午前1時、エンドロールで撃ち殺して

葵ねむる

午前1時、エンドロールで撃ち殺して

わたしは彼の名前を知らない。



 名前を知らないというよりは、本名を知らないといったほうが適切かもしれない。レオンさん、とわたしが呼んでいるその人は、パーラメントを吸っていて、ジントニックを好んで飲み、それから、名前と同じレオンという映画をこよなく愛している。


 彼について知っているのは、それだけだ。




 はじまりはインターネットだった。


 出会い系サイトのようなものではなく、映画が好きな者たちが観た映画のレビューを投稿したりその作品について話したりするような趣味サイトである。そこでたまたま同じタイミングで同じ映画を観て、まったく違う感想を抱いたのがレオンさんだったのだ。


 ハッピーエンドだと感じた彼とバッドエンドだと感じたわたしの視点はまったく異なっていて、話すうちに面白い人だなと思った。サイト上では飽き足らず、Twitterのアカウントを交換してやりとりは続いた。




 21歳のわたしと、29歳のレオンさん。レオンさんと同い年の姉がいますよ、もうすぐ結婚するんです、と話した時、「それはおめでとう。」と感情のわからないデジタルな文字で彼は画面上に言葉を吐いた。彼がどこに住んでいるのかわたしは知らない。ただ、どこから発信されたかわからないその言葉に、わたしはいつだって全身で縋っている。




【 レオン : やっぱり仕事片付かなくて厳しいや、ごめん 】





 バイト終わり、開いたそれにわたしの心がクシャッと潰されるような音をたてた。ひどくちいさく、誰にもわからないくらい。そうですよね、と心の中だけで呟く。

「バレンタイン、当日じゃなくてもいいから会えませんか。」というお誘いは、こうして呆気なく断られてしまった。


「調整するね、久々にサクちゃんにも会いたいし。」



 そう言って一度はわたしに期待をさせたけれど、すぐにこうしてレオンさんはわたしのことをポンと奈落の底に落とす。たった一文で。


 サクちゃん、と書かれた文字をなぞっても、そこからは一文字たりとも言葉は新たに湧いてこない。わたしでないわたしが、最もわたしらしくいられる名前。映画のヒロインでも本名でもない、でもわたしが憧れる名前。現実とはちがう、電子の海で生きる時のそれはレオンさんが打つと少しだけきらきらと輝いて見える。




 2ヶ月前、一度だけレオンさんに会った。


 仕事が忙しい彼を気遣って会いに行くと言ったけれど、やんわりと断って彼がわたしの住む街まで会いに来たのだ。ご飯を食べて、お酒を飲んで、映画の話を沢山交わした。予告編が終わった直後、本編が始まる前の高揚感も、レイトショーで観た映画の世界観から抜け出せないまま夢見心地で帰る暗闇の儚さも、わたしたちは全く同じ熱量で感じることができた。

 彼はジントニックばかり飲みながら時々断りを入れて美味しそうにぷかりと紫煙を燻らせたし、わたしは内心ドキドキしながらチャイナブルーとピーチフィズを何度も交代で頼んだ。




「レオンさん、って、」


「うん?」


「お付き合いしてる人とかいらっしゃらないんですか?なんなら、奥さんとか」


 まっすぐ目を見て言えず、カラカラと音をたてるコップの中の氷を見つめながらわたしは尋ねた。



「どうしたの、唐突だね」


「ずっと気になってたんです、すみません」


「今こうやって休みの日に、少し遠出して女の子に会いに来てるんだけど、おれ」


「…え、」




 それって、と確認しようとしたわたしの唇に触れるか触れないかの距離で、レオンさんは人差し指を向けた。それより先を言わせないようにするようにして。



「サクちゃんは、かわいいね」



 こたえを明言する代わりに彼はそう言って、お店を出てからわたしの手を取って、わたしは彼に連れられるがままに街の中を歩いて。共に快楽に溺れたそこから先の夜のことは鮮やかすぎてあまり覚えていない。

 たったひとつ、覚えているのは果てるその直前に紛れ込ませた好きです、の4文字に 俺も、と返ってきた、たったそれだけだ。



 思いが通じ合ったとは明らかに言い難い、けれどそのやりとりだけがわたしの中で何度も何度も繰り返されている。そのせいでこんなふうに、上げて落とされたとしてもわたしは彼のことを嫌いになれない。





「バレンタインはブラウニーがいいな、あまり甘すぎないやつ。」


 そう言ったから初めて作ったブラウニーはわたしが自分で食べることになった。




「いつかサクちゃんと一緒に観に行きたいな。」



 そう言ったから観ずにいた映画は公開期間をとっくに過ぎてしまった。



 それでもいちばん欲しいのはレオンさんの弾き出す文字でレオンさんの打つ サクちゃん、という文字で、そのことがとても辛くて悔しくて苦しくて、痛い。



 そんな恋愛事情を誰に相談できる訳もなく、ひとりで悶々としていると久々に実家に帰る日になった。結婚する姉とその相手との家族初顔合わせの日である。数年付き合っていたにもかかわらず今まで 恥ずかしいから、と顔写真すら見せてくれなかった姉が選んだ、最愛の人だ。


 両親は結婚の許しを求めて実家に来た時に会ったらしいが、実家を離れて一人暮らしをしているわたしだけは初めてで、まるで我が事のようにどきどきした。



「あ、相澤さんお見えになったわよ」



 母のその声でわたしも父も姉も慌てて立ち上がり、はじめまして、と言いかけて、




 _____時が止まった。




 シャン、とちいさな音がして、着けていたイヤリングが地面に落ちる。ずっと欲しくて、成人式の前日に姉が同じものをくれた、大事なイヤリング。そこでようやく気付く。


 わたしはそのイヤリングが欲しかったんじゃない。そのイヤリングが似合う姉になりたかった。姉がわたしの憧れだったんだ。




「さくちゃん、紹介して」




 そうして目の前にいるその人はわたしが世界でいちばん好きな声で、姉の愛称を口にする。

 わたしは レオンさん、という別の世界での彼のなまえを飲み込んで、息が出来ないまま笑顔を貼り付けていた。


 ちょうどエンドロールがすべて流れ終わり館内が明るくなって、現実の世界に引き戻される時のように。これまでもこれからのことを考えれば、もういっそ、今すぐここで殺してくれとさえおもった。





 Fin.

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