シュガーガールは目覚めない

淡島かりす

ep1.五万円分の夢

「五万円当たった」

 駅前のファストフード店で平日限定の百円バーガーをかじりながら言った友人の言葉に、俺はポテトを咥えたまま固まった。一番長いポテトを細かく食べるマイブームが忘れ去られた瞬間だった。

「当たったって?」

「宝クジ」

 肘を置くとグラつく安っぽいテーブルの向かい側で、友人は端的に事実だけ述べる。

「あれって、未成年でも買っていいの?」

「まぁ店によっては、親同伴でって言うところもあるけどな」

「へぇ。じゃあ奢ってよ」

 そんな軽口を叩けば、「いいよ」と容易に返された。俺は二本目のポテトも食べるのに失敗する。目の前にいる友人の顔をまじまじと見れば、不快そうに眉がしかめられた。それは、いつも部活動で見る表情と変わらない。スマッシュが失敗する度に、りょうはテニスラケットのガットを掴みながら、こんな顔をするのだ。

「涼ってそんな太っ腹だっけ?」

「俺がケチみたいに言うんじゃねぇよ」

 ハンバーガーを頬張り、涼は少し黙りこむ。大きな目に通った鼻筋、所謂「芸能人みたいに」整った顔をしている涼は、試合の度に女子達の黄色い声援を受けている。

 硬式テニスなんて、正直どこの高校でも流行っていなくて、多少経験のある奴なら市内大会の上位に容易に食い込む。俺も涼もその手合だけど、涼だけモテるのはちょっと気に入らない。背なら俺のほうが高いのに。

「ちょっとお願いごとがあってさ。それ聞いてくれるなら、限定セット奢ってやるよ」

「何? また歴史のノートの写し?」

「違う。まだテスト期間じゃないだろ」

 店の窓の外は、少し強い日差しが差している。季節は梅雨の気配が近づく五月の下旬。中間テストはこの前終わったばかりだ。今日はテストの結果が返ってきたクラスが多くて、部活の前に葬式みたいな面をしているのが何人もいた。

「じゃあ何だよ」

「夢があってさ。それに金を使いたいんだけど、一人じゃ難しいんだ」

「夢?」

 俺は思わず笑いそうになったが、涼が真剣な目をしているのに気付いてそれを飲み込んだ。十七歳の俺達にとって、夢だの希望だのは「幼い馬鹿馬鹿しいもの」である。クラスの真面目な奴が「僕の夢は陸上自衛官になり、皆の生活を」なんて言う度に、隣の奴と肘でつつき合いながら「サムい」「イタイ」と笑うような物。

 なのにその時の俺は、涼の言葉を笑うことが出来なかった。

「手伝って欲しいんだ。みつるにしか、こんなこと頼めないし」

「どういう夢なんだよ」

 俺がそう問うと、涼は唇についたケチャップを舐めとってから、至極あっさりとした調子で答えた。

「俺、女の子になりたかったんだ」

「はい?」

 三本目のポテトは遂に床に墜落死した。呆気に取られている俺にはお構いなしで、涼はハンバーガーを食べきって、その包装紙を丁寧に畳む。

「昔から、ずっと」

「ちょっと待って。お前、その……」

 俺が言い淀んでいると、涼はその意味を理解したのか苦笑して首を左右に振った。

「安心しろよ。性癖的にはノーマルだから。女装したいとかそういうことも考えたことない。ただ、小さい頃から女の子になりたかった」

 でも、と涼はトレイの上に小さく畳んだ包装紙を置いて溜息をついた。

「そろそろ夢を諦めようと思ってさ。だから、協力してくれよ」

「協力ってどうやって?」

「簡単だよ。俺の買い物とかに付き合ってくれればいいだけ。女の子っぽいもの買って、試して、それで諦めようと思う」

 涼はいつもの明るい表情で言った。歴史のノートを貸してくれと頼み込む時と同じ顔で。

「駄目か?」

 断られるなんて微塵も思っていない。そんな涼に俺は常に負けてしまう。

「……まぁ、いいけど」

「やった。じゃあ早速行こうぜ」

 でも俺はこの時、断るべきだった。それが、ただ俺の自己満足でしか過ぎないとわかっていても、涼の頼みを聞くべきではなかった。

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