チョコレートは虚礼と葛藤の味
鮎川剛
チョコレートは虚礼と葛藤の味
僕はチョコレートが好きだ。クラスメイトに”カカオ”とあだ名を付けられるくらいにはチョコレートが好きだ。だが、それだけにバレンタインデーが嫌いだ。
考えても見ろ。お店で売ってるチョコレートは、メーカーさんがどうすれば一番美味しく消費者に食べてもらえるかを真剣に真剣に考え抜いた末に、あの味になっている。だというのに、それを手作りチョコなどと銘打って、素人の下手くそなテンパリング技術で劣化させたものを渡されてみろ。世の女の子たちには悪いが、それはチョコレートに対する侮辱と言わざるを得ない。
ならば、高級なチョコレートをそのまま渡せばいいのか? いや、それも違う。僕はチョコレートを愛しているのであって、別に高級なチョコレートを愛している訳ではない。
例えば、百円の板チョコを食べたい時に高いチョコレートを貰ったって仕方がない。食べたい時に、食べたいチョコレートを、食べたいように食べる。これが幸せなのだよ。
時に、なぜ僕がこんな話をすると思う? 答えは簡単だ。二月十四日、よりによって今日この日、学校から帰ろうとしていた俺を呼び止めた奴がいる。クラス委員の浜田ユリ。真面目な態度、柔らかい物腰、そして何よりも、その容姿でクラスでも一番の人気を誇る、いわばマドンナという奴だ。
チョコレートを渡されようとしている。僕がこの結論に到着するのに時間はかからなかった。振り向いた時には、返事を考え付いていた。
「ごめんなさい、そういうのは受け取らない主義です」
こう言うつもりだった。だが、その言葉は口から出ていく直前、何者かに押しとどめられた。
──いいのか? こんな美少女からチョコレートを貰えるなんて、一生で何回あるか分からないぞ──
ああ、悲しいかな、男の性だ。どれだけ抑え込んでも、僕の中の悪魔がささやく。
天使? だいたい同じことを言っていたから割愛する。だが、こいつらの言うことにも一理ある。僕はこれまで、幼馴染のリカ以外の女子と話をしたことがほとんどない。勿論、チョコレートなんて一度も貰っていない。女子たちの人気を集める一部の男子に嫉妬しなかったと言えばウソになる。だが、それでも駄目だ。僕は自分で納得したチョコレートしか食べたくない。誇りにかけて、ここは絶対に断らないと!
「いや、いいよ。気持ちだけ受け取っとく」
ああ、是非とも褒めていただきたい。僕は天使と悪魔の両者を前にしてなお、理性の力でそれを押し返したのだ。精神の力は偉大だ。強い気持ちがあれば、人間、出来ないことはない。
「え? やだ、大げさだよ。これ、ただの義理チョコだよ?」
……え? ああ、なるほど、僕はとんだ勘違いをしていたみたいだ。ふん、クラス委員ともあろうものがこんな虚礼に参加するなんて、とんでもない。いやあ、取り越し苦労だったようで何よりだ。ここまで来ると笑いさえ出てくる。
そうとなったら、さっさと帰ろう。家に帰れば、大好きなチョコレートたちが待っている。今日は何を食べようか? 期待と喜びは階段を一段降りるごとに強くなっていく。一階に着いた時には、下駄箱で靴を履き替えるのさえ面倒だった。凄まじい勢いで下駄箱の前に駆け寄って、自分の靴を取り出そうとした、その時だった。
「カカオ!」
聞きなれた声。間違いない。幼馴染のリカだ。
「その呼び方はやめてくれって言っただろ? 何の用だ?」
「そ、その……カカオがこういうの嫌がるのは分かってるんだけど……」
「どうしたんだよ、そんなにモジモジして──」
その瞬間、俺はすべてを察した。信じたくなかった。ああ、天使と悪魔が再び目の前に立ちふさがった。戦いはまだ、終わらない。
チョコレートは虚礼と葛藤の味 鮎川剛 @yukinotama
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