第50話 シャーロットとして

 白い靄の中をひたすら歩き続ける。

 少し先には背中を向ける少年がいた。

 少年に追い付こうと必死に歩くがその差は一向に埋まらない。

 走ってみたがそれでも一定の距離が縮まることはなかった。


「×××!!」


 名前を叫んでみたが声が出ていない。

 口は開いているのに音声が聞こえない。

 自分でも何て発しているのか分からなかった。

 少年にも聞こえていないのかこちらを見てはくれない。

 名前は言葉として発することはできないが、一言だけは何故かはっきりと言えた。

 伝えることができた。

 だから必ずこの一言は忘れない。

 

「━━また会えるよな…?」


 その一言に少年は振り返る。

 毎回必ず同じ反応をし、

「ああ」

 と、顔に笑顔を浮かべてくれる。

 そして緑の髪色をした彼は、そのまま靄に溶けるようにして消えていくんだ。


 その夢を見ていつも私は目を覚ます。


 ┼┼┼


「シャーロット、おはよう」

「シャーロットー、おっはよー」


 クラスに馴染んで早五年が経った。

 最初はみんな何だか腫れ物に触るように接してきた。

 私からしたら初めて会う人ばかりで、その意味も最初はよく分からなかった。


 登校して間もなくは、私のことをミドルネームで言う人が多かった。

 今はもうすっかりファーストネームが浸透したけどね。


 クラス替えはなく、緑のローブを今日も着ている。

 私が通うのは樹クラスである。

 王都魔法学校の不人気なクラス。

 でも、私にとっては好きなカラーなんだ。

 理由はよく分かんない。


 ピュールさんはその理由も色々説明してくれたけど、私は知らない。

 全然しっくりこなくて、まるで他人の話だった。

 そう言えば、ピュールさんとは三年くらいあってないかな。

 うちのクラスのドンナーとピュールさんは冒険者パーティーを組んでいる。

 "樹"。

 それが彼らのパーティー名だ。

 うふふ。

 変なパーティー名。

 なにそれ?ヘンテコで笑っちゃう。

 

 冒険者か…。

 私とは無縁な世界。

 私はお父様の家業を継いで商会を営むの。

 貿易都市トゥールで大企業。

 それを私の代で潰すわけにはいかないから、ここでしっかりと経営学を学ばなくちゃ。

 あと五年で卒業か…。

 しっかりしなくちゃ。

 授業に集中、集中。


 この科目を受講する人は少ない。

 騎士や魔法師、冒険者を目指すものが多いからだ。

 それに加え、彼ら彼女らには一週間後にダンジョン探索が控えている。

 魔物と戦うことになれるために実地研修である。

 ダンジョンは王都魔法学校に発生した、地下十階までしかない難易度は易しいものを使う。

 けど、経験のない彼らは気合いが入っているのか、不安を拭い去りたいためなのか、今も模擬戦を繰り返したりしている。


 ドンナー、頑張れ…。

 彼には頑張ってほしい。

 けど、まだ経験も浅いのに冒険者になって心配。

 彼は友人であり、命の恩人でもある。

 とはいっても、その時の記憶は残っていないんだけどね…。

 私は五年前、ある事件に巻き込まれた。

 それが、ここ王都アヴィニオンの王が何者かに殺されてしまった事件だ。


 その時いた使用人も衛兵も全て殺され、跡形もなく燃やされた。

 証拠などは一切なく、目撃者は一人だった。

 それが私。

 私は犯人を知っている。

 らしい…。

 何故、らしいなのか。

 それは、私が覚えていないから。

 私は殺されかけた。

 今も体に残るこの傷痕だけが、それを証明している。

 一ヶ月あまりの生死の境をさ迷い、ようやく目を覚ました私は、記憶をごっそりと失っていた。


 『解離性健忘』

 それが私に下された病名。

 事件に巻き込まれ、強いストレスを感じる経験をしたために記憶が剥がれてしまった。

 無意識的に剥がしてしまったといったほうがいいのか。

 失った記憶は、事件から遡って数ヶ月分とそれに所々虫食いみたいに。


 

 

 ショックを受けたのは当の本人より、父だった。

 父は危険な道を歩ませた自分を悔やんでいた。

 自分の商会を継がせるために強くなってほしかった。

 自分が死んだ後に娘が困らないために。

 魔物や盗賊に襲われても負けないために。

 そして代々、商会と共に継がれていく一子相伝。

 それを一人しかいない娘に継がせるには女の身では危険を伴う。

 それを狙う者が現れるからだ。

 大貴族の娘であり、元素四大家であるシャーロットは、事件に巻き込まれる理由としては十分揃っていた。

 そこで父は、情報操作をし分家という虚像を作り上げた。

 一子相伝は分家の男子へ、商会は実の娘へ。

 二人は同一人物であり、別人であった。

 シャーロットは、自宅以外では男の子として振る舞った。

 けれど、今回の事件を機に、父はシャーロットとして生きることとし、危険なことからは遠ざけることを決めた。

 幸いにして、シャーロットは記憶を失ったが、一子相伝の秘術を忘れてはいなかった。

 その格闘センスは、同年代の子達と比べても頭一つ、いや、二つ三つは秀でている。

 現役の冒険者と戦っても、余程のベテランではない限り、すぐに負けることもないだろう。

 もし一子相伝を狙う輩が現れたしても、対処できるだろう。


 それに本人としても、『マホン』としての記憶はほとんどなく、シャーロットとしての自覚が強い。

 最初は周囲に驚かれることばかりだったが、五年かけて漸く浸透し、認められた。

 この五年が本当のシャーロットを作り上げた。

 国としてはマホンとしての記憶がほしかったのだが。

 犯人を捕まえるために。



 シャーロット・M・トンプソン。


 それが私の本当の名前。

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