エージェント32と魔法少女の名簿

小早敷 彰良

1人目 少女E

「なあ、なあって。」

絶え間ない問いかけに意識が浮上する。

こんな月もない夜は絶好の睡眠環境だというのに、この男はなんて無礼なのだろう。

私は苛立ち紛れに上体を起こす。

ヘリコプターというのは浮遊感が酷い。実を言うと寝てやり過ごしたい環境だ。

「まだターゲットの位置からは遠い。少しでも寝ておきたいのだが。これ以上何を話せば良い、エージェント8?」

「そんなこと言ったって、俺、初任務なんだからもっと優しくしてくれよ。」

彼が黙っていたのは十分も保たなかった。

彼の少し高い声は耳障りだ。

私、エージェント32は顔をしかめて、ため息をつく。

尚も喋ろうとしたエージェント8を、低い忍び笑いが遮った。

「エイト、そいつは高い所が怖いんだ。寝させてやれ。」

最年長のエージェント、40の声だ。

エージェント8が驚いた様に返答をする。

「へぇ、そうだったのか? けれどさ、怖いなら余計寝れなくなりそうだけれど。」

舌打ちをして、私は答えてやる。

「ああ、お陰で目が覚めた。もう寝れそうにない。」

そして、無駄な情報に同僚を与えた先輩、エージェント40にヘルメット越しに睨みつけた。

彼はボタンの多い操縦席に座って、無造作にガイドブックを散らかしていた。

「何だ、完璧に気遣いの言葉だろう?」

彼の声色は明らかにこちらをからかっている。

その言葉に呼応した様に、周囲にいる十数人からは忍び笑いが漏れる。

「フォーティ、先輩としての示しがつかない。」

「今更だろう?」

含みのある言葉に、エイトは首を傾げる。

「そうなんですか? ちょっと冷たい先輩だと思っていましたが、お茶目なところでもあるのですか。酒癖が悪いとか?」

「その通りだ。その時が来たらよく見ろよ、エイト。」

「フォーティ。」

おっとと、と笑いながら彼は操縦桿を握り直す。

「あと、ターゲットまで距離があると言ったな、エージェント32。」

「ああ、言った。」

エージェント32が、今の私を指す言葉だ。

そして婉曲に話を切り出すのはフォーティの悪い癖だ。

予想して動くというのは有能な社会人の基本でもある。私はエイトを除いた他の隊員と同じく、装備を強く身体に引き寄せる。

「ターゲットが飛行、移動した。」

「現在地は?」

「直下、三百メートルに停滞中。」

「参りますか。」

がちゃり、と皆が鉄をぶつけながら立ち上がる。

まごまごとしたエイトは、焦りながら言う。

「今回のターゲットは一般的少女じゃないですか。もっと緩くとも。」

「だからこそ万全な状態で、完璧に終わらせなければならない。」

ぴしゃりと言った言葉は彼に届いただろうか。

予告なしに側面部が開き、隊員は皆、ターゲットである少女がいる森へと落ちていった。



ターゲット、少女Eは森の中で焚火をしていたようだ。

「焚火? キャンプならもっと、珈琲とか持ってきた方が。」

睨めば、エイトが無駄口を噤む。

「年端もいかない子がそんなこと気がつくはずないだろう。」

だからターゲットとなっている訳だが。


彼女の周囲には、火の粉がまるで意思を持っているかのように舞っていた。

蝶の形を模したそれは火である以上、相当の熱を持っているはずだ。

「彼女の手に触れる手も火傷しないのはまだわかる。でも何故、服に付いても燃えないんだ?」


ターゲット、少女E

確定能力:火炎への干渉、飛行能力。

未確認能力:熱影響への現実改変能力。


文章にしてみるとなんといかめしい能力だろう。

しかし、私が就職した団体では、全く珍しくない能力だ。


私の就職した団体、とある財団法人は魔法の解析を進めている。

魔法。この科学時代において唯一の聖域。それを調査することだけを目的に、我々は集められた。

魔法少女の名簿化もその一環だ。

そんな特殊事業に、私は日々従事している。

合コンではまず説明出来ない仕事だ。


「貴方達も私を捕まえに来たんじゃないの?」

「以前その様な団体が?」

即座に、返答を返す。

合図をすれば、周囲の隊員たちは、魔法少女の言葉に意識を張り詰めさせた。

当然ながら、何らかの敵がいると、案件の難易度は桁が違う。

彼女はもじもじと手を擦り合わせた。

「いえ、今までは、そんな。」

言葉を促せば、彼女は意を決した様だった。

「あの、私、魔法少女のことを知っている人に初めて会いました!」

「そうだろうね。」

鼻白んだエイトの言葉を止めさせる。

彼女はハグレだ。

魔法の家系ではなく、体系だった学問の一派でもなく、単に魔法の使える体質の人物。

この世界の魔法人口の最も多くを占める人種だ。

「魔法学校だとかに連れて行ってくれたりとかは?」

だから、こういう期待を寄せられるのも慣れている。

「ご両親は?」

「います。ちょっと仲が悪いですが。」

「学校は?」

「はい、中学生です。でもちょっぴり退屈で。」

「なら全く問題はないでしょう。」

ぴしゃりと返した私の言葉に、彼女は虚をつかれたようだった。

「魔法の秘匿は? 闘争は?」

「それは我々が対処します。」

そんな事態は起こらないことが一番だが、問題には大人が対処するのが二番目に良い。

どんな魔法、技術を持っていても、子供は子供。

それが私たちの掲げる方針だ。

賛同はなかなか得られないが。なんとも血気の盛んな種族だ。

「私も連れて行ってください、私だって闘います。」

「闘うのが目的ではないのです。仕事。むしろ闘う気のある魔法少女が来られると困るの。」

「魔法ってよくわからない技術を解析する為に、まず名簿を作っているのがうちの団体。お仕事なんだよ、お嬢ちゃん。」

エイトの言葉に彼女は愕然としていた。

「じゃあ、魔法少女なのに、私は世界へ何の役にも立てないの?」

「残念ながら。」

そう、魔法少女であることは個人が尊重される理由足り得ない。

どんな技術も、人格の上に立っているのだ。若いうちは、なんで感情的だ、といった理論の上に社会は成り立っている。


名簿への登録を終えて、俯向く彼女にひそひそとフォーティが話しかける。

名刺を渡し、さらさらと何かを書きつけると彼女は喜色満面といった様相を呈する。

「何か?」

「なーんにも。」



「お嬢さん、まだ子供だね。」

「貴方も子供扱いですか。魔法少女ですよ!」

「魔法という技術を持って、該当団体とのコネクションが出来た。その事実をもっと喜んだ方が良い。」


「おっと睨むな、技術は一生お前さんの財産で、コネクションってのはその財産を増やすのに大いに役に立つんだぜ。」

「コネクションは銀の弾丸にはならんが、一発の弾丸足り得る。そこで、お前さんは、ここから何をすれば良いと思う?」

「技術を磨く。」

「よくわかったな。」


「悩んだら先輩に話を聞きな。ここに書かれているメールアドレスは、あのツンとした先輩の連絡先だ。一応俺のも書いておくな。」


「魔法のことなんてわからないだろうって? あいつは元魔法少女だぜ。」



「友達じゃない、社会人だということだけ注意しろ。というのは中学生には酷だと思うよな?」

「当たり前だね。自分たちだって、新卒の頃は酷いものだった。」

当然のことを返した私に、彼は破顔する。

「そういうことだ。」

笑顔の先にいた少女は、同じくらい、もしくはより大きく笑って、飛び立つヘリコプターに向かって、右手を振り続けていた。

左手には、新しいメールを作成するスマートフォンが握られていた。

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