いつまで餌付けされてんの!

いすみ 静江

プロローグ

01 生きる

  1 生きるさくら


 ――一九七七年、四月。


「うわあ……! 幸花こうか小学校の桜って綺麗なんだね! お堀に、垂れ桜なんだね、おばあちゃん。入学式がもっと素敵になったね」

「そうだねえ……」


 写真を撮ってと赤いランドセルを直した。

 黄色い帽子も忘れなく、さっと被り直した。

 そして、ちょっとばかり背伸びをした。


「さっちゃんのお名前も綺麗で可愛らしいでしょう? 夢咲櫻ゆめさき さくらちゃん」


 母方の祖母、美濃部みのべハナだけが付き添って来ていた。


「いつも良い子ですね。きっとさっちゃんのお願いが叶いますよ。楽しい学校で楽しくお友だちができますよ……」


「お写真パシャしてね」


 お祖母ちゃんが指で四角を作ってくれた。

 写真の撮り方が分からないのだ。


「いいですよ。はい、チーズ」


 その代わり、スナップを二枚、胸に焼き付けた。


 風に応えて垂れ桜が囁く。


 ざざざざ……。

 ――ようこそ、一年生。


  ざざざざ……。

  ――楽しい学校へようこそ。


 ざざざざ……。

 ――お友だちと遊んで、お勉強をしましょう。


 桜の花が強く吹かれて、ひゅるりと巻き上がる。

 ボブの黒い髪やチェックの紺のスカートがふわふわと乱れるた。

 そんな風の悪戯を気にしないで、タタタン、くるくると校庭で花の中を夢を見るように櫻が踊る……。

 垂れ桜が、風のロンドに合わせる。


 ゆらゆら……。

  たたたん。

    ゆらゆら……。

     たたたん。

 ゆらゆら……。

  たたたん。

    ゆらゆら……。

     たたたん。


 ……さっちゃん、どうしたの?

 さっちゃん、そんなに踊ってどこへ行くの?

 学校はこっちですよ。

 お祖母ちゃんと行きましょう。

 入学式はどうするの?


 ああ……。

 これは……。

 夢?


 ああ……。

 これは……。

 幻?


 そうだ。

 夢であり、幻でもあるんだ。

 今は、あのチェックのスカートは小さくなっている。

 それにあの桜は東京のもので、もう雪国に進学したのだもの。


 もう、お祖母ちゃんはもういない……。

 私が羽理科はねりか大生の時に亡くなったんだった。

 お祖母ちゃんが暴れるからと、病院で拘束されていたっけな。


 命って何だろう。


 人は生まれ、そして亡くなる。

 赤ちゃんとして生まれ、精一杯の人生の終焉を迎える。


 生きるって何?

 死ぬって何?


  2 すみれ事件


 ――一九九五年、十一月。


 プルルルル……。

 プルルルル……。


 東京は下町のうちの家電が鳴り響いた。

 北の国からだった。


「はい、夢咲です」

「あ、さーちゃん? 俺、けいだよ。ちょっと大変な事があってさ」

「慧ちゃん。どうしたの? 慌てて」


 社会人になった彼氏の絹矢慧きぬや けいと遠距離恋愛中の大学四年の時だった。


 この時、ふと、彼の妹さんのすみれさんが妊娠したのかと思ったが、そんな大事を話せる訳はなかった。


「すみ、すみ……。菫がさ……」


 私のある意味での悪い予感が的中した。

 慧ちゃんの様子がおかしい。


「菫さん、妊娠したの……」

「そうなんだ。先ず、俺に言って来た。他に誰も知らないよ」


 次は私なんだ。

 信頼してくれているのかな。

 秘密に触れてしまった。


「相手の人は誰? 分かっているのかな?」

「会社の男だって。自覚はあるみたいだ」


 私は、菫さんが可愛いから騙されたのではないかと思った。

 この時には、もう、私が菫事件の蜘蛛の巣に掛かり始めていたと考えられる。


「菫さん、四月に就職したばかりじゃない……?」

「この間、俺んちに帰った時は何も言ってなかった。母さんにも父さんにも……」

「うん」

「彼氏がいる事さえも。……もう妊娠三ヶ月になるそうだ」


 えっと、直ぐにできちゃったの?

 愛の欠片も見えないんですけど。


「今年、四月に出会ったとして、どうしてそんなに早く妊娠したの」

「なるべくしてなったんだろうさ」

「そうか……。菫さん、体を無理したりしないでね……。お兄さん、見守ってあげて」

「心掛けて置くよ。じゃあ、又」

「うん。お電話ありがとう」


 ――カチャ。


 受話器はそっと置かれた。


 菫さんのご両親、恋人がいる事すらも知らなかったって……?

 私の彼氏は、私を抱いた事もないのよ。

 同じ兄弟なのに。


 すみ…。

 菫さん…。

 菫さん、妊娠したんだって?

 妊娠って、未婚で妊娠って……?

 相手はどう思っているの?

 そんな軽い人と大丈夫なの?


 慧さんは、誠実な方なのに……。


  3 幻の中で


 ――一九九六年、三月末。


『この光景に見覚えがある……』

『いや、感じた覚えか……』 


 花が強く吹かれて、ひゅるりと巻き上がる……。

 幼かった……。

 ボブの黒い髪やチェックの紺のスカートが乱れるのも気にしないで、タタタン、くるくると校庭で花の中を夢を見る様にが踊る……。


 ああ……。

 これは……。

 夢……?


『すみ、菫が……』


 ああ……。

 これは……。

 幻……?


『す、すみ……。菫が……』


 そうだ……。

 夢であり、幻でもあるんだ……。

 今は、あのチェックのスカートは小さくなっている……。

 それにあの桜は東京のもので、もう雪国に進学したのだもの……。


 ザリッザリッ……。


 私は道を歩く……。

 春になってまだ間もない町は、所々に雪の塊があり溶けたりもして歩きにくい……。


 パー……。

 プップー……。


『危ないだろ……!』

『お前が悪いんだよ……!』


 ひしめく交差点で煩く車が話す……。


『歩くのに集中できない……』

『煩い……』


 大学の頃、片道二時間半掛かった通学が、今は、十五分程度になっている……。

 けれども、帰宅が重く感じる……。


『ガンガンガンガン……』


 激しい声で聞こえて来るよ……。


『……が、……したって』

『……が、……したって』


 聞いてますよ……。


『聞いた、聞いた……?』

『二人は、最後迄やったとさ……』

『親にも紹介してないって……』


 何か嫌な話し方だな……。


『こそこそ……』

『ひそひそ……』


 私が道を歩いていても、話し掛けがしつこいから、危ない事に車に轢かれそうになるんだ……。

 北の国が、こんなに荒い運転をするなんて思わなかったよ……。


 私が学校にいても、私の耳にいつも話し掛けられる……。


「全く煩いな……」


 だから、ふうっと何度も溜息をついてしまう……。


「人前でため息は、失礼なんだよ……!」


 背丈のある同級生のみなと君に見下ろされた……。


 北の溜息が、凍るとは思わなかったよ……。


 無邪気に踊ってごまかしても運命ってあるものだわ……。



 ――人生って儚いものだね……。


 まるで、泡や影の様に……。

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