住処にするのはこういった山とかになるの」


「あの、それと、差し支えなければですけど、さっきの人は誰ですか?」


「あの人は依頼主の建設会社の社員さんで、今回のマンション建設で現場作業員をしている人なの。ここまで案内してくれたのよ」


「じゃあ、あの人はこの間起きた建設現場の重機が宙に浮いた時にも現場にいたんですか?」


 凜は驚いているようで


「そんなことまで知っているの?」


「資料館の館長さんが話してくれました」


「そうなのね。まぁ、そうよ。彼は現場にいた。証言も聞きたかったし、それに小さな頃十四日町に住んでいたって言うから、話を聞いていたんだけど、調査に同行したいって言われてて困っていたところだったの」


 それに対して紗理奈が


「どうして同行しちゃ駄目なんですか?」


 凜は諭すように


「えっとね、これはとても危険なことなのよ。社長さんからは山の神の怒りを鎮めて欲しいとは言われたけれど、出来るか解らない。山の神との対話は難しいのよ。何もできないで終わる可能性の方が高いわ」


 瑠美は思いついたように


「じゃあ、美鬼ちゃんが対話すれば良いんじゃないんですか?」


「それは最後の手段ね。今は私達の力でどうにかしないといけない。何でも頼ってしまうのは良くないわ。鬼である美鬼ちゃんを山の神が恐れる場合だってあるのよ。恐怖による対話では意味がないのよ。鬼は恐ろしい存在であることは人間でも妖怪変化達の間でも一緒よ」


「美鬼ちゃん、可哀そう」


 紗理奈は自分の心の声が実際に出てしまった。凜はそれでも顔色一つ変えずに優しそうな表情で


「そうよね。あんなに良い娘なのに……鬼というだけで彼女は恐れられる。あの娘も苦しいのよね」


 凜が見つめている瞳にどんな景色が写っているのだろうと思った。この間の麗との話から少しは美鬼に対して理解しているということなのだろうか。バス停までの道中でマンション建設反対の看板があちこちにあった。それを見て凜が


「私は建設工事が再開されない方が良いと思っているの。このままだと妖怪変化達の住む場所がなくなってしまうと同時に、後世に残せる緑がなくなっていく気がするもの」


 そう言って凜はにっこりと笑って見せた。三人はバスに乗り込んで紗理奈と凜は「五日町」の所で降りることになり「じゃあ、また明日」と言うと瑠美は「またね」と返事してくれた。バスを降りてから凜は紗理奈に


「じゃあね、紗理奈ちゃん」


「はい、さようなら」


 そう言って水木神社に向かって歩いて行った。アパートだったら途中まで一緒の帰り道だったのにと思ってしまった。

 翌日、日課となった瑠美との登校を楽しみに胸を高まらせながらいつものバス停で待っていた。いつもの時間通りにバスが来て瑠美が降りて「おはよう黒木さん」に「おはよ瑠美ちゃん」で返した。そして、瑠美が


「もしかしたらだけどね。今日の放課後も十四日町に行くよ」


「別に良いけど、またバスで行くのは遠いなぁ」


「もしかしたらね。まだ連絡が取れないから、どうなるか解んないの」


「誰と?」


「それは楽しみにしててね」


 というので放課後までどうしても教えてくれなかった。それというのも瑠美は休み時間には何処かに行ってしまい、授業前に帰ってくるを午前中は繰り返した。

 お昼は一緒に食堂で食べたのだが、「何処に行ってたの?」と聞いても「ちょっと電話してた」というだけで何も答えてくれなかった。午後最後の授業前の休憩時間で


「また今日も行くことになったからね」


「うん、解ったよ」


「それでね、郵便局前のコンビニで待ち合わしたからね」


「え!? 誰と!?」


「会ってからのお楽しみだよ」


「凜さん? 麗さん? 先輩? あ! 美鬼ちゃんでしょ?」


「全然違うよ。もっと意外な人だよ」


 そう言って前を向いてしまったので誰かと考えていたが、思い当たる人物が連想できずに結局郵便局前のコンビニまで行くまで解らなかった。

コンビニの喫煙所で煙草を吸って待っていたのは、昨日凜と話していた額に一文字の傷がある江戸川建設の社員の人だった。昨日とは打って変わって私服姿で近づいてきた二人を見ると煙草を消して


「どうも、宮崎さんが話していたのは君達かな?」


 紗理奈は宮崎という人が誰か解らなかったが、瑠美が


「はい、お忙しいところすみません。でも、私達が微力ですがお力になります」


「ありがとう。村上敦です」


「小林瑠美です」


「あの、黒木、紗理奈です」


「よろしくね。じゃあ早速行くかい? それともコンビニで何か買う?」


「大丈夫です。行きましょう」


 敦は「解った」と言って停めてある車の鍵を開けて


「さあ、乗って」


 と言って車に乗り込んだ。瑠美は迷いなく後部座席に乗り込んだので、紗理奈も続いて乗り込んだ。それから敦は十四日町に向かって車を走らせた。

 田中とは誰なのか聞いてみたかったが、そんな雰囲気ではないので敦の話に耳を傾けるしかなかった。


「えっと、昨日宮部さんと祠で話している時に会ってるよね?」


 瑠美が


「はい、私達も天地様について調べているところなんです」


「話は田中さんから聞いたよ。それでこれからどうするの?」


「まずは土砂で埋もれた現場に行ってください。そこで何か解るかも知れません」


「良いけどあそこには何もないよ」


「多分あちらから来てくれるはずです」


「解った。君達を信じるよ」


 紗理奈は話が見えてこないので、とりあえず頭に浮かんだことを敦に聞いてみることにした。


「あのすみません。敦さんはどうして天地様について知りたいんですか?」


「俺はね、昔十四日町に住んでいたんだよ。まだ小学五年生の時だった。父親の家庭内暴力が酷くてね、母親も衰弱しきってた。そんなある日、父親から逃げるためにあの山の森に入った。そして、森で泣いて迷子になっているところに同い年くらいの男の子がね、町まで送ってくれたんだよ。その間に俺を楽しませようと一緒に遊んでくれたんだ」


 懐かしむように話をし出した敦は煙草に火を付けた。紗理奈も瑠美も訝しく思ったが、何も言わずに話を聞いた。


「その男の子はね、何処からともなく現れて、他にもいっぱい子供が来た。麓まで行く間にずっとその子供たちと遊んでたんだ。そして、もう一度遊ぶ約束をした。でもね、俺は父親から逃げる為に母親と一緒に親戚の家に行ったんだ。それ以来あそこには行く機会がなくなってしまった」


 そこで瑠美が


「そして、再会したんですよね? その時の男の子と」


「あぁ、落ちてくる重機から俺を助けてくれたんだ。見た時は驚いた。信じられるかい? だって、男の子は、あの時と同じ子供の姿のままだったんだから」


「え!? どうしてその男の子は子供のままだったんですか?」


 紗理奈の質問に敦は


「俺はそれが知りたいんだよ。そして、言いたいことが山ほどあるんだ。あの時のことも、そして今のことも」


 それに対して瑠美が


「大丈夫です。任せてください」


「期待してるよ。一応ね」


 瑠美の自信が何処から湧いてくるのか解らないが、紗理奈を見て笑顔をくれたのでどうでもよくなった。敦は煙草の煙を窓の外に出してくれているのだが、それでも匂いがきつくので嫌な感じだった。瑠美は「えっと」っと言ってから


「この情報が役に立つか解りませんけど、家に帰って調べてみたら、あの森について面白いことが解りました」


「何々? どんなこと?」


 紗理奈がグイグイ顔を近づけてきても、瑠美は嫌な顔一つせずに笑ってくれた。


「実はね、天地様の祠ができたのには、雨乞いの為っていうことの他に、もう一つ理由があったの」


 いつものように間を溜めて良い頃合いで結論を言うパティーンだ。紗理奈はもう慣れているので言おうかと思っていたが敦が


「それって何だい?」


「神隠しがあったんですよ。日照りで田畑が育たなくなる前の年から、あの森に入った子供たちが忽然と姿を消すっていうことが」


「神隠しって不思議な温泉街に行って働くってこと?」


「黒木さん、それは映画でしょ。まぁあながち間違ってはいないけど、神隠しって言うのは突然姿を消していなくなることなの。特に神隠しにあうのは子供が多かった。天地様に連れて行かれたと思った人々は、祠を立てた」


「神隠しにあった子供はどうなったの?」


 紗理奈の的確な質問に、瑠美は待ってましたと言わんばかりのドヤ顔で答えた。


「それが雨乞いをして、祠を立てたら、子供たちは帰ってきたの。そして、天地様の元で働いていたって話したらしいの」


「へぇー。それってどうやって解ったの? だってネットでも情報がなかったって」


「資料館の館長さんに電話で聞いたの。他にも天地様の話がないかってね。そうしたら、この話をしてくれたの。それでね、きっと日照りの前の年から、天地様はこの地にやって来たんじゃないかってことなの」


 それに対して敦が


「えっと、この地にやって来たってどういう意味?」


「つまりですね。天地様は他の地域からやって来た妖怪変化だっていうことです。そこに住んでいた動物が神霊化したんじゃなく、この地を安住の地と決めた妖怪変化」


「その妖怪変化は何なの? 雨も降らせることができて、子供を神隠しにできるのって何?」


「黒木さん、恐らく、天地様は強力な神通力を持つ龍とか蛇、もしくは天狗だと私は思うの」


「龍は何となく想像できるけど、蛇って人間に変化できるの?」


「蛇はね、蛇神としてヤマタノオロチとか、他にも祀られている神社はたくさんあるの。プラスしていうと安珍清姫伝説なんかも有名だと思うけど、それは話が逸れるから置いとくね。あと天狗も相当な力を持ってるし、天狗を祭っている神社は全国で見たら珍しくないしね」


 瑠美の解説タイムは工事現場に着くまで続き、話に拍車をかけてしまった原因は、置いておいたはずの安珍清姫伝説を敦の「それってどんな話?」から始まり語りつくされた。

 工事現場だけを呑み込んだ土砂は、それまでの作業をして掘削していた場所を埋め尽くしてしまったようだ。土砂は現場入り口までで止まっていて、建物二階分くらいの高さがあった。

 車を降りて現場の入り口まで来た三人は、そこで立ち止まって相当な力で曲がってしまった仮囲いを見つめた。地面には「自然を壊すな!」「工事反対!」のプラカードが落ちていた。そこで敦が


「本当にここに来るのかい?」


 瑠美は話が解っているようで


「大丈夫です。このまま待っていただければ良いだけです」


 っと言ったので、紗理奈は


「何を待つの?」


「黒木さん、あなたを信じてるわ」


「え!? どういうこと!? 私の何を信じるの?」


「黒木さん、待ちましょう」


 暫く待つ時間になるのかと思ったが


「ねぇ、何しに来たの?」


 っと何処からともなく声が聞こえてきた。幼い子供の様な声は男の子なのか女の子なのか判断が付かないほどだった。

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