第78話 オーバーキル

 2018年12月*日 10時30分 R県S市。


 玄関口から部屋を見渡す。入居者である48歳の男───契約者Kの持ち物が全て消え去った伽藍とした空間。

 スマホをコートのポケットに入れて、私は振り返った。通路へと出る。

 本当か? 胸中で呟く。


 私はこれまで明渡催告を『〇月〇日に強制執行(明渡の断行)をしますという紙を貼るセレモニー』と何度も書いた。催告がセレモニーなら強制執行は『作業』だ。

 部屋の明渡の強制執行の殆どは、その日の為に手配された作業員が荷物を運び出す作業でしかない。


 もちろん入居者が部屋に居れば交渉も発生する。しかし催告はともかく強制執行日(断行日という)に入居者が居るケースは、かなり少ない。

 部屋の中に家財道具が丸々残っているか、必要なものだけ持って出て行っているか、ほぼ全てを運び出しているか、それはマチマチだが。


 私は家賃保証会社の管理(回収)担当者だ。強制執行時にやる事など、ドアのカギを開けて閉める程度。私にとっては作業とすら呼べない。

 

 15分程、時間を戻す。


 302号室から荷物を運び出す作業員を通路の端で眺めながら、ポケットからスマホを取り出した。ディスプレイに、私がいま立っている建物を管理している不動産会社の社名が表示されている。


 不動産会社にもよるが、極端に業務が属人的な会社が多い。『担当者しかわからない』という事がやたらとある。家賃保証会社にもその傾向はあると思うが、不動産会社ほどではない筈だ。

 今日この日、Kの部屋の強制執行が行われる事を知っているのは、もしかしたらその不動産会社では担当者一人なのではないか。


 勿論、その不動産会社との取引はKの部屋だけではない。物件によって担当者も異なる。だから誰が電話してきているのかわからなかったが、聞こえてきた声はKの部屋のあるマンションの担当者だった。


 今日は休みではなかったのか?


 強制執行日に不動産会社や家主が来るのか来ないのかは、本当にケースバイケースだ。    

 来たければ来ればいいし、来たくなければ来なくていい。来る会社もあるし、来ない人もいる。それで構わない。サービス業ですから、家賃保証会社は。不動産会社や大家に手間はかけさせません。もっとも、彼らは我々にビタ一文支払ってはいないが。


 強制執行が終われば大家や不動産会社に鍵の交換をしてもらう必要があるが、別にその日その時間でなくても構わない。前述したように鍵の開け閉めは家賃保証会社の人間がすれば良い。訴訟を依頼した弁護士事務所へ頼む事もできる。


「今日は休みじゃなかったんですか?」


「ちょっと仕事があって、少しだけ出てきたんですよ」──そこから彼は用件を続けた。

 その不動産会社は、営業時間外の電話応対を他社に委託している。全くの別会社のコールセンターで、単に用件を聞くだけ。そこで受けた用件は次の営業日に対応する。

 

 今日の午前2時頃にそのコールセンターへ『Kが死んだ』という連絡があったという。部屋で発見されたと。


「今日って強制執行ですよね? 停止されますよね?」


 停止にはなるかもしれないが、そういう問題でも無い。なぜなら──「もう終わりますよ」


 ゴミ袋を2つ両手に持った作業員が私の前を通り過ぎた。302号室から出てきた執行補助者と目が合う。彼は作業の終了を目くばせで告げた。


「その連絡って誰からあったんですか?」


「警察らしいですけど、詳しくはわからないです」


「私、昨日Kさんと話してますよ」


 彼の話は『Kが死んだと警察から連絡があったらしい』だけ。それ以上の情報が無い。そのコールセンターは何を聞いてたんだよと思うが、もう強制執行は『終わった』のだ。

 それを伝えて、鍵は交換しておいてください、何かわかったら連絡しますと伝えて通話を終える。


 執行補助者に電話の内容を伝える。「人が死んだ風には見えなかったけど……」彼は首を傾げて「終わったし、部屋の中を見れば?」と続けた。

 家財道具やゴミの類は全て運び出された部屋。室内に立っている執行官にも同じ話をする。彼も執行補助者と同意見。

 強制執行を止めたいあまりの狂言の可能性を私はあえて口にした。近寄ってきた執行補助者が「かもね」と同意する。実際『いまさらそんな事言われても』なのだ。もう終わったのだ。執行官も執行補助者も次の仕事へ行かねばならない。私にも他に仕事がある。


 ドアにカギを閉めて、私は彼らを見送った。そして再度、ドアを開ける。


 玄関口から部屋を見渡す。入居者───契約者Kの持ち物が全て消え去った部屋。  

 狭い1Kの部屋ではあったが、物が何もなくなればガランとなる。

 スマホをコートのポケットに入れて、私は振り返った。通路へと出る。

 本当か? 胸中で呟く。


 何の臭いもない。何の痕跡も見当たらない。そして私は昨日、確かにKと話をしている。


 Kとの経緯を延々と書いては冗長に過ぎる。一言でいえば『支払いもしないのに住み続けたいと言い続けた男』だ。

 乱暴な態度を取るわけではないが『面倒くさい』が凝縮した男だった。


 入居直後から支払いは無かった。収入は生活保護。住宅扶助(家賃)は当然支給されている。

 支払いの約束は何度か交わした。7、8回は会っている。

 薄い髪。タバコで変色したガタガタの歯。原因がわからないシミの沢山ついたチノパン。一見痩せているが、張り出た腹を覆うシワだらけのシャツ。本来の白色が消失しているソックス。スニーカーだけがやけにキレイだった。記憶にあるのはその服装だけ。


 S市の生活保護の担当者を交えて面談し、支払いの約束をした事もある。にもかかわらず一度も払わなかった。


 お金が用意できたと電話してきたので集金の約束をして、すっぽかされた事もある。

 さすがに『部屋を出て行ってくれ』と、私らしくなく直接的に伝えた。直後に逮捕された。


 事件の内容は今もってわからない。

 家宅捜査や面会時に会った刑事が教えてくれないのは仕方ない。しかし警察署で面会したK自身ですら何も答えなかった。


「荷物はこちらで処分しておくから部屋の明渡に同意する書面にサインしてくれ」と話して書面と切手を差し入れた。返ってきたのは『住み続けたい。釈放されたら全額払う』という内容の手紙だ。この時点で明渡訴訟を提起した。


 1ヶ月ほど拘留された後に釈放された。その時点で少なくとも生活保護の住宅扶助(家賃)は停止されている。生活扶助(生活費)は支給されているようだったが、住宅扶助の返還請求を検討しているとS市の担当者は言っていた。


 何度も、不定期にKは電話を掛けてきた。内容は1つ。『延滞を全額、来月払うから訴訟を取り下げてくれ』『来月出て行くから訴訟を取り下げてくれ』。


 裁判の答弁書にも同様の内容。おかげで判決が出るのが何度か延びた。全く家賃を払っていないのだ。当然『部屋を明渡しなさい』という判決が出た。そしたらKは『住み続けたい』と控訴してきた。

『単に家賃を払ってない』だけなのだ。その地裁判決が高裁でひっくり返るわけがない。審議以前の問題だ。控訴は棄却。判決は確定。が、4ヵ月以上はロスした。まさしく時間の無駄だ。

 

 改めて書き出しても『面倒くさい』以外の感想がない。


 その『面倒くさい』の集大成が昨日──強制執行前夜の電話。時間は21時になろうかという頃だった。 


「来月出て行く準備が整いました。強制執行を取り下げてください」

 いままでの、のらりくらりとした口調とは打って変わって、ひどく神妙なKの声が聞こえた。

 神妙だろうが軽妙だろうが、何が変わるわけでもないが。


「いまさら出来るわけでないでしょ。明日ですよ」

 苦笑いを音にして、私は答えた。


 訴訟や強制執行の取り下げ自体は簡単に出来る。それは『第66話』で書いた通りだ。

 しかし強制執行の前夜では裁判所も閉まっているからさすがに無理があるし、そもそも取り下げなど出来ない相手だから訴訟に至っているのだ。

※第66話 コロナ禍での家賃延滞の、終わりと途中とこれからと

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885176096/episodes/16816452218963472897


 強制執行前日の日中に目の前で部屋を明渡したなら話は別だが、そうでないなら取り下げなど出来ない相談だ。

 

 今まで私は何度も『部屋を退去しないと取り下げなんてできませんよ』と伝えている。何を聞いていたんだ?

『Kを信用してはいけない』。生活保護の担当者はそう言っていた。全くその通り。その信用できない人間の相手もようやく終わる。あとは退去後の延滞客を追跡する部署の仕事だ。


「悪い事は言わないんで、必要な荷物をもって今日出て行った方が良いですよ」──私は薄い笑顔を浮かべ、精一杯の慈愛に満ちた誠実な声音を作った。


 そうだ。Kはそれでも『来月出て行くから強制執行をやめさせてくれ』とか何とか言っていたが、私は電話を切った。時間の無駄だからだ。本来の終業時間はとっくに過ぎている。いい加減に帰宅したかった。私は会社員なのだ。


 それから数時間後に、死んだ?


 現時点で私にとってのKの案件は完全に『解決』している。強制執行で終了しているのだ。

 仮にKが生きていて部屋に戻ってきても、それこそ不法侵入で警察の出番。死んでいるならそれだけの話。

 確かに何の確認もしないというわけにはいかないが、それは不動産会社がやれよとも思う。しかし家賃保証会社というのは、不動産会社が商品を使ってくれてナンボの商売でもある。

 大家も不動産会社も家賃保証会社に対してビタ一文払ってないけれども……(払うのは全て契約者=賃借人)。全く、士農工商イヌネコの下に管理(回収)担当者だ──愚痴はよそう。

 

 ともあれ、仮に本当に部屋で死んでいたのなら、警察が何かしらの捜査にやってくる可能性もゼロとは言い切れない。

 まぁ、本当に捜査が必要なら部屋に何かしらの痕跡を残すなり不動産会社へ警察がもっと明確に連絡しているとは思ってはいたが……ああ、面倒くさい。


 調査といってもできる事は殆ど無い。単にS市の警察署へ電話するだけだ。

 Kの部屋で死体が発見されたのか? 明渡の強制執行が行われた事も伝える。もう部屋には物なんか何も無くなってしまったけど良いんですかね? 

 電話の向こうの警官は、ちょっと調べてみて連絡しますとだけ答えた。

 

 その日の夕方。

 私は延滞客の玄関ドアをノックした。応答は無い。いつもの事だ。


 ポケットに入れたスマホから着信音が聞こえた。電話から聞こえる男の声。彼はS市警察と名乗った。

 歩きながら会話を続ける。


 午前1時半頃に警察が安否確認のために入室。Kの死体が発見された。ドアの鍵はかかっていなかった。Kを運び出す時に室内にあった鍵でドアを閉めて今は警察署で保管している……?

 社用車のドアを開けながら私は尋ねた。

「誰が警察に連絡してきたんですか?」


「友達らしいですよ」

 彼自身は直接にはKの件を対応していない。しかし記録を見ながらなのか、実際に担当した警官に聞いたのか、回答には淀みがない。


「鍵が開いている部屋の前から?」

 ソイツが殺したんじゃないのか? いや、警察が『何の事件性も無い』と判断している事は既に察していた。


『室内にモノが何もなくなった事』を全く問題視していない。部屋に再訪する予定も無いという。

 遺族に連絡を取っている最中という事だが、死体はKだと確定している。


「それ以上の事はちょっと……」


 教えられないのならばそれ以上を聞こうとも思わない。私の仕事はそういうものではない。『よくわからないけど死んでいます』と不動産会社に説明できればそれで良い。

 文字通り、これで『解決』だ。


 家賃保証会社が介在する明渡訴訟は『必殺』に近い。なぜなら家賃保証会社が関わる明渡訴訟の原因はまず殆どが──少なくとも私の知る限りは全て──『家賃滞納』だ。

『騒音がうるさいから退去してほしい』などという場合は、家賃保証会社は普通は関与しない、というよりできない。そんなものはそれこそ物件を管理する不動産会社と大家自身の仕事である。

 単に家賃を払ってない場合『部屋を明渡せ』という判決はまず取得できる。

 居住継続を認める和解が成立する事も稀にはある。それでも『次に延滞したら強制執行の申立てが出来ます』という和解になるので、それはそれでノド元に刃を突きつけた状態ともいえる。

 

 Kのような単身世帯の場合は、入居者が死ねば『部屋を出て行ってもらった』と殆ど同義だ。残された荷物の処分の問題はあるとしても、誰も住んでいないからだ。


 警察との通話を切ったスマホを社用車の助手席に放り投げて──今更死ぬかね。胸中で呟いた。『オーバーキル』という言葉が頭に浮かんだ。


 不必要なまでに相手に損傷を与えるとかそういう言葉だったか。

 ゲーム的な意味なら、1の体力を削れば勝てるのに1億のダメージを与えるようなものなのだろう。


 連想したのは『必殺』の剣と槍。仮にそれをプレイヤーが1本づつ持っていたとする。

 敵を1体倒すために、2本を同時に使えば『意味がない』。どちらか1本で目的は達成できるから。


 私の仕事の範囲で見た場合、強制執行でもKの死でも『解決』だ。

 もちろん、人の生死をゲーム的な形容で捉えて良いわけがない。その不謹慎さは理解している。それでも、私の仕事の範囲で見た場合は、そうだ。


 まさしくオーバーキル。


 小さく舌打ちをして、エンジンキーを回した。


 私の働く会社の入るビルの地下駐車場に、社用車を停めた。朝から車を運転していたので、背中や首が固くなっている。ペダルを踏み続けた右脚に違和感を覚えた。

 右、左と1度づつ首を傾けた後、溜息をついて助手席のバッグを掴む。車から降りて、ドアをロックした。

 エレベーターに向かうために振り返ると、5つ年上の同僚と目が合った。彼の仕事は営業だ。私とは違って延滞客に対応する仕事ではない。

「お疲れ様です」

 私は小さく頭を下げた。


「お疲れ」

 そう答えて、彼は右手を小さくあげた。私と同じく、いま外出先から戻ってきたようだ。

  

 「今日はどこ行ってたの?」

 並んで歩きながら、エレベーターを待ちながら、Kの件を伝える。興味をもったようで、エレベーターに乗った後もいくつか質問された。

 他に誰も乗っている人がいないので、会話は問題ない。雑談がてらに答える。エレベーターが会社のあるフロアで停まった。

 全て聞き終わった彼は小さく「そうかぁ」と呟いた。


 エレベーターのドアを抜けて、再び歩きだす。彼は小さく頷いた後に私を見た。

「あんまり気にしないようにね」


 何のことかと数瞬、戸惑う。私は歩調を緩めた。

 ああそうか、Kの死のトリガーを引いたかもしれないと、私が自責の念に駆られているかもしれないと──?


「本気で仰ってるんですか?」


「いや、どうなんだろうと思って」


「もっと早く死んでたらもっと早く解決したのにとは思いましたが」


「よくそんな事が言えるね」

 苦笑を残して、会社の入口の手前にあるトイレへと彼は入っていった。


 例えば自分の使う通勤電車が飛び込み自殺で停まったり遅延したら、どう思うだろうか? 自ら命を絶つには相応の事情があると想像できても『死ぬなら他の所で死んでくれ』と思わないだろうか?

 混雑した駅や電車の中で死者を悼んでいる人を、少なくとも私は見た事がない。

 Kに対する私の感覚はそれに近い。


 ましてや『Kを信じて強制執行を取りやめましょう』──無理。そんな選択肢は無い。

 

 部屋を出て行ってもらうか延滞した家賃を払ってもらうか。ただそれだけ筈なのに、ひどく長引いた仕事。それが一つ解決した。

 最後まで面倒だったが解決した。それだけ。


 他に何も無い。


 彼を横目で見送って、私は会社の入口の5歩手前で立ち止まる。ポケットからスマホを取り出した。ディスプレイを数回叩く。

 今夜は知人と夕食の約束がある。時間通りに行けるとメッセージを送る。

 

 今日は面倒だった案件が一つ解決した。それだけ。 

 

 他に何も無い。

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