欺かれし者の日(7)
ガタン!
屋根の上で大きな衝撃を感じたため、馬車が急停止した。御者台で馬を操っていた剣士の一人が「何ごとだ!」と叫んで飛び降り、馬車の屋根を見上げた。そして、「あっ」と驚きの声を上げる。
夜の暗がりにもよく分かるほど両頬を赤く腫らした少年が、屋根の上でレイピア剣を抜いていたのだ。
「近衛銃士見習い、シャルル・ダルタニャン、見参。この馬車に法務大臣は乗っているか」
「このガキが!」と剣士はレイピアを抜こうとしたが、シャルルの意表を突く現れ方に面食らったため、動作がまごついてしまった。剣を半分ほど抜いたところで、馬車の屋根から飛び降りたシャルルの踵落としを脳天に食らい、昏倒してしまった。
「ああ、畜生! アトスに殴ってもらったおかげで、もやもやした気持ちは吹っ飛んだが、今度はだんだん腹が立ってきた! 何だこれ? 俺は誰に対して怒っているんだ? コンスタンスにでもない、兄貴にでもない、自分にでもない。俺が失恋したからって、誰かが悪いわけではないのだ。でも、この業腹な気持ちを発散したくて仕方無い! ……おい、馬車の中に引きこもっている奴ら! さっさと出て来いよ! 取り調べされるのが嫌なら、かかって来い! 今夜の俺は最高に機嫌が悪いから、ぎったんぎったんにしてやる!」
「ひ、ひぃっ!」
もうほとんど強盗と変わらぬ悪者の台詞を吐き、シャルルが馬車を数度に渡って蹴ると、馬車の中から年老いた男の悲鳴がした。シャルルが「法務大臣か!」と怒鳴ると、代わりに馬車から躍り出てきたのは、なんとジュサックだった。
ジュサックのレイピアが、シャルルを襲う。闇夜に殺人狂の刃が三度、四度と閃いた。
(ロシュフォールが言っていたことは、本当だったようだな。太后の手下になっていたか)
五度目の刺突をかわしたとき、ジュサックの猛攻に一瞬の隙ができた。それを見逃さず、シャルルはジュサックの腹に素早く突きを入れた。ジュサックは身をひねらせてよけ、わずかに脇腹が傷ついた。
「片目を無くして、少し剣の腕が鈍ったな。五度も突いて、俺は無傷だぜ」
シャルルが、眼帯をしているジュサックの右目を見てからかった。
「貴様はこの俺を下等な剣士だと愚弄した。絶対に許さん。惨たらしく殺してやる」
「それはどうも。けれど、俺の相棒が、馬車からよぼよぼのお爺さんを引きずり出しているが、お前はあのお爺さんを護衛しなくてもいいのかい?」
「何だと?」
ジュサックが驚いて振り返ると、アトスが馬車の中で震えていたミシェルを外に出し、縄をかけていたのである。馬車の車輪の横、馬の尻の下では、ミシェルを護衛していた剣士たちが倒れ、苦しげにうめいていた。
「シャルル、こいつが法務大臣のようだ。国璽らしき物を持っていた」
シャルルに続いて馬車の屋根に飛び降りたアトスは、ジュサックとシャルルが戦っている間に、残りの剣士二人を瞬く間に突き伏せ、ミシェルを捕らえていたのであった。
「こ、このガキども……。何という奴らだ」
「何という奴らだって? 俺たちは、誇り高きガスコンの剣士だ!」
気勢をそがれたジュサックに対して、今度はシャルルが遮二無二レイピアを連続で突き出した。ジュサックは三撃目まではかわしたが、次に繰り出された攻撃で右ももを突かれ、さらにシャルルの剣の切っ先はジュサックの左胸を狙った。
そうはさせるかとジュサックは左手に持つマンゴーシュで刃を弾こうとした。しかし、シャルルの剣の軌道は蛇のごとく直線からそれ、ジュサックの右胸をぐさりと刺したのであった。子どもにここまでいいように翻弄されて、ジュサックは激怒した。
「もう終わりだ! シャルル・ダルタニャン、次の一撃で貴様を殺してやる!」
憤激のあまり冷静さを欠いたジュサックは、「これでくたばれ」と憎悪の念を込めて、シャルルの顔面めがけて渾身の突きを放った。
シャルルは、剣の切っ先を迫り来るジュサックに向け、ぎりぎりの瞬間で半身を反らす時を待った。
「うりゃぁぁぁぁ!」
(……いまだ! かわせ!)
ジュサックの剣は、シャルルの顔にかすりもしなかった。そして、自らの勢いで、待ち構えていたシャルルのレイピアに飛び込み、その不幸な一撃は左目を貫通した。シャルルの狙い通り、ジュサックは仕掛けられた罠にかかったのであった。
「力みすぎだ、殺人狂」
「俺の目が! 左目が! 右目が! 両目がぁぁ!」とジュサックは絶叫した。がむしゃらに剣を振り回すが、ただ虚しく空を切るだけだった。盲目の男はあらぬ方向によろよろと歩いていく。
「あいつ、逮捕しなくてもいいのか」
アトスが、ミシェルを引っ立てながらシャルルに聞いた。ミシェルはぶつぶつと「り、リシュリューめ。あの非カトリック教徒め……」と呟いている。老大臣ミシェルには投獄された後、非業の死を遂げる末路が待っているのであった。
「ジュサックは命を弄んで、おのれの剣を汚した。だから、最後は剣に身を投げて自滅したんだ。放っておいても、あいつはもう誰も殺せないさ」
闇の彼方、ジュサックの慟哭が聞こえてきたが、彼の姿はもう見えなかった。
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