第012話 敬虔なる兄妹

 ---■■歴■■■■年


 ゆさゆさと肩を揺らす力に目が覚める。

 クルトはやんわりと肩を揺らす細い腕を払いのけた。


「きゃぁ!?」


 むにょんと弾力のある感触を押しのけてしまったが、気にせず眠りを再開する。


「この……!? どこさわってるのよ、おにいちゃんのバカ! いつまで寝てるつもり――!」


 真上から矢継ぎ早に降ってくる少女の声にうっすらと瞼を持ち上げる。


 教会の雑魚寝部屋の窓からは透き通るような日差しが差し込んでいた。

 窓の外からは、子供たちの元気な声と村人たちの仕事はじめの掛け声が聞こえてくる。


 リンド村は本日ものどかな朝を迎えていた。


「朝か、おやすみ……」


 そして、瞼を閉じる。

 安寧の眠りへと落ちようとするが、先程よりも激しく肩をぐらんぐらんと揺さぶられる。


「こらぁぁぁ! お、き、な、さ、い――ッ!」


 しかたなしにベッドの傍らにある我が妹、クルトと同じ黒髪をふたつ結いにしたテレサの顔を見上げる。


「……テレサ、お兄ちゃんは昨日まで何をしていたか知っているか?」


「騎士団の遠征だったわ」


「……そうだ。つまり、わかるだろ?」


「ええ、とーっても疲れてるんでしょ。もちろん知ってるわ。でも、ここは教会。ぐーたらな人をおやすみさせておくベッドなんて一つもないんだから! 起きて、お祈りして、顔を洗って、ご飯を食べて! ベッドが掃除できないじゃない!」


 言うが早いか毛布をはぎ取られた。

 シーツを剥がすのと一緒に転がされて、木目の床の上にほうり捨てられてしまう。


 テレサは、ふん、と鼻を鳴らす。

 手際よくシーツと毛布を丸めて抱え上げる。


「……ひどいぞ、妹よ。久しぶりに戻ってきた兄に優しさはないのか……」


 クルトは床に打ち捨てられたまま恨みがましい視線を向ける。

 テレサは口をへの字に曲げたままクルトを見下ろしていたが、そっぽを向いたまま呟いた。


「しょうがないから、……お祈りくらいなら一緒にしてあげてもいいわよ……。ほら、ちゃっちゃと起きる!」


 ベッドを奪われてしまったのならば眠る気力もなくなってくる。

 朝の祈りは欠かしてはいけないが面倒くさいことこの上ない。その大変さを共有してくれるというのなら、兄への優しさがあるのだろう、あるはずだ、……塩のひとつまみくらいは。


 寝ぼけ眼のまま、言われるがまま、クルトはのろのろと祈りの姿勢をとる。


「……ふふ、やった……!」


 テレサの唇が笑みに変わる。


「ん? 何か言ったか?」


「な、なにも言ってないわよ。ほら、さっさと手だして!」


 テレサは、そこはかとなく嬉しそうにクルトの前に座ると祈りの姿勢になった。


 祈り。

 人族の信仰となる女神様に祈りをささげるときは、右膝を立て、両掌の指を組み、目を閉じる。

 女神司祭であるテレサと女神騎士であるクルトであれば、グラーティアと呼ばれる道具を手に握るのが正しい姿勢だ。


 クルトとテレサの場合はさらに特殊だ。

 二人は向かい合わせになってお互いの掌を包み込むようにして握る。


 これは、クルトとテレサは、感応シンパシー、と呼ばれる能力を持っているからだ。


 特定の者同士が、同時に魔法の発動や祈りを捧げると威力や効果が特大に増幅される、という奇跡。

 血の繋がりや魔力の大きさではなく、魂の形で選定されるのではないかと言われているが理屈はわからない。

 それ故に奇跡と呼ばれる能力。


 クルトとテレサは目を閉じると祈りはじめる。


「我らが女神よ、今日という一日を迎えられたことを感謝致します。……我が剣の迷いを振り払い、正しき道へと導きたまえ……。我が祈り、聞き届けたまえ」

「我らが女神よ、今日という一日を迎えられたことを感謝致します。……■が■■■■■り、■■■へ■らせ■まえ……。我が祈り、聞き届けたまえ」


 目を開けると、二人の握りしめたグラーティアが白光を薄く放つ。

 祈りは女神のもとに届いたという証だ。


 祈りを終えたテレサは怪訝そうな表情で尋ねてきた。


「剣の迷いって、どうかしたの?」


 クルトは言葉に詰まる。

 騎士団から離れて気が緩んだせいで口に出してしまったが、テレサには聞かせたくない嫌な話題だ。

 だから、適当に言葉を濁す。


「騎士団の仕事の話だよ。大した話じゃないさ……」


「……そう」


 テレサは心配そうな顔をしていたが、気持ちを振り払うように素早く足元の毛布とシーツを拾い上げる。

 顔を上げた時には明るい表情が戻ってきていた。


「ご飯、下にあるから早く食べてね。冷めちゃうわよ」


「ああ、すぐ行くよ」


 さすがに二度寝をする気はきれいさっぱりなくなっている。

 テレサに続いて、クルトも顔を洗うために階下へと降りていった。


 教会の一階。

 粗末な礼拝堂の奥にある大部屋は、食事ができる大きなテーブルと煮炊きができる炊事場がいっしょになっている。

 まだ熱の残っているかまどの上には大鍋が置いてある。中をのぞくとじゃがいもとたまねぎとにんじんを煮込んだスープが残っていた。


 クルトはスープを盛って、棚にあったパンを一切れもらう。少々遅いが朝食の時間だ。

 と、そこへ。


「あ、クルト兄ちゃんだ!」


 礼拝堂から元気な声が聞こえてきたかと思うと、四から十歳くらいの少年少女たちがぞろぞろと入ってきた。


「騎士団の話、聞かせてくれよぉ! また、魔物をやっつけにいったんだろ!」

「クルトお兄さん、革に腕輪の作り方。続きを教えて?」

「くると! あそんで!」


 あっという間に机を取り囲まれてがやがやと騒がしくなる。


「お前ら……、後で遊んでやるから。せめて飯くらい食わせろ……」


 この子供たちは教会が預かっている孤児だ。

 リンド村で捨て子などいないが、王都のスラムや娼婦街では身寄りのない子供や赤子が居り、多くは教会が引き取る。必然、王都の孤児院では子供が溢れかえるため、幾人かはリンド村のような場所に移されてくるのだ。


「こらこら、皆。クルトを困らせてはいけませんよ。もう少し、お外で遊んでいらっしゃい」


 子供たちを諭す声へと顔を向けると、ゆっくりと左足を擦るように歩いてくる老婆の姿が見えた。


「ちぇっ、しょうがないな~」

「わかった……、また、ね……」

「ぶぅ、つまんあい」


 文句は垂れつつ子供たちはクルトから離れる。そのまま教会の裏口から外へと遊びに行ってしまった。

 ふぅ、と一息つく。


「……元気でなによりだ」


「皆、クルトの帰りを楽しみに待っていたのよ」


「そりゃあ、まあ、嬉しいけどな」


 あれだけの子供を相手にするとクルトは疲れ切ってしまう。

 対するテレサは子供の相手は得意だ。時には母となり時には父となり、優しさと厳しさを使い分けながら接していて、兄妹でどうしてこうも優秀さの違いが出るのかと悩んでしまう。

 テレサの逞しさには兄として喜ばしいと同時に羨ましく感じる。


 食事の手を休めてクルトは立ち上がる。


「いいですよ。食事を続けなさい、クルト」


「そういうわけにもいかないだろ。足が悪いんだから、あんまりウロウロするなよ」


 クルトは椅子を引くと老婆へと勧める。

 杖を受け取ると、片手を貸して椅子へと誘う。


「ありがとう。助かるわ」


 老婆、ノエラはゆっくりと椅子に腰を下ろす。

 彼女はこの教会を管理する女神司祭であり、クルトやテレサ、その他大勢の孤児たちを育ててきた母のような人物である。

 御年六〇歳、リンド村では最高齢になりつつある。


 幸いにもテレサが女神司祭となったことで教会を引き継ぐことができる。

 この教会も孤児院も変わることなくノエラからテレサへと受け継がれていきそうなため、何の心配もいらなかった。

 とは言え、できる限り負担のかかる仕事はテレサやクルトが引き受け、ゆったりとした時間を過ごしてほしいと考えていた。


「どうしたんだ? いまくらいならテレサの洗濯でも眺めてるかと思ったけどな」


 すると、ノエラは朗らかな笑みを浮かべる。


「昨日までずっと、テレサがあなたの話ばかりするんですもの。なんだか気になってしまって。それで……、何を悩んでいるのかしら?」


 テレサから聞いたのか、と勘繰るがすぐ否定する。


「おいおい、ノエラ。……魔法を使うのは反則だろう?」


「魔法なんてあたしは使っていないわよ」


 済ました顔のノエラ。

 クルトはスープの皿を手放して天井を仰ぐ。


「顔を見ただけで感づくのは魔法を使ったとは言わないのかよ……」


「あなたが小さなテレサの手を引いて教会に来た時からのつきあいよ? それくらい、魔法がなくてもわかるわ」


 目元のしわを深めてノエラはクスクスと笑う。


「……わかったよ」


 長い話になりそうなので、残していたパンを口に放り込み、残っていたスープで飲み下す。

 空腹が癒えたところで話はじめた。


「騎士団が竜人族ドラゴニュートの村から住民を追い出してる。話し合いもあるみたいだけど、だいぶ強引な感じで、嫌な仕事なんだ」


竜人族ドラゴニュートを? どうしてかしら……」


「わからない。退去した住民は別の騎士団が引き継いで、新しい土地まで案内するそうだけど……それにしても、何でそんなことをしてるのか」


「そうねえ……。クルトは騎士団が正しいと思っているの?」


「司祭がそんなこと言うなって。……騎士団のやってることが良いとは思ってないけど、面と向かって言えるわけないだろ? 退団させられるか、最悪は異端視されるよ。孤児ってだけで難癖つけられるんだから……」


 クルトが女神騎士団に入団した理由はお金と地位のためだ。

 いまはリンド村の小さな教会の小さな孤児院だが、お金があれば王都の教会に住むこともできるし、大きな孤児院を経営することもできるだろう。

 村の生活はのんびりしていて良いが、王都の便利な生活でテレサに楽をさせてあげたいとも考えているのだ。


 それにだ。

 テレサは兄のクルトから見ても可愛らしい見た目で、少々勝気で素直じゃない性格は問題ではあるものの、優しい心の持ち主だ。狭い村の貧しい生活で一生を終えるよりも王都にいたほうが良い結婚に巡り合えるだろうと思う。


 ……まあ、連れてきた男が軟弱でないかどうかを剣で確かめねばならないが。


「騎士団は心を偽ってしがみつくほど大事なものではないわ。自分が正しいと思ったことを為しなさい。女神様はきっとクルトの行いを認めてくださるわ」


「そうだな」


 話すべきか迷ったが顔に出ていれば追及されるだけ。

 もうひとつ話をする。


「……あとは、コールが聞こえるようになった」


 ノエラの表情が曇る。


「そう。喜ぶべきことではないけれど、女神騎士として一人前ね」


 信仰心の高い女神騎士はコールを聞くようになる。

 それは、愛を囁く言葉であったり、善とは何かを問う言葉であったり、力を与える言葉であったり、様々な誘惑を秘めている。


 言葉を受け入れたときにどうなるのかは誰も知らない。

 一説には強力な力を手に入れるとも、ゾンビのような不死の魔物になると言われているが、事実はわからない。コールの主が何者なのかもわからない。謎の存在である。


「決してコールを受け入れてはいけませんよ。迷ったときは女神様を信じなさい」


「わかってるよ」


 クルトは胸元に下げたグラーティアに触れた。


 ――懐かしい夢だ。


 クルトが意識すると情景は消え去り、周囲の音が耳に飛び込んできた。

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