第006話 化石の目覚め

 頬に風が当たる。

 クルトは失われたはずの感覚が戻っていることに気が付いた。


 何故だ、と思うより先に目を開く。

 眩しい。

 思わず、瞼を閉じる。


 指先が、手が、足が動く。

 瞼を掌で覆いながら体を起き上がらせた。


 クルトは白く柔らかい床の上に寝かされていた。

 服は下着のみ。黒金鉄オブシウス・メタルの鎧はどこにもない。


 ぼんやりとした頭が急速に覚醒してくる。永遠と言われた石化から解放されたのならば、為すべきことはただひとつ。あの傲慢な女神の魂を砕いてやる。


 右手を見るが、当然のように黒金鉄オブシウス・メタル大剣グレートソードはない。


 竜神ナクラーダルは。

 女神アストリッドは。

 人族は、竜人族ドラゴニュートは。

 戦場はどうなったのだろうか。

 いまは何時いつなのだろうか。溢れだすようにありとあらゆる疑問が脳裏を過る。


「あら、目が覚めたのね? 良かった」


 視線の先、ちょうど作業台のガラクタに埋もれるように顔を覗かせる女がいた。女は椅子から立ち上がると羽織っている白衣を揺らしながらこちらへ歩み寄ってくる。


 女の服装はいままでに一度も見たことがない。周囲にある物品、例えばクルトが横たわっていた寝台ベッドも初めて目にするものだが、何故かすべての品物の名前と用途が理解できていた。


 女が話す言語もクルトの知らないものだが、理解できている。もちろん壁や施設に書かれた文字も読める。


 知らないものを知っている奇妙な感覚に気持ち悪くなる。いったいどういうことなのだろうか。


 思案に暮れるクルトに対して、女のほうはやや焦ったようにクルトの顔をまじまじと見つめている。


 いつものことだ。暗黒騎士であるクルトへの接し方に不安を覚えているのだろう。


 暗黒騎士は女神を信仰しない異端者だ。よくわからない危険な人物と思われることが多いし、多くの暗黒騎士は暴力を好む悪漢ばかりだ。


 すぐに出ていく、と口にしかける前に女が呟いた。


「……言葉、通じてるわよね? 言語文化学習装置ラーニングマシンも壊れちゃったのかしら……」


 どうやら意思疎通ができていないと思われたらしい。

 困ったことになる前に返答する。


「言葉は理解している。ここはどこだ?」


 女の顔がパッと晴れる。


「もう、心配させないで。……ここは旗艦都市ヴィクトワールよ」


 女の口から出てきた名に鋭く反応する。


「ヴィクト……ワール……、女神か。ここに居るのか、女神が?」


 が、次の言葉にクルトは愕然とする。


「名前をもらっているだけよ。女神なんておとぎ話の世界だもの」


「おとぎ話だと――ッ!?」


「きゃっ!?」


 寝台ベッドから勢いよく立ち上がる。

 驚いて女が飛び退いた。


「おい、いまは何年だ! 女神歴のいつだ!?」


 クルトは目を丸くしている女に詰め寄るが、左右から飛び出した鉄柵が行く手を阻んだ。鉄柵の間には細かな電流が迸っている。


「……おいたはダメよ。危険人物だと困るから警備システムの中で眠っていてもらったの」


 暗黒魔法を使えば突破は容易いが、クルトは情報が欲しいのだ。

 鉄柵から一歩下がる。頭を下げて穏やかな声で女に質問する。


「悪かった。状況がわからない。いまが女神歴の何年なのか教えてくれないか?」


「やっぱり相当な大昔の人ねえ……」


 女は指を折りながら告げた。


「いまは新魔科学歴よ。女神歴って言えば八〇万年くらい前の話かしら」


 女の言葉にクルトは息をのむ。


「は、はちじゅう……まんねん、だと……。そんな、こと……ッ、信じられるか!」


「あなたの世界にこんなものあった?」


 白衣を羽織った女はベッドを囲う機械群を撫でる。


「ぅ……、ぐ、しかし……」


 否定をしたくてもできない。周りの様子や人族の変化を見る限り真実味を帯びている。


 血の気が引いた。

 一〇年では利かない、もしや三〇〇年近く経過しているのだろうかと思っていたが、途方もない時間の経過を知って愕然とした。


 女は神はおとぎ話の世界だと言っている。クルトが暗黒結晶石ストーン・オブ・ダークマターを知らなかったように、女神や竜神のことを知らない世界になってしまったということなのだろうか。


「……この世界に神はいないのか?」


「さぁ? わたくしよりも詳しい子がいるから、彼女に聞いてみたらどうかしら? ……おっと、噂をすれば」


 女が部屋の扉に視線を向ける。

 自動開閉扉オートスライド・ドアを開けて一人の少女が入ってきた。


 片手で携帯電子端末を弄りつつ、サイズの合わない大きなトレーナーをだぼっと被っている。口には棒付きのキャンディーを咥えていた。

 なんともだらしない姿で入ってきた少女はクルトを見るなり素っ頓狂な声を上げた。


「あーーーーーっ、起きてる!」


 微かにだが少女から神の気配を感じる。

 クルトは武器はないまでも身構えた。


「……お前は何者だ?」


「私? 私は、リーネだよ。魔導女神のハインリーネ・アストライアーって言うんだ。よろしくね!」


 クルトから放たれる静かな殺気にも気づかずに、少女はあっけらかんとした調子で名乗った。


「魔導女神とはなんだ?」


 クルトは首をかしげる。


 クルトに与えられた知識では、女神魔法を使えるように人工的に製造された女神と説明されている。その説明がクルトにはいまいち理解ができない。

 神は人の祈りによって存在するものであり、この世界で神への信仰がないならば女神は存在できないはずだ。


 また、降神の儀式ができる人がいなければ神は降りれない。

 例えば、女神騎士や女神司祭、竜人族ドラゴニュートの巫女だ。彼らのように特別な人だけが降臨の儀式を行って神を地上に呼び出すことができる。


 まだある。魔導女神と宣う少女は人族だ。捧げられた祈りに応えて降臨した女神ではない、……女神ではないが、何故か神の気配を感じる。


「魔導女神を知らないとなると、私より前の時代の人かな? ふぅん、はじめてみたよ」


 クルトの困惑など露知らず。少女は檻の中のクルトをじろじろと観察していた。


「ちょうど良かったわ。彼、おとぎ話の神様のことが知りたいみたいだから説明してあげてくれる?」


「えー? 私もくわしいわけじゃないんだけどな。世界史はギリギリだったし……」


 どんな些細なことでもいい。クルトは情報を集めたかった。


 渋る少女に頼み込む。


「なんでもいい、知っている神のことを教えてくれ」


「……ふむむ、わかったよ。うろ覚えだからあとから間違ってたことがわかっても怒らないでよね」


 リーネと名乗った少女は目を閉じて腕を組む。

 思い出すようにポツポツと神の話を語りはじめた。

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