七つ目の壺
津門
織姫は三度目の天の川を渡る。
「ねえ母さん、今日は、天の川、見れない?」
「そうねえ、曇ってるものね。」
二人で空を見上げながら言った。
星は雲の隙間からまばらに見えるほどで、その空には他に何も無かった。
「織姫と彦星、会えないの?また、一年も、待つの?」
「そうねえ、どうかしら。」
僕はとても悲しかった。この日をずっと、一年も待っていたのに、二人は会えないのだ。何とかして会って欲しいと思った。
「彦星は、泳げないの?織姫に、会いに行かないの?」
「行っちゃだめなのよ。」
「好きなのに?」
「好きなのに。」
「何で?」
「だめなのよ―」
母は足元に落としていた視線をまた空に向けて言った。
「―世界が違うの。」
母は泣きそうだった。それを見た僕も泣きそうになった。でも泣きたいのは織姫と彦星の方だと僕は溢れそうになる涙を必死に堪えながら空を見た。
今日、あるはずの天の川はどこを探しても見当たらない。唯一の会う方法をなくした織姫と彦星は何を思うのだろう。僕には想像もできなかった。
「渡ってしまえばいいのにね、天の川なんて。」
「でも、渡っちゃだめ、なんでしょ?」
母は口を噤んだ。母と僕はしばらく黙っていた。ずっと真っ黒い空を見ているせいで、今自分がどこにいるのか分からないような気になった。
帰ろうか、と母は僕に手を差し出した。僕はその手をぎゅっと握った。
「まあ、力強くなったねえ。」
お父さん追い越しちゃうわね、と微笑んだ。僕は少し握る力を緩めた。
「あら、ぎゅっと握ってくれないの?」
「…暑いから。」
家からここまでは一直線の細い砂利道で、距離も長くはなく帰る時間も少ししかかからない。ジャクジャクと砂利を踏む音が僕は好きだった。町の道のほとんどはコンクリートになっていたから、この道は僕にとっては特別で、大好きな、お気に入りの道。
「来年は、織姫と彦星、会えるといいね。」
足元にあった石をひとつ蹴りながら言った。
「そうだといいわねえ。」
母も石をひとつ蹴りながら言った。
真っ暗な道をジャクジャクと進む。その先に灯りがひとつ、玄関の灯りはぼんやりと地面を照らしていた。
「あら、鍵がないわ。何処かで落としてきちゃったのかしら。」
「戻って、探してみる?」
「あんたは先に寝てなさい。裏口は空いてるだろうから、そこからお入りね。」
母は握る手を緩めて、さっきの場所へ戻ろうとした。僕はその手を離したくなくてぎゅっと握った。
「なに、お化けでも怖いの?」
小馬鹿にしたように言うから、僕はムキになって、そんな事ない、と手を離した。
「じゃあね、腹出して寝ないようにね。」
そう言って母は元来た道へ歩き出した。あまりにふわふわしていて、やっぱり手を離すんじゃなかったと思った。
母の後ろ姿を見つめていた僕の頬をぬるい風が撫でた。夏の風は気持ち悪くて僕は顔を背けた。もう一度母が向かった方を見た時には既に母の姿はなかった。
翌日、母は帰ってこなかった。隣のおばあちゃんに聞いても何も知らないと言われた。次の日も帰ってこなかった。もう一度おばあちゃんに聞きにいくと、おばあちゃんは何も言わずに僕の手をぎゅっと握った。僕はその手を見下ろした。
「渡っちゃったのね。」
目を瞑りながら、おばあちゃんがぽつりと呟いた。何のことかこの時の僕ははっきりとは理解していなかった。
「おばあちゃんの手、あったかいなぁ。」
おばあちゃんの手は母の手よりもずっと暖かかった。暖かくて、自然と涙が溢れた。
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