第三章 大学のときめき〔平成〕

08 お友達は大切

  1 お友達ができた


 ――一九九九三年、四月。


 櫻は、日の出前に、自転車でガシガシと自宅から遠くても最寄駅の亀有駅へ向かった。

 そこから、路線を三つ乗り換える。

 早いに越したことがないので、大抵羽大に三十分前に着く。


 櫻は、羽大農学部育種研で一緒の風間栞さんと、二年生になってから、よく一緒に講堂の前列に座った。


「おはよう。風間ちゃん」


 私はこのおっとりとした風間ちゃんに好感を抱いていた。


「うん、おはよう。何か今日も眠いや。ふわあ……。夢咲さんも二時間半掛けての通学でしょう? 混んでた?」

「いつも通り、半分過ぎたら座れたよ。風間ちゃん、埼玉からだものね、大変だよね」


 風間ちゃんと私は呼んでいたが、風間ちゃんは私を夢咲さんと呼んでいる。

 彼女は一浪して入って来て、私は紫藤美術短期大を出て浪人しているので、二歳異なる。

 それで遠慮しているのかな?

 私としては、夢咲ちゃんか、下の名で呼んで欲しかったが、呼んでくれる方に任せるしかない。


 風間ちゃんのお誕生日は蠍座なので、魚座の私と相性がいい。

 何故星占いの話をするかって?

 それは、私が、絹矢先輩にフォ~リンラ~ブしてしまったから……。

 占いや心理テストの載っている雑誌も買うようになったからである。

 私は、これを『惚れたら買う錯乱の法則』と呼んでいる。

 アニメにしても同じでしょう。

 絹矢先輩の生年月日は、アニ研の名簿でちゃっかり知りました。


「夢咲さん。一時限目いちげん、何だっけ? 法学?」


 既に法学の支度をしている。


一般教養ぱんきょうじゃなくて、専門科目せんもん、病理だよ」

「そか」


 風間ちゃんは何事もなかったかの様に、病理のルーズリーフのページを開く。


「後で、生協でルーズリーフ新しいの買わないと」


 私は残り三枚なのに焦った。


「あ、あたしも用事があるんだった。コピーしないと」


 講義が始まった。

 この教授は版書が皆無でスライドで済ますので、ノートが大変だ。

 でも、全教科を「優」にしないと「特待生」で学費免除にならない。

 どんな授業にも食らいつかないと。


「眠い……」

「風間ちゃん、眠ったら起こす?」

「いや、いい……」


 かく……。


 あらら、落ちちゃった。

 通学も遠いし、薄暗い中で教授のぼそぼそ声だもの、眠いよね。


 ♪ キーンコーンカーンコーン……。


「じゃ、生協行こうか」

「無駄に広いからヤになるよね~」


 てくてくと私達にしては急いで歩いていた。

 二時限目の法学が休講だと掲示板に張られたのを見て、ゆっくりと行く事にした。


 ぐう……。


 朝は、リッチな一人分の納豆掛けごはんだったけれども、もうお腹が空いて来た。


「聞こえた?」

「あ……。ちょっとね」

「きゃあ、恥ずかしい!」

「済んだ事だよ。大丈夫」

「ありがるん、風間ちゃん。コピー先に行こうか」

「ありがとう」


 生協の入り口で、ふと、後ろから知った声がした。


「こんにちは、さーちゃん」


 え?

 このタイミングで?

 風間ちゃんも一緒じゃん。


 ど、どうしよう……!


  2 声のあり方


 さーちゃんだって……。

 櫻は、声のする方に体を向けた。

 声の主と目が合った。


 やはり、絹矢先輩であった。


「おはようございます」


 二回もお辞儀しちゃった。


「おはよう。そして、こんにちは」


 この絹矢先輩には上から言われても嫌な気がしないと思った。


「あ、こ、こんにちは。うっかりしました」


 あ、分かった。

 体と体の距離を取ってくれているんだ。

 だから、視線がそんなに上じゃないんだね。


「えーと、どちらからご紹介したらいいのか」

「こちらは、風間栞さんで、こちらは、絹矢慧さんです」


 ピシーンとした。

 さん付けなら大丈夫でしょう。


「初めまして、風間さん」

「あ、初めまして」


 風間ちゃんは、茶色の肩下迄の髪を押さえて会釈した。


「俺、絹はシルクで矢はアローです」


 ははは、絹矢先輩、面白い所があるんだ。

 シルクアロー?

 あははは。

 えっと、学年とか聞かれるのかな?

 いいチャンスだ、年齢を話そう!


「ちょっと、本見に行くから、またね」


 え?

 行っちゃうの?

 思わず目で追った。

 しょーん……。


「風間ちゃん、コピー機に並ぼうか。今、三人位だよ」

「うん」

「ねえ、夢咲さん。あの人知り合いなの……?」

「う、うん。先日、研究会に入ったばかりで」

「えー。そうなんだ。管弦楽は夏休みに辞めたものね。何に入ったの?」

「えー。まあ……。何とか研究会」

「何それ」

「分かった、分かった。アニメーション研究会だよ」

「えー、そうなんだ。アニ研ですか~」


 風間ちゃんが静かにちろりっと見た。


「やっぱり、オタクなの?」

「訊かれると思ったー! そうですよ。ご多分に漏れず、オタクですよ」


 もう、もう。


「ほら、コピー機空いたよ。風間ちゃん、どうぞー」


 私は、さっと王女様に道を作った。


 ガーコーン。

 ガーコーン。

 ガーコーン。


 コピー機が、鉛の鎧の様だと一人笑った。

 いや、革製かも。

 ん?

 あれは、絹矢先輩……。

 私はストーカーじゃないけど、やっている事は、しつこい探偵だな。

 何を探るでもないけど。

 おー。

 普通だ。

 極普通に本を選んでいる。


 今日は、遅く迄講義があるけど、アニ研に行かないとな。

 明日は、家庭教師のアルバイトだし。


「わっ」


 背中を風間ちゃんに押された。


「ぎゃああああああああ!」


 とっても大きな声で迷惑を掛けた。


「妄想中のレディーを驚かさないでよ」


「ひいいいいいいいいいい!」

「何で風間ちゃんが、悲鳴を上げるのよ?」


 私はその悲鳴で落ち着いた。


「私がどんっきーんだって」

「夢咲さん、どんっきーんって何?」

「えっと、鼓動が痛々しい程にどきどきになる様を表しました」


 栃木は、擬音語が多いと、江戸時代の文で読んだな。

 ひなびた土地には古の言葉が多いらしい。


 そう言えば、絹矢先輩の郷里の訛りはちっとも分からないな。

 北の国だと名簿に書いてあったけど。

 いずれ、話しをしてみよう。


 お嫁さんになるかも知れないしね。

 うふ。

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