第30話 目的は結局分からず
「はぁ…はぁ、くっ、…はぁ…はぁ…」
ソイツが居なくなった途端に空気が変わり、気が抜けていく。
まるで金縛りから解けたようだった。
マホンを見れば、この短時間で汗びっちょりだ。
「……ヴェル…はぁ…はぁ…アイ…アイツは誰なんだろうな…ふぅ━━」
「……わかんない。わかんないけど、アレはやばい…」
俺はゆっくりと音をたてないよう静かに立ち上がる。
そしてのっそりと慎重に歩みを進めた。
「お、おい! どこ行くんだ?! お、おいって!」
マホンの言葉は俺の耳には届いていない。
穴の中へと近づいていく。
通路は薄暗く、壁に窪みがいくつもある。
少しなら身を隠せそうだ。
この先は拓けているように見える。
一番奥には扉が見える。
オーク達の声はしない。
誰もいないか…?
いや、気配はある。
ただし、魔物ではない……。
呻き声がする。
「━━━━ッ」
そっちから流れこんでくる空気はさっきとはまた違う意味でくさい。
これは……糞尿だ。
俺はさらにゆっくりと中へと入って行く。
「……ぅぅ……ぅ……」
「………ぁぁ……ぅぁ……」
「……だれ…して……こ……ろして……」
そこには女性が何名も倒れていた。
何とか生きている人は……僅か三名か。
他は例外なく血だらけで、事切れている。
この人達も消息不明の冒険者達なのだろう。
死んではいないが、その三人ももちろん無事ではなかった。
三人ともお腹が膨らんでいる。
これは……。
異種族間交配か。
オークもゴブリンと同じで異種族間交配をするのだ。
オークはゴブリンよりも力は上。そして巨大だ。
だから、ゴブリンよりも結果として酷いことになってしまう。
ほとんどが抵抗して死ぬか、子を成して産んでも死んでしまうのだろう。力が弱く、小さい人族では特にだ。
生きている二名は涎をたらし、焦点があっていない。気が狂っているように見える。
一人は……死を懇願している。
くそっ、一人は知らない人だったけど二人はピュールのパーティーの女性だ。
三人ともお腹はパンパン。時間の問題だろう。
「……ヴェル…これは……」
マホンが追い付いてきたようだ。
後ろから声をかけてきた。
「アイツが誰で目的は分からないけど、冒険者を使ってオークを増やしていたんだろうね」
「………ひどい。 あの三人は……たす━━」
「━━からないね」
俺はマホンが言い終える前に、語気を強めて言葉を被せた。
俺もできれば助けたかった。
けど、手がない。
どうしようもないのだ。
お腹のオークだけを殺し、女性を救うのは無理だ。
オークが出てくるのを待って、産まれたらすぐに傷を治す?
いや、オークが出きる前に命を落とす。死ぬのが先だ。
傷は治せても、命を元に戻すことは俺にはできない…。
俺に出きることは、ただ苦しまずに送ることだけだ。
「……。あっ、さっきの!さっきの傷を治すやつならっ!なぁ!」
「ごめん。俺には助けることはできない……お腹のオークはどうしようもないんだ……」
「……そうだよな…。 ならヴェル、苦しまないように何とかならないか?」
「それはも━━━」
と、そこで扉がキィーと突如開き出した。
(マホンっ! 隠れろ!)
俺は即座に口パクで伝え通路の窪みに身を隠す。
マホンも行動は早かった。
俺とは反対側の窪みへ隠れている。
静かに様子を窺っていると、ブブブフと鼻を鳴らしながら入ってくるオーク達。
レッドオークも数体見える。
姿を見せないアイツは……。
もういないのかと思っていたら、最後の最後に入ってきた。
やはりローブを深く被っているために顔は見えない。
遠目に見て、その体躯から人族の大人くらいな感じはする。
人型であることは間違いない。よかった。
いや、よくはない。異形だろうと何だろうとヤツはやばい。
これでヤバくなかったら俺の頭がやばい。
ここからアイツまでは距離があり、さっきのような重圧は感じないことだけが幸いだ。
落ち着いて観察ができる。
落ち着きはしないか。
「オーク達よ、我は一度戻る。 貴様らはここにいて、何人たりともあの扉を通すな。 そして"箱"と"陣"は決して壊すな」
『ブフ!!』
「そして糧は全て刈り取り、
『ブフオォォォ!!』
そしてソイツは扉の方へ踵を返し消えていった。
オークって、言葉わかるのな。
しかもブフって返事するんだ。
ブフってなんだ?
それからのオークはその拓けた場所で自由にしていた。
俺には分からないオークの言葉ブフブフ語で会話するもの、寝るもの、放置されていた死体を弄ぶもの。
しかしまあ見るに耐えない。
さておき、アイツが言う箱と陣とは……。
箱………。
箱はあの転移の箱のことだろうか。
他にもどこかに箱があるのか?
それを使ってここのオーク達を王都の近くへ飛ばしたのか?
それなら陣とは何だろうか。
陣、陣、陣……。
「━━ヴェル、どうしようか……?後ろは行き止まり、前にはレッドオーク。 これは詰み?」
窪みの影でマホンの表情はよく見えないが、声のトーンからしても絶望感が滲みでている。
まあオークが強いのはさることながら、さらにその上のレッドオークがいるのだ。しかも、複数体。
大人の冒険者であっても相当の実力者でない限り、ここは絶望的だろう。
「……そんなことよりもマホン、アイツの言っていた陣ってなんだろう?」
「はあ!?そんなことってお前っ! ……まあもうどうしようもないか。 陣って
そういうことか。
箱と陣、いや箱と
とりあえず、俺とマホンは確認のためにピュールのいるところへと戻ることにした。
┼┼┼
「━━ほら、下見てみ! 死体と血で気づかなかったけど刻印だ。地面に刻まれてる」
たしかに。
それは地面いっぱいいっぱいに描かれていた。
「ほんとだ。 じゃあさ、これを消せばもうこっちに冒険者がくることはない?」
「……いや、箱がある限りは
……やっぱりそうなるよな。
仕方がない。
「マホン、頼みがある━━━」
┼┼┼
俺はまたオーク達が見える場所へと戻ってきた。
マホンは未だに目を覚まさないピュールの側で待機してもらった。のだが、こそこそと付いてきている。
時間はどれくらいあるか分からないから、それはもう放っておく。
アイツがいない今しかチャンスはないのだ。
「レッドオークは━━五体か。 オークを含めると二十くらいか。 あとは冒険者の三人……」
一瞬にして終わらす。
苦しくないように……。
━━ごめんなさい。
「
俺は杖を出す。
そして、悠々とオーク達へ姿を見せた。
それに気づいたのだろう、それまで騒いでいたオーク達はピタりと静かになる。
冒険者の三人は相変わらずだ。
俺はゆっくりと中を見渡した。
奥の扉は閉まり、俺がいる通路以外に出口はないな。
━━よし。
「ブオォォォッッ!!!」
一体が吼える。
そしてそれに釣られるように次々と声を出すオーク達。
俺は杖を構えた。
この空間にいる全ての生物を意識して魔力を溜める。
そして一瞬の間を置き、放つは全ての生物の時間を止める魔法。
「
俺が詠唱すると同時に、降り始める青白い花びら。
儚くも優しく、ふわりふわりと宙を舞う。
オーク達もそれに気づき上を見上げている。
最初に落ちてきた一枚の花びらが、一体のオークの肩へとふわっと落ちた。
すると、一瞬にしてそれは溶けてしまう。
スッと体に吸い込まれるように、空中に霧散するように消えてしまったのだ。
と、次の瞬間。
そのオークは全身に花を咲かせた。
隙間なく咲かせる青白いその花は、氷の結晶であった。
オークは何をされたのか、自分がどうなったのかも分からずに一瞬にして生命活動を停止させ氷の像と化してしまった。
《
神話属
伝説上で存在し、千年に一度咲き千枚の花びらを降らせる。
優しく降る花弁に触れたなら、苦しむこともなく一瞬にして生命活動を停止させるのだ。
それは一生溶けることのない氷の像である。
生き物を苦しめることなく殺すその力は、慈愛に満ちていると、慈しみのある力であるとさえされている。
一体目のオークが氷像と化したのを皮切りに、ここにいる全てがまるで生きているかのような躍動感のある氷と化していった。
俺は全てが凍るのを確認すると、縫うようにしてその中を歩いていく。
そして三体の像へ数秒の黙祷を捧げ、そのまま扉を開き中へと入っていった。
中へ入ると小部屋になっていて、真ん中に小さな台座が置かれている。
そしてそこには例の箱が一つあった。
┼┼┼
「お、おかえり。い、意外に早かったな」
なんだ?浮気現場か?
俺は箱を片手に戻ってきた。
「まあ……。 …じゃあ後は手はず通りよろしくな、マホンっ」
「うん……わかったよ…。 なぁ、ヴェル」
「どした?」
「……また会えるよな…?」
「ああ」
「ぜ、絶対だぞ。 絶対死ぬなよ……」
「ああ」
「絶対だぞ……」
俺はマホンに背を向けると、そのまま振り返りはせずに一度オーク達の場所へと移動した。
ほんのりと背中越しに光を感じる。
数分の後戻ると、そこには箱がポツンと地面に置かれ、マホンとピュールの姿は消えていた。
オークが王都近くに出現した原因がここであるなら、この箱で転移さすれば戻れると予想し、ピュールを連れてってもらうことにしたのだ。
そしてここで見たことを報告してもらうこと、それに戻った場所にある刻印と例のダンジョンと、それから箱の破壊を頼んだのだ。
今となってはあれがダンジョンだったのか疑わしいけどな。
そして、俺は━━━。
┼┼┼
俺の持ちうる魔法を使いここにある刻印と箱を破壊した。
扉の部屋のさらに奥には地上への階段があり、部屋自体も全てを壊しつつ上がって来たのだ。
これをアイツが知れば怒り狂うこと間違いなしだろう。
さて。
ここは━━━。
空は薄暗く、どんよりとしている。
夜ではないはずなのに、紫がかっていた。
気温は低い。
氷?
植物は見渡す限りに一つもなく、氷の大地が広がっていた。
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