第一章 大学の出逢い〔平成〕

02 少年は少女と出逢う

  1 櫻と慧の出逢い


 ――一九九三年、私の記念日。


「初めまして。入会希望なのですが、いいですか?」


 四月十二日の月曜日、早速、心理学が休講だった。

 二時位だ。

 どうしようかな?

 よし!

 これは、チャンスかも知れない。

 一年生の時に、退学を考えたのだもの。

 決行しよう!

 そして、張り紙を見て、部室を覗いたのであった。


 私は、黒い眼をまんまるにした小柄で痩せた長い黒髪をポニーテールにし、辞書が沢山入ったピンクのリュックを背負い慣れて、羽大アニメーション研究会の部室をちろりっと覗いた。


「初めまして。俺は、絹矢慧です」


 ノックして扉を開けると明るく自己紹介してくれる男性がいた。


「失礼します。私は、夢咲櫻です。宜しくお願いします」


 静かに時間が止まったのかと思った。


 これが、出逢いであった。

 夢咲櫻と絹矢慧の。


 細長い部室の中には、突き当たりの窓際に座った青いシャツと銀縁眼鏡の彼しかいなかった。

 逆光線に浮かぶシルエット。

 静穏な中、散った桜が少し舞い込んでいた。


「掛けてよ」


 木の長椅子を勧められた。

 櫻は、気恥ずかしくハイウエストの茶のスカートを直して腰掛けた。


「俺は、農学花卉かき園芸の四年なんだ。もう今年卒業かよー」


 絹矢先輩は、何処か恥ずかしそうに頭を掻いた。


 あらら……。

 私は、現役新入生に見えたらしい。

 ちっちゃいしなあ〜。

 はは、若づくりか?


 しかして、その実態は……!


 只今、お疲れモードの二十二歳。

 この羽大農学部育種研兼バイオサイエンス研究所に二足のわらじを履く。

 訳あって二年生。

 まあ、この話はおいおいアニ研の皆さんにすればよし。

 今から説明したりしたら、話も混乱するかも。


「夢咲さんは、何のアニメが好きなの?」


 絹矢先輩は、普通に話題を振ってくれた。

 ちょっと高めの背を丸めて乗り出して。


「あ、『美少女アルバムシリーズの孤高の戦士Aya』が好きです!」


 もう萌えモードが入ってしまった、私……。

 イケナイワ。

 と言うか、そんな話に花を咲かせたいのではなかったかな。


「へえ、そうなんだ。絵とか、描いたりする? アニ研だと、セル画とか描かないといけなかったりするから」


 見本を見せてくれた。

 今言ったアニメのAyaだった。

 え!

 話を合わせてくれるの?


「これが、アニメ用の塗料。そして、セルね。後は、ペンとか……。そして仕上げるとこうなるんだ。収穫祭で販売するから、ノルマ描いてな」


 私は、くすりと初めて笑みがこぼれた。


「ええ、まあ……」


 ちょっと過去を隠して話した。

 イイ事もワルイ事もスルー!

 そうだよ、スルー!

 流す過去には福来たる?


「何か買っている雑誌とかある?」


 私なんかを退屈させない様に?

 絹矢先輩は、一所懸命話しをしてくれて、何かと話題を振ってくれた。


「『アニメデイ』と『アニメMORE』と『投稿イラスト・シーズンオフ』、3冊位毎月買っています」


 これだけは自慢。

 そんなの自慢しても仕方がないけど。

 一回懲り出すと駄目なんだよね。


「へえ……。そうなんだ。余程好きなんだね」


 笑って言ってくれた。

 それは良いけど、鼻先で笑うのは気に掛かるな。

 でも、とても感じの良い絹矢先輩に、私の心は飛び付いた。


 そして、次第に落ちて行っちゃうんだけどね。


 初戀はつこいの相手と結婚できたら、いいな……。


  2 ギャルですか


 ――翌日、夕方。


「こんにちは。再びお邪魔いたします。夢咲櫻です」


 カラカラカラ……。

 建物が古い割りには、部室のアルミフレームが滑るように開くものだ。


「おー。女子だよ、女子」


 初めての方ばかり。

 そうだよね。

 だって昨日入部したばかり。


「これが噂に聞く女子か」


 女子、女子、言うなよー。


「いや、ギャルだね」


 絹矢せ、先輩……。

 ちょっと死語かと。

 少し私は赤らんでいないかと心配した。


 初戀……。

 きっとこんな甘酸っぱい感じが「戀」なのかしら。

 絹矢先輩……。


「あはは。メカぶち壊しじゃん」


 痩せた感じの絹矢先輩位の背のある方が指差して笑っている。


「設定だけはいいんだけどな」


 ちょっとだけ太めの方も頬杖をしている。


「そうだよ、そうそう。分かってないんだよね」


 絹矢先輩、お友達と談笑している。

 部室のテレビで皆でアニメを観ている。

 どうやら、勇気ゆうきシリーズらしい。


 楽しそうで、いいなあ。

 何かを楽しめる人って、打ち込める人って素晴らしい。

 うんうん。


 今年四年生みたいね。

 多分現役生。

 この羽大学は、半分が現役のまま、半分が浪人してやっと入学しているのよね。

 絹矢先輩は、じゃあ、二十一歳か。

 と、年下。

 理想の五歳年上論はどこ吹く風だよー。


「おーし。じゃあ、帰ろうか」


 アニメが終わって、入部したばかりの私も一緒に帰った。

 薄暗くなり、部室のある会館を出て最寄り駅の羽理科大前迄歩き出した。


「皆さん、男性の方ばかりなんですね」

「おお、人数的に廃部寸前なんだ。やめないでくれよー」


 私はくすくすと笑って返した。


「大丈夫ですよ」


 だって、貴方がどこにいても気になって仕方がないのです。

 今、離れられると思いますか?

 絹矢先輩……。


 一人の先輩に肩の向こうから声を掛けられた。


「俺は中村ね。夢咲さん、渾名あだなとかあったりする?」


「え? 私ですか?」


 振り仰いだ。


「うん、俺はイエロー。カレーライスが好きだから」

「あは。イエローっていいですね。……私はですね。櫻だから、祖母はさっちゃんって呼んでくれていたわ」


 一緒に暮らしていた頃の美濃部ハナおばあちゃんを思い出した。

 どうしているのかな……?


「うん、成る程ね。……じゃあ、『さーちゃん』って言うのはどう?」


 絹矢先輩が提案して来た。


「あ、はい。それでお願いします! 何か恥ずかしいですが」

「さーちゃん、前々。前見て。ぶつかるよ」


「はっはい」


 初めての名前、さーちゃん。

 素敵な渾名をありがとう。


 今迄の渾名は、チビ、ハナクソ、ホクロ、ベロンチョ。

 何も嬉しくないよ。

 でも、絹矢先輩は違うんだね。


 出逢って間もないのに……。

 こんなに、こんなに、胸が苦しいなんて。

 これって、一目惚れ……?


 一目惚れの初戀は、二十二歳の葉桜の頃。


 今でも綺麗な想い出となっています。

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