魔女の世界征服講座

百合花

路地裏の少年

 人生なんてろくなもんじゃない。


 それが、光の届かない、薄暗い路地裏で育ったオレがたどり着いた結論だった。


 日の差さない狭い路地で身を縮め、木箱の隙間に潜り込み、ゴミで暖をとるような暮らし。

 食い物が尽きれば、表通りに出て財布をスる。

 これは、動きの鈍いやつを狙うのがポイントだ。ついでにいかにも金を持ってそうな奴で、丸々としているのがいい。プライドの高いやつは、オレみたいなのを追いかけるなんてダサいと思うから楽に逃げられるし、動きがトロいから懐に飛び込んだも捕まったりしない。


 そうやってスった金は、オレの生きる糧になる。


 銀貨数枚で食い物を買い、武器を買い、薬を買う。銀貨さえ持っていれば、商人は必ず品物を売ってくれる。

 だから、店から盗むような真似はどんなにひもじくてもやっちゃいけない。商人は金持ちと違って、どこまでも追いかけてくる。捕まればボコボコにされた挙句に出禁になり、そうするともう二度と買い物は出来ない。


 それもその盗んだ店だけではなく、その周りの店まで。


 商人は、自分の品物が傷つかなければ、多少嫌な顔はしてもオレ達にものを売ってくれる。それも、ちゃんとそれなりに安全なものを。


 信用は金で買えない、ということをオレは身をもって学んでいる。


 そうやって手に入れて、買いすぎた食い物は物欲しそうにうろちょろするチビどもに投げてやって、怪我をしたバカには薬を気まぐれでやって、オレはまた獲物サイフる。


 その繰り返し。


 オレは、そうやって生きてきた。これからもそうやって生きていく。


 これじゃあ、ダメだとわかってる。

 わかってるけど、抜け出しかたなんてわかるわけねえだろ?


 表通りの人間達が、ピカピカの銀貨や銅貨を使って豊かに暮らしているのは知ってる。

 けど、その銀貨はどこからやって来るのかわかんねえ。


 だから、オレは奪うしかない。

 奪うことでしか、生を繋げない。

 そうやって、生きてきたのに。


「あら、物騒ね。ボウヤ」


 突きつけた銀の刃を物ともせず、女は笑っていた。


 急に寝床に、それも深夜に現れたフードの女なんて物騒なことこの上ない。

 気配に飛び起きたオレは、すぐさま木箱に飛び乗って女より高い位置を確保し、同時に袖口からナイフを取り出していた。


 警戒心を抱くなって方が無理な話だ。

 オレは、ナイフの柄を両手で強く握りしめた。

 未だコドモであるオレにとって、大人はすべからく敵だ。

 奴らはコドモというだけで自分たちを侮り、蔑み、憐れむ。コドモにはコドモのプライドってもんがあるのをわかっちゃいない。


 親切なフリをして近づいて、奴隷商人に売られていったコドモ達を、オレは忘れちゃいない。


 女は丸いメガネのつるをくいっと上げてから、するりと手から力を抜いた。


「そんな警戒しなくても、女一人で出来ることなんてたかが知れてるさ。私はあんたと話をしにきたんだ。それに、そんなもので私を傷つけようなんざ百年早いよ」


 つるから離れた指先が刃に触れると、銀の刃先は前触れもなく不自然にくねくねと波打った。


 命を得たかのようにはげしくうねるそれに驚いて、オレは得物の柄から手を離してしまった。落ちていくそれを、目で追う。


 銀の軌跡は地面へと、重力に従って描かれる。それが、土に触れるか触れないかなうちにふわりと形を変えた。


「ははは、案外臆病なのねぇ」


 銀の塊はハタハタと、かすかな光を跳ね返しながら空を舞った。薄く平べったい銀の板が四つ。まるで、宝飾のような美しい模様が刻まれている。


 女の指先に止まったのはもはや武器ではなく、ただ美しいだけの銀の蝶だった。


「ボウヤは、魔法を見るの初めてかい?」


 驚きに声を発せず、ぶんぶんと頭を振って頷くと、女はまた楽しげに笑った。


「そうか、じゃあ魔女に会うのも初めてだろう?」


 女は妖艶な笑みを浮かべて、木箱の上のオレに問いかけた。


「私は、そうだねぇ……ウィッチとでも名乗っておこうか。魔術に精通する人間が真名を明かすわけにもいかなくてねぇ。あんたの名前は?」


「レイン」


 たった一つ、奪うことも奪われることもなく自分が持っているもの。それが、名前だった。

 辛うじて残っている最初の記憶の中で、自分とおんなじような暮らしをしていた少年がオレをそう呼んでいた。

 雨の日に拾ったからレインだよ、と笑った少年はもう随分前に、教会のはずれに埋められた。埋めたのはオレだ。


「レイン、ね。なかなか上等な名じゃないか」


 女はオレに手を差し出した。

 何がしたいのか分からず首を傾げると、女にも伝わったようだった。

 馬鹿にしたり呆れることなく、女はオレの手を指し示した。


「自己紹介をした時は、握手するもんなのさ。その手をお出し」


「ことわる」


 得体の知れない女に触れるなんてとんでもない。オレはじりっと一歩身を引いた。狭い木箱の上じゃロクに動けないけど、警戒を示すのと示さないのとでは相手の態度が大違いなことは経験から知っている。


 いつ、女が豹変してもいいように腰を低く落とし身構える。その様子を見て、女はなにやら考えた後、うんと頷いて苦笑いした。


「別に、とって食いやしないよ。でも、まあ、自己紹介が出来ただけ上出来、かな」


 女はスッとオレから距離を取ると、どこかから紙袋を取り出した。


「ボウヤ、また来るよ。話はその時しよう」


 そのまま空気に溶けるように、女は姿を消した。夢だったんじゃないかというくらい、それは見事で、一瞬の出来事だった。


 警戒しつつ、木箱を降り、その辺の枝で紙袋を突っついた。感触から、なにか柔らかいものが詰まっていることがわかる。

 恐る恐る手を伸ばしてみれば、中にはふんわりと膨らみ、見たことのないほど白いパンがあった。


 ぐぅっと腹が鳴る。欲望のまま思わず口にしかけ、ピタリと動きを止めた。

 もし、万が一毒でも入ってたらどうする。

 たまに、そういうことがあるのだ。


 毒入りや腐った食い物をわざと与えて、悶え苦しむ様を嗤う。そいつらにとっては、気晴らしのエンターテイメントかも知れないが、オレ達にとっては生命の危機だ。

 腹を下せば人間は死ぬ。風邪を引けば人間は死ぬ。そのことをよく知っている。


 自然と身についた習慣で、オレは違ったパン屑をその辺のネズミにくれてやった。ネズミはすぐにそのパンに食いついた。しばらくその様子を観察して見ても、ネズミに変わった様子はなかった。


 毒がねえなら食える。


 オレは、真っ白なパンを口にした。


 そのパンは、夢のように。

 しっとり滑らかで、柔らかく、甘かった。


 口の中でパサつくこともなく、ただふんわりと広がる甘さに、言葉も忘れてオレは貪り食った。


 やっぱり、食ったのは失敗だったかも知れない。


 翌日、同じ時間に同じように現れた女が持つ紙袋に、思わず身体を跳ねさせてオレは思った。誘惑に抗うことは出来なかった。


 女はそれから毎日来て、二、三言葉を交わすと、恐ろしくうまいパンを置いて帰っていった。


 オレは初めこそ警戒していたものの、気がつけば木箱に座りこむようになり、女はその横に腰掛けるようになった。


 そしてオレが女に慣れた頃、やっと女はオレに話とやらを切り出したのだ。


「私はね、あんたに世界を征服させるためにやって来たんだよ」


「はっ?」


「そのためには、あんたに教えなきゃなんないことがたくさんあんのさ」


「オレが?セカイセイフク?冗談だろ。ただのストリートのガキだぜ?」


「私もそう思ってたんだけど、ここ何日か、ボウヤを見ていてわかったのさ。むしろ、ボウヤは世界を征服すべきだってね」


「……頭も良くねえし、強くもねえ。勉強なんてしたこともないようなガキなのに?」


 女は、立ち上がると手を差し出した。

 これは、前にも見た。あのアクシュとやらを求めているやつだ。


「ボウヤは確かにコソ泥でやっとこさ生きてるようなコドモで、学もない。けどボウヤには知恵がある。なにが安全でなにが危険なのか、どうしたら一番いい成果を残せるのか。人を観察し、環境を観察し、思慮深く行動するなんてそう簡単に出来るもんじゃないよ。それは、ボウヤの生きるための頭の良さで、ただ勉強だけをしてる奴には得難い才能なのさ」


 女は、オレをじっと見ている。

 この数日間を過ごして、わかったことがある。

 魔女だというこの女は、オレを見下したことは一度もなかった。

 ボウヤという呼称とは裏腹に、オレを人間として尊重し、触れられることを拒めば決して自分から触れようとしなかった。


「世界征服って、オレは何をすんだよ」


「そうだねぇ。まずは、世界を知ってもらおうか。ボウヤの世界は、ボウヤが思う以上にずっと狭い。私がボウヤに世界と……学を示そうか。そこから何を学ぶのかはボウヤ次第だよ」


 オレは、紙袋の中の白いパンを見た。

 世の中に、こんなにも白く甘いパンがあることをオレは知らなかった。女は、世界を見せてくれるという。この白いパンのように、オレの知らない世界を。


 オレは顔を上げ、女の目を真っ直ぐに見た。ヘーゼルの瞳が面白そうに煌めいている。女は同情や憐憫でオレを誘っているわけではなさそうだった。


「世界征服なんて出来るかは知らねえけど、お前のいうこと信じてやってもいいぜ」


 オレは差し出された女の手を初めてとった。

 オレより細く長い指と、柔らかな感触。それも、オレが初めて知ったことだった。


 女はぎゅうっと手を握りしめ、弾けるような笑みを浮かべた。


「それは光栄だ、レイン。君が世界を征服する日を楽しみにしているよ!」


 その日、一人の少年が路地裏から消えた。

 少年の寝床には一羽の銀の蝶と、しばらく留守にするというメモだけが残されていた。

 しかしながら、そのメモが読めるものはなく、紙くずは風に煽られいつのまにか消えていた。


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