第011話 マイルーム

「いいな」


 クルトの第一声は喜び。

 リーネに案内されたのは二階の角、縦:四メナル、横:八メナルほどの板敷きの部屋だ。


 幼少の頃は教会の大部屋で雑魚寝、女神騎士の頃は同僚と相部屋、傭兵の頃は馬小屋に寝泊まりすることもあった。

 一人部屋と言うものはクルトの人生において初めての事である。


「広い。オレが一人で使ってもいいのか?」


「えっ!? ……一人部屋だけど、広いかな? 物がいっぱいあるけど、その、片付いてないことは内緒にしてくれると、嬉しいかなぁ……、なんて。エヘヘヘ……」


 クルトは視線を床に向ける。


 部屋には沢山の物が積み重なっていた。

 どれもクルトの時代にはなかったものだが、与えられた知識から物品の数々がなんであるかを即座に理解する。


 アニメやゲームの情報誌、青年・少女・少年向けの漫画本・漫画小説ライトノベル、とにかく床が見えないほどに乱雑に重なっている。

 壁際には据置ゲーム機と携帯ゲーム機が数台机に置かれ、静音待機スリープモードの灯りが瞬いている。

 ベッドと壁棚にはぬいぐるみが所狭しと並んでいて、ベッドで眠ると言うよりは埋まるといったことになりそうな有様だ。


 足の踏み場もない、とはまさにこのことだろう。


 だが、場所の確保さえできれば快適な部屋だ。

 雨風を凌げる。

 暖かな毛布がある。

 虫も湧かず、悪臭もない、清潔な場所だ。


「おねがい! ロラには黙ってて! この通ぉぉぉり!」


 リーネは手を合わせて拝み倒してくる。


「割り込んできたのはオレだ。気にするな。少し、片付けをしてもいいか?」


「手伝ってくれるならなんだって歓迎だよ! もう、手がつけられなくてさぁ、アハハハ……」


 そして、クルトとリーネは三時間ほど掛けて部屋を片付けていった。

 リーネは目の前の漫画に気を取られて掃除をサボりぎみであったが、クルトのおかげでどうにか部屋の掃除を完遂することができた。


「はぁ……終わったぁ……。ありがとう、助かっちゃった!」


「お互いさまだ。荷物はどうする?」


「あ、あはは……、しばらく置いてもいいかな? 私の部屋に入らなくて……」


 リーネは恥ずかしそうにもじもじと指先を絡ませる。

 隣の部屋がリーネに割り当てられている部屋らしいが、物が多くて置ききれないのでこの部屋を勝手に使わせてもらっていたそうだ。


「構わない。オレは眠れる場所があればそれでいい」


「良かったぁ。ありがとう、クルト。恩に着るよ! おおっとぉ、もうこんな時間だ!」


 壁掛けの時計を見れば、時刻はすでに午前〇時半を回ろうとしていた。


「じゃあね、私は寝るよ。おっやすみー!」


「ああ、またな」


 リーネが手を振りながら扉を閉める。

 途端に部屋は静けさでしんと静まり返る。


 時間が惜しい。

 さっさと首防具ネックバンドの作成をはじめよう。


 クルトは床に置きっぱなしになっていた魔導女神の大剣メテオスライサーをベッドに置いた。

 そして、革ベルトの一部を拝借する。借りてきた道具を手に加工をはじめようとして、はた、と手を止める。


 この場所はいつもの馬小屋ではない。いま掃除したばかりの綺麗な部屋であることを思い出して、革の削りカスで汚してしまうことにためらいを感じた。


「外でやるか」


 部屋の窓を開けると、屋根に上がれる金属の梯子が掛けられていた。

 試しに上ってみる。


 屋根は緩やかな傾斜になっており住宅用の魔力生成炉が備え付けられている他はなにもない。


 旗艦都市ヴィクトワールはネオンと灯りが絶えることはなく、月明かりと星の瞬きになれたクルトには明るすぎるくらいだ。屋根の上は作業をするのにちょうど良さそうである。

 

 早速、クルトは首防具ネックバンドを作りに取りかかった。


 革の首防具ネックバンドに大した防御効果はないものの、不意打ちで魔物に首筋を噛みつかれたり切り裂かれた場合、致命傷を避けられるかもしれない。

 紙一重で命を救われたことがあるクルトにとって、何も装備しない選択はありえなかった。


 首のサイズに合わせて革の長さを裁断して、作業服に使われている防弾・防刃の布地を縫い込み、強度を増すために革を編んでいく。

 ささくれがあると気になるので指を滑らせて気になる箇所はナイフで削る。

 最後に穴を開けて金属のボタンをはめれば完成だ。


 これだけだとつまらない。少々、飾り気を足すためにナイフで文様を彫っていった。

 ――こんなものだろうか。


 完成具合を眺めるべく頭上にかざす。

 そして、クルトは天に浮かぶ銀礫の川を見て、ぎょっとした。


「なん……だ。月が……」


 銀礫の川が月の成れの果てだと分かったのは、砕けた破片の一部が半球を保っていたからだ。

 割られた月の破片は細かく天を漂い、まるで輝く銀砂のように夜空に横たわっている。


「あー、まだ寝てない!」


 にょこっと屋根の端にリーネの頭が生えた。

 慣れた動きで梯子を上るとクルトの隣へと歩いてきた。


「ロラは怒ると怖いんだから! 明日、起きれなかったら大変だよ!」


「……お前に言われたくないがな」


 リーネも朝早く起きなければならないのは一緒だろうに、と思ってしまう。


 クルトは数時間睡眠を確保できれば戦いに支障はない。戦場ではゆっくり眠れることは少ないので、滝裏の洞窟や大木の洞でわずかな仮眠で済ますのも当たり前だったからだ。


「私は目が冴えちゃったから星でも眺めてようかなあって思っただけだよ。クルトは……、あれ? それは、なあに?」


 リーネは目敏くクルトの手に持っているものに注目する。


 隠すものでもない。

 クルトは興味津々のリーネに作ったばかりの首防具ネックバンドを手渡した。


「首を守るための防具だ。簡単なものだけどな」


「へえ……、クルトって器用なんだね。それに、模様がカワイイ! クルトはアクセサリーデザイナーだったの?」


「そんな大層なもんじゃない」


 教会で養われている孤児は小さい頃から技術を学ばされる。裁縫だったり、狩猟だったり、武術であったり、生きていくための手に職をつける。乞食や野盗になったりしないようにと考えた孤児院の配慮である。


 孤児院は小さな村にあったので、村人の生活用品を作ることもあったが、あれは果たして喜ばれていたのか定かではない。村人だって簡単な革の加工くらいできたし、村には革細工職人だっていた。人手が足りない時の雑用係、そんな認識だろう。


 クルトは幼い孤児たちのプレゼント用に革のアクセサリーを作っていた。誰かに習ったわけでなく、騎士団の用事がないときに、王都のアクセサリー屋に立ち寄って造形を見よう見まねで再現した粗悪なものだったが。


「そんなことないってぇ、こういうカワイイものは女の子に喜ばれるんだよー」


「そうか」


「……喜ばれるんだよー?」


 リーネはじぃぃっとクルトを見つめながら繰り返す。キラキラとした無垢な瞳、……を装った仕草が非常に鬱陶しいことこの上ない。


「……お前な……、わかった。それはやるよ」


「おおー、いいの!? ありがとう!」


 お前が言わせたんだろうが、と言いたいのは我慢する。

 孤児院の子供たちに革細工のアクセサリーを渡した時も同じ顔をしていたからだ。子供と同レベルだな、と呆れつつも悪い気はしないクルトだった。


 なんだか気が乗らなくなってしまった。自分用の首防具ネックバンドを作るのは明日の朝にでもするか、と考える。

 ふと。先ほど気が付いた月の成れの果てについて話題を変える。


「……ところで、なぜ月が壊れているんだ? 何が起きた?」


「あれかー、さっき驚いてたね」


 リーネは夜空を見仰ぐ。


「あれはね、魔導歴に壊れたんだ。星界の大厄蟲ネビュライーターの攻撃で月が破壊されて、その破片が地上に落下してひどいことになったらしいよ。ま、私はそのとき石化保存ペトリフアライヴされてたから見たわけじゃないんだけどね。目が覚めたと思ったらいきなり何十万年後の世界だし、ほんと困っちゃうよ。あーあ、連載が気になってた漫画とか途中のゲームがあったのになあ……」


「月を壊す魔物か……、凄まじい存在だな」


 神の力が如何に強大であったとしても月を壊す力はなかっただろう。

 星界の大厄蟲ネビュライーターを駆逐した魔導歴の戦士たちはどのような人物だったのか。

 また、星界の大厄蟲ネビュライーターと対峙したとき自分であればどんな戦いを挑むのか。戦士としてクルトは大いに興味をそそられた。


 いずれリーネに話を聞いてみるのも面白いかもしれない。


「心配しなくてもへいきへいき、星界の大厄蟲ネビュライーターに出会うことなんてないよ……、もう、大昔の話だから」


 星界の大厄蟲ネビュライーターは成体はもちろん幼生体から卵生体まですべて滅却された。人族存亡の危機にまで追い込んだ生命は標本すら残すことを許されなかったのだ。


 永遠に戦うことのできない存在と知ってクルトは落胆を隠せなかった。


「そうか、残念だ」


「ええ!? なんで!」


「神を倒すには強くならないといけないからな。星界の大厄蟲ネビュライーターが強い魔物ならいい相手になりそうだ」


 そんなクルトを見て、リーネはぶんぶんと首を振る。


「……ぅぅ、私は二度と会いたくないよ」


「魔導女神の力でも勝てないのか?」


「そんなことないよ! 魔導女神は、星界の大厄蟲ネビュライーターに負けたりなんてしない! ……私は……その、弱いけど……」


「なら、鍛練を積むんだな。」


 身体能力は持って生まれた体に左右されてしまう。クルトは小柄のためもともと体は頑丈でないし、力も強くない。

 しかし、魔法に関しては化けた。

 女神騎士時代から魔力量は多く、魔法の扱いが上手かったので、副長まで任されていた。クルトの高い戦闘能力は魔法の力で支えられている。


 リーネも魔法の鍛錬を続ければ素質が開花する可能性はある。

 しかし、素質があっても鍛えなければ成長しない。何事も地道な努力と欠かさぬ継続が力となる。


「先に寝る。冷えてきた」


 クルトは革屑を払い落とすと、サッサと梯子を下りていく。

 部屋の窓を閉める直前に声が聞こえた。


 つい癖で暗黒魔法を発動させてしまう。

 邪霊の怠惰アイドル・オブ・エコーを発動させると、小さな声を拾い上げてしまう。


「……やってるけどさ。私は、魔導女神なのに……。あんなに痛い思いして、生き残ったのに……、やっぱり失敗作なのかな……」


 冷たい風に乗った小さな小さな呟き。

 クルトは聞こえなかったつもりで、そっと窓を閉める。


 自ら首を差し込むほど、他人の悩みに構っていられるような余裕はないし、図太さもない。


 ふと誰かがクルトを叱るような気配がした。

 胸がチリチリと痛み、誰かの言葉が記憶の片隅から蘇る。


 ――■■って、大切な人のためにすることだよ。


「なんだったかな……、忘れたよ」


 クルトが、ベッドに転がって目を閉じれば即座に眠気が忍び寄ってくる。数分もしないうちに穏やかな眠りに落ちていった。

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