欺かれし者の日(6)

「ルイ・ド・マリヤック元帥! 国王陛下のご命令により、貴様を逮捕する! 大人しく縛につけ!」

「黙れ、トレヴィル! そのような大口は、儂を倒してからにしろ!」


 猛者ぞろいの銃士隊が、数で勝るマリヤック元帥の手勢を圧倒し、追い詰められたマリヤック元帥はついにトレヴィルに対して一騎打ちを挑んだ。フランス最強の剣士と称されるトレヴィルを殺せば、逆転できると考えたのである。マリヤック元帥とて数多の戦争で軍功を重ねた武人だ。「トレヴィルだけが勇士ではないぞ」という負けん気があった。


「さあ来い、トレヴィル。三分だ、三分で片づけてやる!」

「ならば、俺は三秒で貴様を倒そう」

「な、なんだと? おのれ! 儂を愚弄する――」


 「愚弄する気か」と最後まで言い終えるまでに、マリヤック元帥は吐血し、仰向けにぶっ倒れていた。トレヴィルがマリヤック元帥の懐に飛び込み、剣で右胸を貫くまで三秒もかかっていない。まさに神速の技、マリヤック元帥は自分がやられたことも知らず、気絶していた。この法務大臣の弟は、裁判の後に処刑される。


「シャルル、アトス。マリヤック元帥をきつく縛れ。連行するぞ」


 剣を鞘におさめたトレヴィルは、ガスコンの少年二人にそう命じた。数十分にわたる乱戦の後だというのに、まったく息が乱れていない。シャルルとアトスは(破格の強さだ……)と舌を巻くのであった。


 こうしてマリヤック元帥を逮捕したトレヴィルら銃士隊本隊は、別働隊の応援へと向かった。他のマリー派の人物たち――ミシェル・ド・マリヤックやバッソンピエールらを逮捕しなければならない。







 優秀な軍人として人々の信望が篤かったバッソンピエールは、反リシュリュー派だったが、国王を害そうとする計画については知らなかった。先王アンリ四世以来の古参の将ゆえに、その陰謀を知ればマリー派を裏切るとマリー太后に警戒されていたからである。


「さあ、君たち。罪無き者を連行するがいい」


 バッソンピエールは、何一つ抵抗せずに逮捕された。彼はリシュリューが死ぬまでの十二年間、バスティーユ牢獄に監禁されることになる。


 行方が分からないのは、マリー派最大の大物、ミシェル・ド・マリヤックだった。彼は国家の印章である国璽を管理する国璽尚書の職にもついていて、国王の偽の命令書をつくることができる。ミシェルから国璽を奪わなければ、偽りの王命を乱発されて国内が混乱するおそれがあるのだ。


「太后様が、リュクサンブール宮殿に匿っているのでは?」


 ポールがトレヴィルにそう言った。ミシェルの屋敷、親族の家は言うに及ばず、パリの街中を銃士たち、枢機卿の護衛士たちが捜し回っても発見できない。ならば、太后が宮殿内にミシェルを隠している可能性が高いと考えたのである。


 陰謀の中心人物であっても、マリー太后は国母だ。命を狙われたとはいえ、実の母に罪を問うことをルイ十三世がためらったため、太后を捕らえろという王命は下らなかった。そのため、誰もマリー太后とその宮殿に手出しはできないのである。


 だが、トレヴィルは「それは無い」と頭を振った。


「太后様とて、反逆罪容疑で逮捕状が出ている人間を匿うような愚は犯さないだろう。おそらく、太后様は法務大臣をパリの外に逃がそうとしているに違いない。大臣がパリを脱出するまでに、何としてでも彼を見つけ出すのだ」


 トレヴィルの読み通り、マリー太后は逮捕状が出された近臣たちを慌ててリュクサンブール宮殿の外に出した。だが、太后にとって大きな切り札の一つであった国璽を所持するミシェルだけは、国王側に手渡してはいけないと考えたのだ。


「ジュサック。あなた、まだ剣は使えるの?」

「片目を失ったぐらい、何の問題もありません。いや、この面白き、血なまぐさい夜に命のやりとりができると思うと、いつもよりも剣が冴えそうです」


 マリー太后は、ジュサックと三人の手だれの剣士を呼び、ミシェルを護衛してパリの外まで脱出させるように命じたのである。


 老体のミシェルは、四人の屈強な剣士たちに囲まれて、怯えながらリュクサンブール宮殿を馬車で出ると、コンピエーニュ城を目指した。コンピエーニュは、マリー太后が、陰謀が失敗してパリにいられなくなったときの逃走先の一つとして考えていた城である。


 ミシェルの馬車がパリの出口の一つ、北東のヴィレット門のすぐ近くまでたどりついた。これで助かると老大臣は安堵のため息をつく。だが、門を目の前にしたとき、夜空から一人の少年が降ってきて、馬車の屋根の上に落ちたのである。







 時間を遡ること、数分前。

 ヴィレット門の警戒にあたっていた二人の銃士見習いが、門の近くに建つ民家の屋根の上で揉めていた。高いところから町を見下ろして、不審人物を捜そうとしていたのだが……。


「アトス。俺を殴ってくれ」


 午後からずっと元気が無く、押し黙ったままだったシャルルが、いきなり口を開いたのである。先刻のマリヤック元帥との戦いにおいては、シャルルは腑抜けみたいになり、まったく戦力にならなかった。そんな友人のことをずっと心配していたアトスだったが、急に変なお願いをされて、眉をひそめた。


「断る。理由も無く、友を殴りたくない」

「あるんだ、ちゃんとした理由が。俺の気合を入れ直して欲しい」


 いたって真面目な顔でシャルルが言うので、どうしたものかとアトスも困り果てた。


「何か、あったのか」

「失恋した」

「ば」


 馬鹿か、こんなときに。そう危うく言いかけて、アトスは口をつぐんだ。アトスはまだ恋をしたことがない。恋を知らないのに、そんな無神経なことを言う資格は、自分には無いと思ったのである。


「ええと……コンスタンスに振られたか?」

「振られる以前の話だった。この十一日間、俺は一人で空回っていただけで……。ああ、もう! 俺はコンスタンスが好きだった。短い初恋だったが、幸せだった。それでいいではないか。コンスタンスは俺に優しい気持ちを与えてくれたんだ。彼女のことで、こんなにもじめじめしたくないのに、俺は情けない男だ!」

「物理的に殴られて、気持ちの整理がつくものなのか?」

「殴られてみないと分からん!」

「だったら、後にしようぜ。いまは任務中だぞ。それに、こんな足場の悪いところで」

「落っこちても構わないから、いますぐ思いっきり殴ってくれ。俺は立ち止まってはいられないんだよ。初恋は終わった。すっきり忘れて、前に進みたいんだ」


 アトスは、やれやれとため息をつくと、「だったら、いくぞ」と合図をしてシャルルの右頬を殴りつけた。異様に頬骨が硬く、殴った側のアトスの左拳がひりひり痛んだ。


「もう一発、頼む。今度は左頬を。護衛士にやられた右手の怪我は、もうほとんど治っているんだろ? 手加減するなよ」


 アトスが「もう勘弁してくれ」と言おうとしたときだった。馬のいななきと車輪の音が聞こえてきたのである。シャルルもそれに気がつき、「あそこだ。こっちに来るぞ」と指差した。もしかすると、ミシェルという大臣の馬車かも知れない。


「さあ、アトス。早く殴ってくれ。馬車がこっちに来てしまう」

「もうそれどころではない」

「これも友のためだと思って、お願いだ。こんなもやもやした気持ちでは戦えない!」


 ええい、存外、面倒くさい奴だ。アトスは力いっぱい、シャルルを張り倒したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る