stage 20 動き出す時計 -Karin side-

 築地の高級料亭で、半ば強引に引き合わされた男性の語り口調はびっくりするほどストレートだった。


「いきなりだけど。キミ、これから新しく設立する宗教団体の代表になってくれねーか?」


「・・・・・・」


立場上、私は常日頃からを持ち掛けてくる人物を最も警戒し、そして、"絶対に耳を貸してはならない"と神経を尖らせていたのだ。


(もぉ~。弱ったなぁ・・・。ご飯に釣られた食いしん坊の私が軽率だったよ。得体の知れない宗教関係者と三女がコンタクトを取ったって知れたら、意地悪な週刊誌の恰好の的・・・)


そんな私の困惑をよそに、となりに座るヒロくんは知らんぷりで前菜のアワビをつついている。


箸を動かす手を止めた私は、タイでヨガスタジオを経営するという、いかにもガラの悪そうな男の誘いをきっぱりと跳ね付けた。


「申し訳ありませんが、そういった要件なら他を当たってください。組織にはウンザリなんです。ここで失礼・・・」


「逃げんのかカリン!ほかの誰かじゃだめなんだ」


「逃げる?ちょっと待ってください!今のセリフは聞き捨てなりません。しかも初対面の女性を呼び捨てですか?」


自分の顔が怒りでパッと紅潮するのがわかった。


「アッハハハハ。これは失礼。それではあなたの大好きなお父様からいただいた"ホーリーネーム"でお呼びしましょうか?」


「・・・・・。いったいなんなんですか?私は今、凶悪な事件を起こした教祖の娘というレッテルを背負って必死に戦っているんです。公安のしつこい尾行や耳を疑うような誹謗中傷に耐えながら・・・。それでも世間は一向に赦してくれそうにありません。犯罪者の娘だ!死刑囚の娘だ!って。アナタに存在そのものを否定される辛さが分かりますか!」


気づけば私は、滴り落ちる涙を拭いもせずに、怒りとも絶望ともとれる感情を、じっとこちらを見据える男にぶつけていた。


「カリン・・・。俺は赦す」


「はい?」


「俺は赦すよ・・・。カリンは一ミリも悪くねえ。そして何よりも、そのプライド高き情熱的な性格がお前の持ち味じゃねーか。Twitterで安っぽい正論をつぶやいているのは、ただの退屈しのぎだよな?」


「・・・・・・・」


「獄中の麻原は泣いてるぜ。お転婆だったアーチャリーがグジグジ悩んでるって知ったらさ・・・。カリンはこのまま群衆に埋もれるタマじゃない。匿名で粋がる雑魚と戯れてても、そんなんじゃ"止まった時計"はピクリとも動かないぜ」


「止まった時計・・・・」


「だいたいよ、まさかお前はこの国が"法治国家だ"なんて思っちゃいねーよな?」


「バカ言わないでください!日本は法治国家ですよね?だからこそ、私は拘禁反応で精神異常をきたす父との面会を希望し、現時点での死刑執行には反対なんです。無罪を勝ち取ろうとかオウムは間違ってなかったなんて主張をしたいわけじゃない。しっかりと父の口から事件の真相を聞いた上で、正当な裁きを受けさせたいだけなんです!」


「・・・・・・」


「もし仮にこのまま死刑が執行されれば・・・」


「執行されれば?」


「それは国家による計画的殺人です!!」


「ハッハハハハ。青いぜアーチャリー。長くなるから詳細は端折らせて貰うがよ。お前だってうすうす気付いてるはずだ。いや、気付かないふりを装っているだけか・・・」


「何がおっしゃりたいのでしょう?」


「あいにく日本は法治国家じゃねーんだわ。歴然たる人治国家。この世界は、ある一部の羊の皮をかぶった狼たちの意志によって動いている」


「アハハハハ。ナオキさん、それって陰謀論ですか?まるでうちの父みたい・・・」


「おっ、初めて名前で呼んでくれたな。それによ、アーチャリーの笑顔はとびっきりキュートだ」


「からかわないでください。容姿はコンプレックスなんです・・・ 」


「わりぃわりぃ。ともかくだ。この場で世界の裏事情を論じあってる暇はない。詳細は家に帰ってからベンジャミン・フルフォードの動画でも見て研究してくれ」 


「・・・・・・・」


「またヴァジラヤーナを始めるぞ」


「・・・・・・・・」


「なんだよ?あんまり乗り気じゃねーな?」  


「乗り気とか乗り気じゃないって・・・。まるで、明日のデートにでも誘うように軽く言わないで!」


「はっははは。いかにも恋する乙女って感じの悪くねー譬喩だ。だがな、こっちには時間がねーんだ。だから最後にこれだけは伝えておくぜ」


「・・・・・」


「幸か不幸かお前は特別な星の下に生を受けた。見方を変えりゃオヤジさんが最高のステージを用意してくれたんだ。だから諦めろ。普通の女の子として生きる道を。帰ってこいよ。嘘偽りのない真理の世界に。カリンがただ笑うだけで救われる者たちがいるんだ・・・」

 

      ※     ※


 ナオキさんと別れた私とヒロくんは小さな公園のベンチで語り合った。

頭上では切れかかった蛍光灯がチカリチカリと明滅を繰り返している。


「ヒロくん・・・。その・・、バンコクには元サマナの方たちが沢山いるの?」


「はい。居場所を失ったみんなをナオキさんがまとめて面倒見るって・・・。向こうではヨガの講師をつとめたり、コールセンターで健康食品を売ったりと、それぞれの得意分野で活躍中です」


「そか・・・。それにしてもあの人は何者?」


「本人は自分のことをただのバカだって言ってますけどね。アハハハハ。少なくとも我々を裏切るような人じゃありません」


「・・・・・・」


「カリンさん。いや、アーチャリー。あなたの人生にとって、これが最終最後の分岐点になるでしょう。僕は尊師が目指した仏の国が見てみたい。生きとし生けるものが幸せに暮らせる国。憎しみも差別もない理想郷を」


「憎しみも差別もない理想郷か・・・。なんだかあの人の勢いならホントに作れちゃう気がするね」


「でしょー?アッハハハハ。あっ、それとナオキさんはこんなことも言ってました。アーチャリーにはあくまで教団代表として振る舞ってもらうが、本尊には"シヴァもびっくりのトンデモナイ神様"を据える予定だから大船に乗ったつもりでいろって・・・」


「アハハハハ。面白い人」


「即断すべきです。明日、尊師や兄たちが生きている保障なんてこれっぽっちもありませんから・・・。あなたがどれだけ悩もうが、苦しもうが・・・、ハルマゲドンでも起こらない限り死刑執行は粛々と進められるでしょう」

 

「・・・・・・・」


「もう一度だけ懸けてみませんか?密教による救済の可能性に。求められるうちが花ですよ。アーチャリー・・・」


     ※     ※


『松本 麗華』

元オウム真理教幹部。教団内の地位は正大師。麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の三女。地下鉄サリン事件発生当時11歳だった。

1988年12月 -「大乗のヨーガ」の修業の成就を認定され、ウーマー・パールヴァティー・アーチャリーのホーリーネームを付けられる。

2015年3月20日 - 地下鉄サリン事件からちょうど20年目に当たるこの日に、本名で『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』を上梓。ニコニコ生放送に出演し、田原総一朗と対談。

※引用「松本麗華」『フリー百科事典・ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。2018年5月5日6:30時(日本時間)現在での最新版を取得。


本エピソードから登場する「カリン」は、上記の松本麗華氏をモデルにさせていただきました。しかし、あくまでもバンコクキッドシリーズはフィクションであり、現在の彼女の思想、行動とは一切関係がないことを念のため明記いたします。

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