第7話

「さて」

「さて?」

「花屋で少し考えたんですが」

「うん」

「ちょっと、わかった気がしますよ」

「なに?」

「気がするだけですけどね」

「なによ」

「ぼくのゴーストが教えてくれました」

「なんのこと?」

「さっきの、手巻きのストップウォッチです」

「あ。それで自動巻の腕時計」

「そうです!ぼくのゴーストがささやいたですよ」

「ささやかにささやくゴースト…」

「いつもはささやかなゴーストではないんですが。ぼくのゴースト、普段はゴー&ストップとわめきますし。でも今日は割とおとなしめでした。わめかずにささやいたんですから」

「いつもは…けたたましい…たましいが?」

「あは。そうですね。いつもはけたたましいたましいが今日はささやかにささやいたんです」

「喧たましい…って、かまびすしいという字と同じ字を書くよね」

「喧しい…あ…ああ!」

「こんな言葉あんまり使わないけど」

「そうです!その通り。けたたましいたましいとかまびすしいびすしいです」

「びすしいってなによ」

「んーと。なんだったかな。あ、あれだ。ナチスドイツがパリに侵攻したとき逃れたペタンが作った亡命政府の首都」

「それは…たぶんヴィシー」

「じゃあ、ミラノを統治した領主ですかね」

「それは…わからないわ」

「ふっふ。ヴィスコンティですよ」

「かまびすしい…ヴィスコンティ?」

「かまゔぃすしいヴィスコンティです」

「ヴィシーのほうがまだ近いわね」

「だめですか」

「だめ」

「…そうですか…」

「でも、ビストロとかビスケットに逃げなかったことは評価してあげる」

「ありがとうございます」

「なんの話だっけ。自動巻の時計?」

「はい。話を巻き戻しますね」

「うん」

「竜頭を回すと時間が巻き戻るのです」

「そうかな。進むんじゃないかな」

「逆回しするんですよ」

「時計の竜頭は逆に回したら空回りするようにできてるよ」

「そう。そのとおりです。でも、どうしてですか」

「どうしてって?」

「どうして空回りするんでしょう」

「逆に回したらバネにエネルギーがたまらないからね」

「文句のいいようのない正解ですけどそういう力学的な理屈を聞きたいんじゃありません。もっと観念的な答えを希望します」

「それじゃ、そうね…。時間が巻き戻ることはないから?」

「それも正解のひとつです。しかし、巻き戻るとは言っても巻き進むとは言いませんね」

「進むのが常態だからね」

「じょうたい…」

「進むのが普通だからね」

「あ、常態。そうですそうです。遅滞は常態ではありません」

「痴態…?」

「安全地帯とか考えてませんでしたか?」

「いや?」

「じゃあ、アンチ・テーゼかな?」

「いいえ」

「違うか。なら、アンチモン凱旋車」

「ちがうわ」

「だったら…なんだろう?」

「あのね」

「?」

「わたしはきみとは違うの。人の話を聞いてギャグのネタを探してたりはしないわ」

「そ、そうですか」

「そもそも、アンチテーゼもアンチモンも安全地帯からの連想でしょ」

「そう…ですね」

「チタイからじゃアンチモンは出てこないわよね。チしか合ってないもの」

「それは…」

「原型がない」

「…」

「元気があればなんでもできるのかもしれないけど…原型がなければなにもできないわよ」

「…さきにいわれた…」

「実際問題、メートル原器があってもなんにもできないことのほうが多い」

「メートル原器…見たことあるんですか?」

「本物を見たことあるわけないでしょ?」

「その言葉から手繰れば、ニセモノは見たことがあるんですね!」

「ニセモノじゃなくてレプリカと言いなさい」

「レプリカ…プリカ…カプリ…カリプソ…ううん、何も思いつかないな」

「それで…なんの話だっけ?そうそう、きみのけたたましいたましいがささやかにささやいたんだっけ?」

「そうでした。花屋にいたとき考えたんですけど。あの電子レンジについて」

「電子レンジ…って言わないで」

「じゃあ、八木宇田アンテナでもいいですけど」

「…ん…引っかかるけど…まあ、いいわ」

「ちょっとばかり、気にかかることがあるんです」

「気にかかること?」

「そう。それはまるで秋の夜長にふんわり薫る金木犀のように」

「金木犀…」

「あるいは、秋刀魚を食べたあとにどことなく歯の間に挟まった小骨のように」

「…魚の小骨…」

「気にかかることがあるんですよ」

「金木犀の香りはトイレしか連想できないけど…」

「!?」

「歯に挟まった小骨は気にかかるわね」

「前段が気になりますが、そうでしょ?ぼくはずっとそんな感じなんですよ」

「なにが気にかかるの?」

「先輩は何の目的であの電子レン…柳生…八木宇田アンテナを作ったのだろうかと」

「目的?聞きたいの?」

「聞きたいです」

「どうして?」

「気になりますからね…」

「そうね…別に秘密にするわけでもないけど」

「ぜひ、教えてください」

「好奇心から…ね」

「好奇心…ですか?」

「そう。好奇心よ」

「何に対する好奇心ですか?」

「何にって難しいこと聞くのね。そう…猫を殺したくなったから…かな」

「猫を?意味がわからないです」

「ドイツあたりの格言だったと思うけど…好奇心は猫を殺すの」

「先輩の家には猫がいるんですか?」

「いないわ」

「じゃあどの猫を殺すつもりなんですか」

「猫はそもそも…寝る子と書いて」

「語源はいいです。知ってます」

「もし猫がいたとしたら、いつでも殺せるようにね」

「仮定の話ですか」

「平穏な家庭に憧れるの」

「嘘ばっかり」

「嘘じゃないわよ」

「説得力が全くありませんよ。先輩が平穏な家庭に憧れるなんて」

「どうして?」

「そもそも、猫を殺すのがなぜ平穏なんです?正反対じゃないですか」

「猫は人の心を乱すから」

「そうなんですか」

「猫はあの世とこの世を行き来するでしょ」

「迷信ですね」

「迷信か迷信じゃないかは問題じゃないの」

「だったらなにが問題なんですか」

「猫が人の心を乱すかどうか」

「…猫の問題じゃないんですね」

「…猫の問題じゃないのよ」

「…猫の問題じゃないのに、猫は殺されちゃうんですか…」

「そうね…じゃあ、ちょっとだけ、猫の問題かしら」

「…ちょっとだけ」

「…ちょっとだけ、ね」

「ちょっとだけなら殺されるほどの問題ではないでしょう?」

「大丈夫よ」

「なにが、大丈夫なんです?」

「猫は殺されてもまだ大丈夫」

「なんでまた…」

「あと八つの命がある」

「やっつのいのち…」

「だから一つくらい」

「ああ、猫には九つの命がある、ですか」

「そう。よく知ってるのね」

「でも、祟られませんかね」

「猫ってたたるの?」

「たたります」

「化けるんじゃないの?」

「化けるし、たたります」

「それは困ったわ」

「困るんですか?」

「困るわよ。迂闊に猫を殺せないじゃないの」

「…先輩、別に猫を殺したいわけじゃないでしょ?」

「…ん。まあ」

「好奇心、でしたね」

「…ん?」

「好奇心は猫を殺すって言いましたね」

「うん」

「どうして好奇心かというと」

「…ん」

「好奇心から八木宇田アンテナを作ったって言いたいだけですよね」

「…んふ」

「電子レンジで猫を温めたらいけないからですか?」

「!」

「それで猫を殺すんですね?」

「そうね。そこまでわかってると話が早いわ」

「その、早い話を聞きたいです!」

「うーん」

「ぜひ!」

「話すと長くな…らないか。早い話が、一定の電位のもとで霧箱を作りたかったのよ」

「霧箱を?」

「そ。霧箱をね」

「桐の箪笥に入れるんですね?」

「入れないよ」

「桐と霧できりっとしますよ」

「しないよ」

「ついでに切絵や江戸切子や麒麟麦酒を入れておいたら、きりきりきりっとして、吉里吉里人が独立宣言するまでに…」

「ならない」

「…そうであっても、ジョルジョ・デ・キリコの絵を飾っておけば…」

「飾らない」

「…学界の麒麟児たる先輩の発言とは思えませんね」

「なんでわたしが学界の麒麟児なのよ」

「金剛界のほうがいいですか」

「こんごうかい?フィボナッチ数のこと?」

「フィボナッチ?」

「フィボナッチ数の別名が…」

「あ!黄金比ですか!違います」

「じゃあなんのこと?」

「曼荼羅です」

「曼荼羅?」

「コンゴ・ウカイ・マンダラー」

「どこの言葉よ」

「ええと…インドと中国と日本の印中東洋折衷かなあ」

「それで、曼荼羅がどうしたっていうのよ」

「学界じゃないなら金剛界かと」

「学界じゃなければ金剛界なの?」

「胎蔵界でもいいです」

「なんで仏教なのよ」

「そりゃ…ぼくたちふたりともぶき…ょ…」

「武器?」

「不気…ブッキングです」

「ブッキングってなにが?」

「まあ、気にしないでください。歌舞伎とヨブ記のブッキングですんで。バイブルってもともとは本っていう意味ですからね。そういうバイブレーションがあったのでしょう。ビブリオもライブラリも語源は同じですから、ギリシア的四元素よりも中華世界の五元素説を採用したほうがいいという示唆に違いありません。語源の五元は五行ということです。五行には陰陽の表裏がありますので実際には十になって陰陽五行というんですが、とつぜんですがここで春の七草の呪文を唱えてみると、せりなずな、ごぎょうはこべらほとけのざ、すずなすずしろ、はるのななくさ、ですから、五行の次ははこべらでその次はほとけのざになるので、最終的にはブッダの教えにつながるんですね。ウパニシャッドですねえ。どんなにこの世で頑張っても破壊神シヴァが壊しちゃうから意味ないよって教えですよね。諸行無常なので、おじいさんが山へシヴァ刈りに行くんです。仙人の食べ物とされる桃を見つけるのは、シヴァ刈りに行かずに川に洗濯しに行ったおばあさんなのがまた恣意的です。あ。今気づいたけど桃から生まれたってことは実は桃太郎は仙人の一族だったんですね!そうすると家来の雉犬猿は動物の形をした宝貝だったんでしょうねえ?いやまてよ、雉犬猿の順なら宝貝かもしれないが、猿から始めたら…申、酉、戌の順で、十二支になります。おとぎ話では三種の家来で満足したことになってるけど、もし万一桃太郎がもう一人家来を増やそうとしたなら猪か、あるいは逆に、羊になっていた可能性があります!どっちだと思いますか?猪か、羊か?金の猪ならスカンジナビアの神話で光神フレイが乗る乗り物ですし、金の羊ならギリシア神話でイアソンが探しに行ったという伝説の…」

「何を言ってるのかまったくわからないけど、気にしなくていいのね?」

「…えっと…はい!」

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タイミング 穂積 秋 @min2hod

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