ある魔女の話

橘蒼衣

ある魔女の話

 ある村の一角に月に1度、満月の夜に魔女が集会をするとされる場所があった。その村人たちは“サバト”と呼んでそれはそれは恐ろしい魔術を行っていると考え、その夜は何人たりとも外に出てはならないと定めている。

 実際には今後の業務についてどのように行っていくのか、弟子を取るためのイメージアップを図るにはどうすべきか、という至って事務的な会議なのだ。

 「最近は禁を破る者が多すぎる。」

 「我々は自らの力を社会貢献に使うべきなのだ。」

 今日もまた白熱した議論が繰り広げられていた。

 (仲良くすれば良い話なのに…)

 そんなことを思いながら議論を見守る魔女が一人。

 彼女は魔女と共生する隣村との境に住み、その人々と助け合いながら生活をしている。

 時には干ばつのために雨を降らせ、時には知恵を貸し、また時には医学や薬学の知識を使って人々を助けた。

 彼女はそれが自分の務めだと思っている。中には私利私欲から黒魔術に手を染める者もいたが、彼女にとってはもっての外であった。

 そんな彼女はある会議の帰り道、一人の少年を見かけた。

(この村では夜に人がいるわけはないのだけど…この子は、この村の…?)

 彷徨うように歩く少年は寒さの中、裸足で薄汚れたボロボロの服を纏っている。

(あぁ、可哀想に…助けてあげたいのは山々なのだけど、この村ではこの子を助けることはできないわ…)

 そう、この村は魔女を忌み嫌うのだ。

(もし誰かに見られてしまったら、この子も殺されてしまう…)

 しかし彼女は自身の過去を思い出していた。


 何年前だったか生活苦から彼女の両親は生活の足手まといになる幼い彼女を森の中に置き去りにした。

 酷い扱いを受けてきたとはいえ彼女にとっては唯一の家族に捨てられたのだ。寂しさと恐怖に取り憑かれ、泣きながら森の中を行く当てもなく彷徨い歩いた。

 すると前から歩いて来た人が話しかけてきた。

 「おっと、こりゃ捨て子かい?まったく酷いやつもいたもんだ」

 「おばさんは…?」

 「私ゃこの村と隣の村の境に住んでるクローディア、魔女をやってんだがそこら辺の奴等と一緒にすんじゃないよ?」

 魔女と聞いておののいた様子の彼女の手をクローディアはそっと両手で包んだ。

 「怖かっただろう?でも、もう大丈夫だ。なにせ私が面倒見てやるんだからさ!」

 彼女の身なりから行く当てもないのを知っていたからこそ出た言葉だったのだろう。久しぶりに感じた人の体温に彼女は安堵した。

 「私、おばさんといて良いんですか?」

 例え魔女であっても誰かといられるならばそれで良いと思って出た言葉に魔女は優しく答えた。

 「あぁ、いいとも。私が立派に育ててやるよ」

 こうして彼女は村境に住んでいる魔女に拾われた。

 名も無かった彼女に魔女は“フィリア”と名付けて可愛がった。彼女もまた魔女を“母様”と呼んで慕った。

 彼女―フィリア―は娘として魔女の役割や人々と助け合うこと、思い遣ることの大切さをクローディアから教えられて育った。

 一通りのことが身に付いたある時、クローディアが出掛けたきり帰ってこなかった。窓の外をぼんやりと眺めるフィリアの元に彼女の使い魔であるフクロウの姿をしたミネルヴァがやって来た。

 「お嬢さんにこれを渡して、これからはお嬢さんに仕えろと言われました」

 ミネルヴァから手紙を受け取るとそこにはこう書いてあった。

“私が帰ってこなかったとしたら、それはそういうことだ。でも、誰も恨んではいけない。どんなに憎まれても、どんなに蔑まれても目の前の人にできる最善を尽くしなさい。もう、お前は立派な魔女だ。今までありがとう”

 すぐには理解ができなかった。

 「これって…ミネルヴァ?どういうことなの?母様は?ねぇ!ミネルヴァ!」

 ミネルヴァはフクロウから人間に姿を変えて泣き喚くフィリアを抱き留めた。

 「お嬢さん、主は、いや前の主はお嬢さんを心配してました。今度はお嬢さんが前の主のように人に優しい魔女になってください。それが前の主、クローディアと私の願いです」

 「母様…ミネルヴァ…」

 そして、フィリアはミネルヴァと契約を果たし魔女になった。

 今は亡きクローディアの遺志を継いで慕われる魔女として生きているが、どんなに年月が経とうと彼女の住む村は魔女を受け入れることはしなかった。


 ハッとして辺りを見るとまだ少年はふらふらと歩いていた。

 行く当てもなくただ、歩いているようだった。

(あの時の私と同じだわ…)

 意を決して使い魔を呼ぶ。

 「ミネルヴァ、あの子を連れて帰るわ。人目に付かない道を見てきてちょうだい。」

 「わかりました。では、あの年格好でも歩きやすい道を探してきます。」

 「ありがとう、待ってるわ。」

 ミネルヴァが戻ってくるのにそれほど時間はかからなかった。早速、少年に声をかけた。

 「ねぇ、こんな時間に一人でどうしたの?」

 少年はビクリと飛び上がって振り返った。

 「ぼ、僕はこんな、なので、美味しくも、ないし、良い材料にも、な、なりません、から…。あっ、でも、それで、役に立てるなら、それで、構い、ません。」

 途切れ途切れに言葉を繋ぐ少年の目は哀しみと怖れ、諦めが滲み出ていた。そんな少年をフィリアは堪らなくなって抱きしめた。

 「そんなことはしないわ。お父様やお母様は?」

 「…ずっと、前に、さよなら、しま、した…」

 「そうだったのね…それでこんなところにいたのね…」

 頷いた少年は今にも泣き出しそうな顔をしている。

 「大丈夫よ、もう大丈夫。私が貴方を育てるわ。」

 もう一度、抱きしめると安心したのか堰を切ったように少年は泣き出した。

 「さぁ、私たちの家へ帰りましょう。ミネルヴァ、行くわよ。案内してちょうだい。」

 こうしてフィリアと少年の生活が始まった。


 フィリアは少年に様々なことを教えた。少年は砂に水を撒くようになんでもすぐに吸収していく。あるとき名前を尋ねたが名前はないらしい。そこでフィリアはその聡明さから“ソフィア”と名付けた。

 フィリアはありったけの愛情をソフィアに注いだ。ソフィアはその愛情を一身に受けて育った。

 あれから幾歳か過ぎ、ソフィアはフィリアの願い通り、慈愛に満ちた青年へと成長した。日常の仕事の手伝いをしながら隣村の子供たちに生活に必要な知識を教えるソフィアは輝いていた。

 「師匠!今日は子供たちに薬草の見分け方を教えてきました!」

 「まぁまぁ、泥だらけになって。これで毒草にあたることもなくなりそうね。」

 なんということもない、そんな穏やかな日々を送っていた二人に影が差そうとはその時、誰も思うことは無かった。


 ある時ミネルヴァが息を切らして村から帰ってきた。

 「お嬢さん、坊ちゃん一大事です!」

 「そんなに急いでどうしたの?」

 「疫病ですか?それなら僕が治療班に加わりにいきますよ!」

 事の重大さを知らない二人は何の気なしにミネルヴァに尋ねた。それを見たミネルヴァは更に焦って事情を伝えた。

 「村の人々がここを割り出して森に進軍しています!今すぐここを出てください!こう言っている間にも迫ってきているんです!」

 「こちらでは魔女狩りが横行しているとは聞いたけれど、まさかこんなことになるとはね…」

 「師匠…」

 居心地の悪い沈黙が三人を包む。

 ようやくフィリアが口を開いた。

 「ミネルヴァ、私からの最後の命令よ。契約者をソフィアに替えてソフィアと逃げなさい。」

 「お嬢さん…!」

 「なんで…」

 ミネルヴァの悲痛な叫びとソフィアの嘆息が入り交じる。覚悟と悲しみの籠もる瞳でフィリアはソフィアを見つめた。

 「あなたと一緒に過ごした日々は私の人生の中でかけがえのない宝物、愛しい記憶になったわ。これでお別れになるのは残念だけど、その優しさと賢さを活かして立派に生きるのよ。」

 名残惜しそうにソフィアの頰を撫でる。そんなフィリアの手をソフィアはそっと取った。

 「師匠…いや、フィリア。僕は逃げません。最愛の貴女と離れる理由なんて何処にもありません。それに貴女のいないユートピアより、貴女と共にあるディストピアを選びたい。」

 呆気にとられるフィリアにソフィアはそっと口づけた。

 「僕はずっと前から愛していたんです。母としてでもなく、弟子としてでもなく、ただ一人の人間として…ずっと…」

 遠くから村人たちの声が聞こえてくる。そんなことも気にならないほど互いに唇を合わせた。

 「良いところに申し訳ないですが、もうそこまで迫っています!今からでも遅くはありません。ここは私がなんとかしますから二人とも逃げてください!」

 ミネルヴァの言葉に二人は顔を見合わせるとそっと首を横に振った。

 「ここに契約の解除を。ミネルヴァ、今までありがとう。これであなたは、もう自由の身よ。」

 「お嬢さん…」

 涙を流すミネルヴァは腹を決めたように二人を見据えた。

 「では、はぐれ者の気まぐれってことで私もここにいさせてください。毒を食らわば皿までってね。」

 何かが吹っ切れたように三人で笑い合った。

 遂に村人たちが辺りを囲んだ。

 「魔女風情がここまで生き延びるとはな。だが、それもこれで終わりだ。覚悟しろ!!」

 村人の代表者の声が聞こえた。小屋の周りを目張りする音が響く。

 「これでお終いみたいね。」

 「最期まで…いや、どこまででも貴女と共にあります、フィリア。」

 「ふふっ、母性かと思っていたのに、いつからか私の方が溺れてたみたいだわ。こんなはずじゃなかったのにね。」

 「私こそ何百年と生きてきて、こんな素っ頓狂な主人たちは初めてでしたよ。それもまたクローディアやお嬢さんに坊ちゃんの良いところなんですけどね」

 幸せを噛み締めるかのようにフクロウの姿に戻ったミネルヴァを間に挟んでフィリアとソフィアは抱き合った。


 そして、小屋は炎に包まれた。


 翌日、隣村の人々がいつものように二人の家へ行くと、そこは焼け跡になっていた。そこには季節外れの福寿草が三輪、寄り添うようにして咲いていた。まるで永久の幸福を歌うかのように。

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