私をかたち作るもの

由良木 加子

祖母の記憶

昭和から元号が変わって間もなく、私は東北の田舎町に生まれた。

いかにも田舎らしい田園風景。晴れた日は、太陽が家の裏にある杉林から昇り、反対側の山に沈むまでの間、何にも遮られることはない。


両親は共働きだったが、祖母と曾祖母が常に家にいて、ませていた私は、隣に住む同級生の「鍵っ子」に少し憧れを抱いていた。


祖母の思い出を振り返るとき、真っ先に引き出されるのは「泣きながら土下座をする姿」だ。その祖母の前には、嫁である私の母が立っていた。私は当時幼稚園に上がったばかりで、その前後の記憶はないが、祖母のうずくまって小さくなった背中と、痛々しい程の嗚咽は、今でも色濃く残っている。


祖母の悲痛な表情を見たのは、ただこれっきりである。


病気の後遺症で左手と左足に麻痺があったが、庭で畑仕事をし、私のおやつを作り、昔話を聞かせてくれた。学校から帰ると、毎日のように近所の人が遊びに来ていて、その中心で周りを照らすように、祖母はいつも笑顔でいた。

不満も漏らさず、人の悪口も言わず、私は祖母以上に寛大で無垢な人をいまだに知らない。


誰よりも明るかった祖母だったが、祖母の部屋は日が沈むと真っ暗だった。トイレの電気の消し忘れを母に厳しく注意され、以来自分の部屋の電気をつけることは滅多になかった。

食卓は家族全員で囲んでいたが、祖母が話すと母はあからさまに不機嫌になった。味噌汁をすすれば、聞こえるようにため息をついた。祖母は口を閉ざし、音を立てずに食事をした。それでも祖母は、笑顔だった。母への不満も、一言も聞いたことはなかった。


子どもの私が知る家族は、この「私の家族」だけだった。歳を取れば理不尽に耐え、慎ましく過ごすほかない。ならば私は、長生きなどしたくない。長生きをしたところで、祖母のように笑って過ごすことは、私にはできっこない。長生きなんぞするものかと、小さな胸に誓った。

私は祖母が大好きだった。同じように、曾祖母のことも、父のことも、姉のことも、母のことも大好きだった。でも、「家族」という集合体が嫌いだった。


高校を卒業し他県の大学に進学した後、闘病の末、祖母は他界した。死に目に会えず、訃報をうけて帰省すると、祖母はもういなかった。亡骸は目の前にあったが、魂の抜けた体は、中身のない「入れ物」のように感じられた。

祖母はもういない。ここにあるのに、いない。不気味さを孕んだ喪失感が、私を覆った。


祖母は幸せだったのだろうか。


私は今も、自分が長生きすることを恐れている。




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