三度目のキス

白田 まろん

前編

「俺、お前のこと好きだぜ」

「な、何言ってんのよ!」


 啓介けいすけクンはいつもそんなことを言って私を困らせる。彼は一つ年上の中学三年生。細身ほそみの上に長身で顔もイケメン、オマケにバレーボール部のエースだから下級生からも人気がある。そんな彼と私は幼稚園からずっと一緒の、いわゆる幼馴染みというやつだ。


「本気なんだけどな」

「もう! そんなことばっかり言って!」

「なんだよ、お前赤くなってんじゃん」


 そう、彼は私が真っ赤になってムキになるのを面白がっているのだ。赤面症の私はちょっとしたことですぐに顔から耳まで赤くなってしまう。お医者さんに診断してもらったことはないけど、心臓はドキドキが激しくなるし変な不安感もあるから多分赤面症で間違いないと思う。


「わ、私赤面症なんだからしょうがないじゃん!」


 啓介クンにはそれを説明したこともあるけど、心配してくれたことは一度もなかった。うん、ただの一度も。


 私の名前は木塚きづかあおい。制服のスカートは膝下十センチ、髪は黒で前髪パッツンのボブ、身長も体重も中学二年生としては標準的だ。太っているわけでも特別せているわけでもない。顔は可愛いとは思わないけどすごいブスでもないと自分では思ってる。でも今まで男の子にコクられたことはないからやっぱりブスなのかな。あ、啓介クンは別ね。彼のは冗談だって分かってるから。あと胸は……せ、成長過程だから今はまだ大きくないだけなの!


「なあ、いい加減俺の彼女になれよ」

「か、かか、かの……かの……」


 私の動悸どうきは最高潮に達し、気を抜いたら卒倒してしまいそうなほどに目の前がぐわんぐわんしていた。




 啓介クンが私をそんな言葉でからかうようになったのには訳がある。あれはまだ私が小学校四年生、十歳になるかならないかの頃だったと思う。


「なああおい、キスさせろよ」

「キス? うん、私もしてみたい」


 啓介クンの言葉に無邪気だった私が想像したのは、ほっぺにチュッとするキスのことだった。彼はカッコよかったし肌もすごくきれいだったので、その頬にならキスしてみたいと思ったのである。すべすべしてて気持ちよさそうとか、どんな味がするんだろうとか、そんな好奇心でいっぱいだったのだ。


「じゃ、するから目つぶれよ」

「え? う、うん」


 何でほっぺにキスするだけなのに目をつぶらなきゃいけないんだろう。そんな疑問が湧かなかったわけではないけど、私は彼の言う通りにギュッと目を閉じた。その次の瞬間――


 私の唇にぴとっとした少し冷たい感触が伝わり、すぐに歯が当たってガキッと嫌な痛みが走った。一瞬何が起こったのか分からなかったが、咄嗟とっさに開いたすぐ目の前に啓介クンの顔がどアップで見えたので、私は口にチュウされたことに気づいたのである。


「え……え?」

「わ、わりぃ、歯が当たっちった。もっかいいいか?」

「う……うん……」


 二回目のキスは歯が当たることもなく、一回目より軽く唇が触れ合ったくらいのものだった。だけど……


「なあ、もっかい……」

「や、やだっ!」


 そこで私は泣き出していた。私のファーストキス、あとセカンドキスも訳が分からないうちに啓介クンと済ませてしまったのだ。小学生でもそれがかなり重大なことだってことは分かった。啓介クンのことは嫌いではなかったし、むしろ好きだったという方が正しかったけど、それとこれとは別の話である。私はだまし討ちのように唇を奪われたことにショックを感じて、それで思わず泣いてしまったのだ。


「な、何で泣くんだよ、お前もしたいって言ったじゃん」

「だって……だって……」

「気持ちくなかったか? 俺すっげえ気持ちよかったぞ」


 そんなこと言われても分かんないよ、その時はそう思った。だいたい最初のは突然のことだったし、二回目は思考停止状態だったから記憶にないのだ。それで気持ちよかったとか感想を言われても、どう返していいのか分かるわけないよ。


「帰る!」


 私を捕まえてもう一度キスしようと迫る彼の手を振り払い、私は泣きながら家に向かって走り出した。啓介クンはそれ以上、私を追ってくることはなかった。




 その翌日以降、私は啓介クンを見るだけで赤面するようになってしまった。だって恥ずかしくて仕方なかったんだもん。思えば私の赤面症はこの出来事がきっかけで起こるようになったのだと思う。なのに彼ったら性懲しょうこりもなく、それから何度も私にキスをせがんできた。男の子ってどうしてそんなにデリカシーないのかな。


 そんな彼も中学校に上がってからは、会う機会が減ったせいかキスを迫ることはなくなっていた。その代わり、私が中学生になったら今度は好きだの彼女になれだのと言い出すようになったのである。同じ中学校の先輩後輩の仲だから、会う機会が元に戻ったということだ。


「ねえあおいちゃん、彼とはどうなの?」


 クラスメイトの八束やつか純子じゅんこちゃんがそんなことを聞いてくる。彼女は女の私から見ても清楚せいそで可愛い、お嬢様という言葉がピッタリの女の子だ。


 スタイルも抜群で、私なんかと違って中学二年生とは思えないくらいに胸も大きい。それに腰もキュッと締まっていて、膝上十センチくらいまで詰めた短いスカートからのぞく脚もすごくきれいだ。当然男子からの人気も高い。


 その純子ちゃんと私は中学一年生の時からの親友だった。そして彼女は啓介クンのことが好きなのだそうだ。もちろん、私は彼女に小学生だった頃のあのことなんて話していない。子供の頃のことだし、言う必要もないでしょう?


「どうって、何が?」

「よく一緒に帰ったりしてるし、やっぱり本当は付き合ってるのかなって」

「な、ないない、啓介クンが勝手に付きまとってくるだけだから」

「でもそれって彼があおいちゃんのことを好きだからじゃないの?」

「あの人は私の赤面症を面白がってるだけだよ」

「そうなんだ……じゃ、いいかな?」


 純子ちゃんが急にモジモジし始めた。


「いいかなって何が?」

「彼に……村主すぐり君にコクハクしても……」


 村主というのは啓介クンの苗字だ。


「え?」


 純子ちゃんのほんのり赤く染まった頬を見て、私の胸が赤面症の時とは違う鼓動を打ち始めた。何で、どうして私はこんなに焦っているのだろう。啓介クンと純子ちゃんなら美男美女でお似合いじゃないか。二人がキスするところなんて、きっと映画のワンシーンのように輝いて見えるに違いないのだ。二人のキスシーン……


「べ、別に私に断る必要なんてないよ」


 私は思わず純子ちゃんから目をらしてそう応えていた。そうだ、二人が付き合えば啓介クンが私をからかってくることもなくなる。啓介クンに冗談でコクハクされて赤面させられることもなくなるではないか。親友の純子ちゃんも幸せになれるし、私にとってはいいことずくめのはずだ。なのに、どうして私の心臓はこんなに激しく鼓動を刻むのだろう。


「本当に? 本当にいいの?」

「うん、がんばってね! 私そろそろ帰るね」


 これ以上純子ちゃんと話してたら泣いてしまう。そう思った私は大急ぎで帰り支度を済ませて、逃げるように教室を後にした。


 どうして、どうして私は泣きそうになっているの?

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