らぶシューズ

めぞうなぎ

らぶシューズ

『2番の下駄箱を開けよ』


********


 登校して、自分の下駄箱を開けるとそんな怪文書が入っていた。

「……?」

 僕の上履きに立て掛けられて、コピー用紙の文面がこちらを向いている。筆跡でバレないようにするためか、ワープロで印刷されていた。

 いきなり、何だ。

 開いた扉を少し戻して、僕に割り当てられた下駄箱の番号を改めて確認する。7番。間違えていない。上から下へ、左から右への昇順で番号が振られ(例えば最左縦列は1番から6番まで)、40人学級たる2年2組の下駄箱には、縦6×横7、計42人分のスペースがある。余った2つは、陸上部所属の女子がクラスの公認を得て使っている。

 どんな理由があって、他人の下駄箱を勝手に開けなければならないのだろうか。

 例えば、それを教唆する文書が入っている時とか。

 恐る恐る人差し指と親指で摘まんで手に取る。裏面には――何もなしか。署名でも入っていれば話は簡単だったが、ここで話が簡単になっても何の利益もない。状況は依然、僕が2番の靴箱を開けるか否かというところで膠着している。

 2番。相島のところか。あいつなら――まあ、いいだろう。よくよく考えてみれば、放課後全生徒帰宅時に他人の靴箱を漁っていれば弁明の余地なくクロだが、朝っぱらの始業十数分前にちょっと開けてみるくらいならば、それほど大事にはなるまい。この紙切れを見せて、一瞬笑い飛ばしてしまえばそれで済むだろう。

 左斜め下に手をかけて、ゆっくり引いた。

 はらり、と紙切れが落ちる。予想外の事だったので取り落とし、軽い音を立てて脱靴場の地面に落ちた。表面には、『3番の下駄箱を開けよ』の文字。一つ開けただけでは済まなかった。一歩踏み出してしまえば、立ち止まるのも億劫だ。僕は匿名の紙片の言う通り、今度は3番を開ける。

 『10番の下駄箱を開けよ』、か。10番。

 『11番の下駄箱を開けよ』、ね。はい。

 『17番の下駄箱を開けよ』……。

 今現在5つの下駄箱を開けたが、未だに中身のある指示は一つとして得られていない。ただひたすら、次の指令を得るための指令に従っているだけだ。これがどこに辿り着くのやら、見当もつかない。

 脱靴場に開閉の音を響かせながら、ただひたすら終わりを手繰り寄せる。24番、29番、34番、39番、38番、31番、25番、20番、13番――。

垣武かきたけくん、何してるの?」

 腰から背筋にかけて、無意識のこわばりが駆け抜けた。要するに、死ぬほどびっくりした。下駄箱を開けるのに躍起になっていて、「下駄箱を開け続ける」という行為の意味については考えが及んでいなかった。むきになるあまり、開いた扉も閉じていなかった。その角で頭を打って負傷などという無様な失態を晒さなかったのは、不幸中の幸いと言えるだろう。

 どんな表情を浮かべればいいのか、答えを得られないまま声の方向へ振り向いた。

「なんだ、内原ないはらか」

「私をハズレみたいに言うのはやめてもらおうかな」

「そんなつもりはなかったんだ」

「上履き王子」

「うっ」

 危惧していた通り、なぜ僕が他人の下駄箱をこうも荒らしているのか、よろしくない方向に勘繰られているようだった。おまけに、片手には十数枚の怪文書を握っている。競馬でボロ負けして自棄になっていると勘違いされると、とても恥ずかしい。

 恥ずかしいので、早々に白状して身の潔白を示す方針に決定した。

「いいか、内原。これには深い理由があってだな――」

「そういうのいいんだよ、垣武くん。大して深い理由じゃないから」

 釈明の余地は残されていないようで、ばっさりと切り捨てられる。このまま教室まで連行されて衆目の前で吊るし上げられ、今後学校生活での呼び名は「傀儡くぐつくつ」になるのだろう。全ては、この一枚の怪文書が僕を狂わせたのだ。そういう意味では、僕は馬券に狂わされたのと似ているのだろうか。

 少しくらい最後に気の晴れることをやってやろうと思って、握っていた怪文書を宙にばら撒いた。

 ばら撒いたが、さして重みのないコピー用紙だったから、ふらふらと不格好に漂って、ぱさぱさと惨めに落下していった。しない方がまだ良かったかもしれない。靴箱を不法にさらった挙句、ポイ捨てで環境まで破壊する。悪漢の誕生だった。

「えっと、垣武くんは、どうしてそんなに項垂れているのかな」

「いいんだ、僕みたいな小悪党は、大人しくしょっぴかれていくから……」

「何を勘違いして被害妄想しているのか知らないけれども――ちょっと、こっち来て」

「ビンタでもパンチでもキックでも甘んじて受けよう」

「いいから、こっちに、来てってば」

「きちんと、きちんと償ってみせますので、どうか、どうか極刑だけはご勘弁ください」

「来なさいと言うのに」

 ぐい、と強く手首を引っ張られ、簾の子からタイルへと落ちる。

「ほら、見て」

「痛い目を?」

「違うよ」

「憂き目を?」

「違うって」

「え、じゃあ何? あとはパンツくらいしか残ってないんじゃないの?」

「寝言は寝て言ってよね」

「すいませんでした……」

 すいませんでした。

「そうじゃなくて、ほら、下駄箱」

 ああ、これはあれだな、実地検分とかいうあれだな。事細かに、自分の犯した過ちと向き合わなければならないんだな。いいだろう、男垣武、しっかと反省させていただきます。

「あ――」

「ね?」

 あ、としか言えなかった。開いた口が塞がらなかった。

 開けた下駄箱が塞がっていなかった。


 ■■ ■■

■  ■  ■

 ■   ■ 

  ■ ■  

   ■   


 そして、ハートマークが浮き上がっていた。

「はいっ、らぶー」

 隣で内原がくつくつと笑っている。僕は呆然と、怪文書の意味を噛み締めていた。

 あれ、こういうことだったのか。

「どう?」

「どうって――ハート、だな」

「源氏パイみたいでしょう」

「風情ないな」

 内原はとことこと自分の靴箱に歩いていき、21番を開けた。

 それから。

「はい、これ」

 可愛らしくファンシーに包装された何かを鞄から取り出し、僕の方に渡してきた。

「えっ、えっ、えっと、え? これは、何でございましょう?」

「今日の垣武くんは色々おかしいね」

「そんなことはない、いつも通りだ」

「テンパってるのかもしれないけど、自己弁護の方向を間違えているよ」

「えー、えー、えっと……。……」

「……」

「これは何ですか?」

 What's this? と尋ねるような感じになってしまった。

「これはペンでは?」

「ないですよね。すいません」

「むむむ、垣武くん、カレンダーって知ってるかな? 日めくりとスカートめくりが似てるやつ」

「8月2日にしか似ないだろ――知っているとも」

「今日は何の日?」

「2月14日――7の段の掛け算みたいな日だろ」

「嘘でしょ?」

「2×7は14だ。証明が必要か?」

「いや、そういうことじゃなくて――垣武くん、今までそういうのに縁がなかったんだね」

「何の話だ?」

「分かってないようだから教えてあげるけど――今日は」

「今日は?」

「なんと」

「なんと?」

「驚くなかれ」

「承知」

「耳をかっぽじってよぉーく聞きなさい」

「昨日耳掃除したばっかりだ」

「本日2月14日は……」

「は……」

「バ」

「バ?」

「レ」

「レ?」

「ン」

「ン――え、版画で使うやつ? バレンの日? バレンくれるの?」

「人の話を聞け!」

「ひぃっ」

「バレン」

「バレン」

「タ」

「タ?」

「イン」

「イン?」

「デー、でしょう?」

「毎年お母さんがアーモンドチョコをくれる日だね」

「本当に今まで親しみがなかったんだね」

「いや、お母さんは肉親だけど」

「そうじゃなくてだね――垣武くんは、女の子からチョコレートをもらったことはあるのかな?」

「昼休みにポッキーをもらったことはあるよ」

「これは――きっと、そういう事だね。一番乗り、かな」

「???」

「変な人だものね」

「???」

「変な人だよ、ふふふ」

「??? えーと、その、状況を説明してもらえると、大変ありがたいのですが……」

「脱靴場という場所柄、私の靴を舐めれば教えてあげる」

「えぇっ!?」

「さすがに嘘だけど」

「そうか……」

「どうしてちょっと残念そうなの?」

「いえいえ、決してそのような事は。滅相もない」

「いいかな垣武くん。バレンタインデーっていうのは、まあ当初の意味からは大分ずれてるけれど、主に、女の子が好きな男の子にチョコレートを渡す日なんだね」

「そうなんだね」

「そして、私が持っているこれ」

 魅力的なピンクの箱をカラカラと鳴らしてみせる。

「これはチョコレートなんだよ」

「ほう」

「私はこれを、垣武くんに渡そうとしているわけだよ」

「ほうほう」

「分かったかな?」

 つまり? 今日というこの日は、女の子が好きな男の子にチョコを渡す日で、女の子(内原)が好きな男の子(僕)にチョコを渡す日で……。日、で……。

 ……。

「えぇぇぇっっ!?」

「うわ、びっくりしたなあ」

「え、なんで?」

「なんでって?」

「え、どうして?」

「どうしてって――もしかして、私の靴箱に入れて上履きの匂いが染み込んだチョコの方が良かったとか、そういう趣味なの?」

「ええ?」

「ん、これは単に戸惑っているだけのようだね」

「え、え、え、え、えぇぇぇぇ、えぇ、あ、そ、そう、そう、そうです、そうですかーそうなんですかーそうねーなるほどねーふーんふむふむそうかそうかなるほどぉー」

「今、ものすごく言動不審になってるけど大丈夫?」

「大、大丈夫、えっと、そうだね、小丈夫くらいかもしれない」

「そうみたいだね。うーん、垣武くんがここまで免疫がないとは思ってなかったねー」

「え、僕は全然風邪引かないけど」

「そうじゃないんだよなー。うーん、ここで全部進めるのは、どっちにとっても健全じゃないかもしれないね」

「何の話でございましょうか」

「混乱を避けるために、質問を一つに絞るよ。いーい?」

「一問一答ですね」

「ん、まあ、そうかもね」

「僕は筆記の方が得意なんだけどな」

「我慢しようね?」

「はい」

「このチョコ、受け取ってくれるかな?」

 小首を傾げて、再びこちらに箱を差し出してくれた。

 内原の寝癖が、朝日に照らされて煌めいていた。

「そ、」

 僕は急に恥ずかしくなって、視線を脇に逸らした。


「速達書留で、受け取らせていただきます……」


 あと、なんか変な事を言ってしまった。

「ふへへへへ、やっぱり垣武くんって変なんだー」

「申し開きのしようがないほどで、大変申し訳ないです」

「いや、いいんだよ。いいんだよ。私の真心が届いたみたいだし――文字通り」

「文字通り?」

「ほら」

 内原は、手で21番――彼女の下駄箱を示した。

「ど真ん中だから」


 ■■ ■■

■  ■  ■

 ■ ☆ ■ 

  ■ ■  

   ■   


 星印のところ、つまりど真ん中だった。

「それと、このお手紙ね」

 内原は身を屈めて、撒き散らかされた怪文書を拾い上げる。

「これも私がやったから」

「え」

「クラスの皆にお願いして、下駄箱を貸してもらいました」

「え」

「もっと言えば、垣武くんが憑りつかれたみたいに指示書に翻弄されるところも物陰から見てたから」

「え」

「面白かったよ?」

「色々諸々、ものすごく恥ずかしいのですが」

「いやあ、それはまだまだこれからじゃあないかなあ」

「え?」


 その時、始業の鐘が、スピーカーから流れ始めた。


「皆ホームルーム始めちゃったなー。遅れちゃったなー。垣武くんと二人で教室に入るのかー。恥ずかしいなー」

 内原は頬に手を当てて、いやんいやんと身を捩っている。

 さっき彼女は、クラスの皆に了承を得て、と言っていた。

 つまり。

 全員が。

 事の成り行きを知っているであろうという事で。

 それはつまり。

 つまり――。

 うわあ。

 教室行きたくねえ。

「鼻血が出そうなのはチョコのせいだけじゃないよね」

 くふふ。

 内原が上履きで爪先を立てる、とんとん、という音が響いた。

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