ロマンス前夜(2)
「シャルル君。気は済みましたか?」
アランがたずねると、シャルルは笑顔で頷いたので、「では、昨日の謝罪を」と三人の銃士たちはそろって若きガスコンの少年に頭を下げた。
「早とちりで豚箱に放り込んで悪かったな」
「後で調べて分かったことなのですが、君が昨日揉めていた相手は口八丁のジャックといって、盗んだ物を売りさばくタチが悪い泥棒だったのです」
「しかも、持ち主が取り返しに来ると、昨日みたいに舌先三寸で相手を地獄に陥れる、ふてぇ野郎なのさ」
銃士たちがかわるがわるにする説明を聞いていて、シャルルは、自分以外にもあのコソ泥の被害に遭った人がいるのか、それは見逃せぬと義憤に駆られるのであった。
「そいつは、必ず俺が懲らしめます」
トレヴィルに向き直り、シャルルはそう宣言した。向こう見ずな性格のシャルルには、あのコソ泥を広いパリの街から捜し出し、鉄槌を下すという根拠無き自信があったのである。トレヴィルは頷き、
「頼もしい言葉だ。それでこそ、ガスコン。銃士を目指す男だ」
と、若き同郷人を褒め称えるのであった。
「もし、そのジャックという泥棒から紹介状を取り戻すことができたら、その日から君を銃士の見習いにしてあげよう」
国王を守る近衛銃士隊はそう簡単に入れるわけではなく、数年間のいわゆる試用期間があり、その間の給料は出ない。銃士隊から生活費だけはもらって、一生懸命に働き、一人前と認められたら銃士の隊服が着られるのである。
「しかし、口八丁のジャックがいつまでもパリにいるとは限らない。ジャックが見つからず、紹介状を取り戻せなかった場合は、銃士隊のために何か手柄を立てなさい」
「手柄、ですか?」
「そうだ。君が銃士としての資質を自ら証明できるのならば、喜んで君を迎えよう」
紹介状が無いのならば田舎に帰れ、と言われるのではないかと心配していたシャルルはトレヴィルの恩情に感謝した。
「お任せください!」
どん! と胸を叩いて、シャルルはトレヴィルに約束するのであった。
しかし、一つだけシャルルには分からないことがあった。
「俺の兄は、銃士隊にいないのでしょうか?」
昨日のことを思い出す。銃士隊長代理の娘であるコンスタンスも、三人の銃士アドルフ、アラン、ボドワンも、シャルルの兄を知らないと言ったのだ。カステルモール家の長男ポール・ド・バツ・カステルモールは、確かに数年前に近衛銃士隊に入ったはずなのに。それとも、兄は「俺は銃士隊に入った」などと嘘の手紙を故郷に送っていたのだろうか。
「いや、シャルル。君の兄ポールは我が隊に所属している。しかも、アドルフ、アラン、ボドワンの友だちだ」
トレヴィルがそう言ったので、シャルルは再度三人組の銃士を睨むことになった。昨日は知らないと言ったくせに、兄貴と友だちだったなんて!
「ま、待て、シャルル。これに関しては、俺たちは悪くはないんだぜ?」
ボドワンが慌てて弁解する。それに続いてアランもシャルルをなだめるように言った。
「そうです。私たちは、本当にポール・ド・バツ・カステルモールという名前を知らなかったのですよ。なぜなら……」
「なぜなら、俺たちの友だちはポール・ダルタニャンだからさ!」
アドルフが役者のような仕草で両手を広げて言うと、今度はシャルルが「誰だ、それ?」と首を傾げた。
(ダルタニャン? その姓は確か……)
シャルルが「もしかして、それは……」と言いかけるよりも前に、新たな人物がトレヴィルの部屋に入って来た。
その人物、銃士隊の隊服である青羅紗のカサック外套を着込み、シャルルと同じ褐色の髪、そっくりな容姿である。違う点といえば、シャルルがギラギラ輝く男らしい目と日焼けした肌をしているのに対して、彼は優しげで女のような目と色白の肌をしていることだ。
「兄貴!」
「シャルル、大きくなったな。六年ぶりだったかな」
相変わらず気取った話し方だと思いつつも、肉親との久方振りの再会をシャルルは素直に喜んだ。
「兄貴。どうして名前を変えて……」
「うわっ。お前、めちゃくちゃ臭うぞ」
「そんなことより、名前……」
「今日からお前は、俺と同じ下宿先で寝泊りする。さっさと帰って身体を洗うぞ。その臭さはいかん」
(人の話を聞かない癖、まったく直っていないな……)
シャルルはため息をつきながら、兄ポールが名前を変えた理由は後でゆっくり聞くしかないと諦めるのであった。
「トレヴィル殿、コンスタンス。今日は私の愚弟がご迷惑をおかけしました」
弟が呆れ顔になっていることなど気にもしないポールは、トレヴィルとコンスタンスに折り目正しく礼を言った。
ポールとコンスタンスの目が合うと、コンスタンスはプイと顔をそらしてシャルルに話しかけた。
「そういえば、シャルルさん。ロシナンテのこと、忘れていない?」
コンスタンスにそう指摘されて、「あ! うっかりしていた!」とシャルルは叫ぶ。トレヴィル邸の厩舎で愛馬ロシナンテを預かってもらっていたのだった。
「はぁ? ロシナンテだって? あの駄馬、まだ生きていたのか」
ポールが嫌なものを思い出してしまったとばかりに、顔をしかめる。気位が高くて滅多に人に懐かないロシナンテが、最も嫌っていた人間がポールで、少年時代のポールがロシナンテに乗ろうとするたびに、あの馬は暴れてポールを地面に叩き落としていたのである。
「しかし、よくあの怠け者がガスコーニュからパリまで人間を運べたな」
「いや、途中から俺がロシナンテを背負って来た」
「売っちまえ! そんな馬!」
ポールがシャルルの肩を小突きながらそう言うと、トレヴィルやアドルフたち銃士三人は声を上げて笑った。笑えないのはシャルルだ。
(兄貴が言うと、冗談に聞こえないから困る)
この長兄だけは昔からどうも苦手だと二度目のため息をついたシャルルは、コンスタンスもぜんぜん笑顔ではないことに気がついた。窓から差し込む夕日のせいか顔が赤く染まり、じっとうつむいている。
どうしたのだろう、と心配するとともに、切ない感情がシャルルの胸を締め付けた。コンスタンスの何気ない表情や仕草のひとつひとつが、シャルルには魅惑の魔法のように思えるのであった。
シャルルがポールに連れられてフォッソワイユール街の下宿に行き、アドルフら銃士たちも退出すると、トレヴィルの執務室には父と娘が二人きりとなった。
トレヴィルは部下たちがいなくなると、早速、服を着崩して行儀の悪い座り方になった。これはトレヴィルの性分で、くつろぐときに服はきちんと着たくないし、姿勢正しく落ち着いていたくないのである。娘のコンスタンスは何度か父を矯正しようとしたが、十二歳のころに無駄な努力だと悟り、人前以外ではトレヴィルの悪癖に文句を言うことはなくなった。
「どうだった」
トレヴィルは言葉短かに、コンスタンスに問う。どうだったとは「王妃様のご様子はどうであったか」ということである。生来のトレヴィルは極端に無口な男で、唯一の家族であるコンスタンスと話すときには言葉数は非常に少ない。それでも、コンスタンスには父の言いたいことが理解できた。
「シャルロットを我が子のように可愛がって、一時もそばから離そうとなされません」
「あの御仁の忘れ形見ゆえな……」
トレヴィルは、五年前に起きたアンヌ王妃の許されぬ恋、ダイヤモンドの首飾り事件を回想する。
当時、二十四歳であった王妃の心を奪ったのは、イングランドの宰相バッキンガム公爵だった。
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