殴る女と痩せたい少女

naka-motoo

第1話 ファーストタッチ

殴り始めたのは発散のためだった。


何を発散するかって?


怒気、だよ。決まってんでしょ。


でも、やってみて初めてわかったのは、怒りに任せて殴ると余計に腹が立ってくるってことだった。


しかも、殴ることそのものしか考えてなかったので、目的だとか目標だとか、そういうことは意識の外に追いやられてた。


ほら、よくあるでしょ。


意味もなく自棄になる瞬間って。


わたしは殴ることによって自暴自棄の感覚を捨てたかったのか。それともあーあという感情を増福して自分を悲哀溢れる存在だと自身を慰めたかったのか、未だに思い出せない。


・・・・・・・・・・・・・・・


「おはようさんです」

「はい、おはよう」


直線で1㎞とない距離を5㎞遠回りしてランニング通勤し、汗だくで上司に挨拶した。汗臭いまま職場入りしても叱られない。


なぜならここはフィットネスジムだから。


わたしはそこのインストラクター。


ジムと言ってもガチなアスリート向けのトレーニングをしに来る民間の施設じゃない。

総合運動公園の中にある、市運営のジム。

市から配布される高齢者割引券も有効なゆったり感のあるジムだ。

トレーナーと言っても、マシンの使い方が分からない高齢のお客さんに教えるのがメインで、トレーニングメニュー作成のお手伝いをすることがあったとしても軽いダイエット向けのメニューばかり。


だから女子高生バイトのわたしでも勤まるのだ。


今日もわたしの上司である成瀬なるせさんが早速からかってきた。


ひしちゃん、大阪弁治んないねー。転校してきたのってもう半年前でしょ?」

「しゃあないじゃないですか。成瀬さんだって方言治せって言われたらムカつくでしょ?」

「郷に入っては郷に従え」

「大阪人には通用しません」

「まあ、女の子の大阪弁ってかわいいけどね」

「おじさんの方言はおっさん度が増すだけやけどね」

「うるさいね。でね、今日はこれを頼みたいんだけど」


そう言って成瀬さんはペラっとトレーニングシートをわたしに開いてみせた。


木野きの 香奈カナ。小学生?」

「うん。ほら、あそこで今体重と体脂肪計測してる子」


カウンター脇の体重計に乗る女の子は小柄で遠くからでも大きな黒目がかわいらしい子だった。


「5年生なんだけどね。ダイエットしたいって」

「ふーん。そやけどそんなに太ってへんじゃないですか」

「まあ、気になるお年頃なんだろうよ。さっきお母さんも来てよろしくお願いしますって」

「ほな、わたしがメニュー作るの手伝ってあげたらええんですね」

「頼むよ。マシンの使い方も一通り教えて上げて。体格しばりで使えんやつもあるからさあ」

「わかりました。おーい、香奈カナちゃーん」


こっちこっち、とわたしは彼女を手招きする。


「こんにちは。ウチは今日、香奈カナちゃんのお手伝いをする野島のじま ひしです。ひしとでも呼んで」

「はい。よろしくお願いします」

「呼び捨てが難しかったらひしちゃんでええよ」

「はい・・・」


まだちょっと照れてるようだ。

体とコミュと両方ほぐすのにまずストレッチを始めた。


「ほら、こうすると太腿の裏あたりが伸びて気持ちええでしょ?」

「はい。あの、ひしちゃん」

「なあに、香奈ちゃん」

「その、幾つなんですか?」

「うん? 年? 16歳。高2。あ、敬語使わんでええよ」

「うん。痩せてるね」

「そう? 結構筋肉ついてるから痩せてるってのとは違うけどね。ほら、見て」


わたしは周囲を見回してから、すらっ、とTシャツのお腹周りを持ち上げた。


「わ、すごい。100mの選手みたい。何かスポーツやってるの?」

「えーとな。実はボクシング」

「すごい!」

「というか、半年前にやめたんやけどな」

「そうなんだ。どうして?」

「右拳を骨折してん。治ったんやけど思い切り殴れんようになったわ」

「痛いから?」

「ううん。まあ、ウチが殴るの怖がってるだけなんやろうけどな。そんで、まあ前の高校クビになってん」

「高校生なのにクビってあるの?」

「スポーツ推薦やったから居づらくなったんや。ほんでばあちゃんの家があるこの辺鄙な田舎まで逃げて来たっちゅうことやねん」

「辺鄙じゃないよ」

「ごめんごめん」


香奈ちゃんはカンがいい。おしゃべりしながらわたしのやるのを見てストレッチを終えてしまった。


その後は主に腹筋を中心に、単なるダイエットではなく体幹を作り体を締めるトレーニングメニューをこなした。


「ほな、来週は水曜日やね。またウチが担当や」

「よかった」

「香奈ちゃん、ところでなんでダイエットしたいん?」

「ひみつ」

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