クロスワードパズル

 

 少女は言葉を知っていた。


 色即是空。


 スリジャヤワルダナプラコッテ。


 ドップラー効果。


 ブランヴィリエ侯爵夫人。


 まだ、まだ見つからない。


 少女は本を読む。辞書を読む。インターネットの検索エンジンに言葉を打ち込む。


 ヴァルトプルグ城。


 浴槽の花嫁。


 螺髪。


 フリッツ・ラング。


 まだ、まだ……


 少女はメモを取る。


 ペントバルビタール。


 針の上で天使は何人踊れるか。


 レッド・ヘリング。


 世界の中心で愛を叫んだケモノ。


 まだ……


 少女は言葉を探す。自分の内側に巣食うモノを名状する言葉を探す。


   ※※※ ※※※


 少女は小学六年生で、とある港町に住んでいた。


 少女の家は街を見下ろすような坂道の頂上付近に建っていた。少女の部屋の窓からは海へと続く道を一望することができた。港に停まった船。鳥。街路樹の緑。ほのかに鼻をくすぐるつんとした匂い。


 ――これは潮の匂い。


 子供の頃よく遊んでくれた祖母が言っていた。だから、その言葉を知っている。


「■■ちゃん、あそぼ」


 窓の下、家の敷地のすぐ手前にあの子が来ていた。もう夏が近い。半そでになっていた。もうそんな季節か。少女は思う。気温の変化に疎い少女は、ときおり素っ頓狂な格好で外に出てしまうことがあった。


 ――半そで。半そでね。間違わないようにしないと。


 少女は長袖のパーカーを脱ぎ捨てて階段を駆け下りた。一分一秒が惜しい。せっかく塾が休みなのだ。私立中学を受験する少女にとって、友達と、あの子と遊べる時間はとても貴重だった。


「ノート持ってきた?」


「うん」


 少女たちは坂道を下った。街に下りた。少女はあの子と二人で歩くのが好きだった。次第に強くなっていく街の匂いを感じるのが好きだった。


 とある友人の家に着くと、三階の洋室に、すでに三人の友人が集まっていた。床には同じメーカーのノートが裏向きに三冊並んでいる。少女たちがそこに自分たちのノートを加えると、それを五人で適当に交ぜはじめた。


 仲間内で、クロスワードパズルを作るのが流行っていた。各々がノートに問題を作って、それをあてっこするのだ。同時に問題を解きはじめて最初に完成させた子が勝ちというルールだ。


「ストップ」


 部屋の主の宣言とともに、少女たちはノートを交ぜる手を止め、それぞれ一冊ずつ引き抜いた。自分のノートを引き抜いた場合は別の子とノートを交換する。全員に自分以外のノートがいきわたったところで、部屋の主がゲームのスタートを宣告した。


「じゃあ、針が12のとこを回ったらスタートね」


 競争がはじまった。


「うひゃー、■■の問題、今日のもむずすぎ。『仏様の髪型』って何それ」


 少女のノートを引いた友人がさっそくスマートフォンに手を伸ばす。言葉を検索するのもあり。部屋の本を参照するのもありというルールだった。


 別の友人が言う。「ねー。もうちょっと簡単にすればいいのに」


「勉強になっていいじゃん」


 少女はそう言い返して、ノートとのにらめっこを再開した。今日はあの子のノートだ。


 人それぞれってこと。四字熟語。


 パス。


 なすとかピーマンの上の方についてる部分。


 パス。


「全然分かんない」


 少女は言葉を知っていた。しかし、言葉を知覚や経験と結びつけるのは苦手だった。言葉はどこまでもただ言葉だった。


 少女は自分の内側で膨らむモノを自覚する。


 分からない。分からないものは不快だ。


 怒ってる状態。先生がえこひーきしたときとか、男子がふざけてるときにこうなる。


 分からない。教えてほしい。この感情は一体何なのか。


 少女は頭をかきむしる。あなたは知っている。その挙動がすっかり癖になっている。あなたは知らない。あなたがその挙動をする度、周囲の空気が緊張する。


 青い。近づくとしおのにおいがする。


「海だ」


 少女が正解を書き込むと、部屋の空気がわずかに弛緩した。少女には、仲間の口々から漏れる安堵のため息が聞こえない。


 機嫌をよくした少女は次の鍵に取りかかる。


 わたしの親友。


 空欄の数を数えた――自分の名前がぴったり入る。


 少女はあの子を見た。あの子は、他の誰かのノートに相対している。


 少女は少し迷ってから自分の名前を書き入れた。また腹の中のモノが蠢く。何だろう、この感じ。少女は戸惑いとともに思った。いつもなら不安になるはずなのに、少しだけ嬉しい。


 だが、その高揚した気分も五分ともたなかった。次の鍵、また次の鍵に答えるうちに、さっきの答えが疑わしくなってきたからだ。


 少女は考えた。でも、それ以外の答えは見つからない。


 わたしじゃない。わたしじゃないんだ。


 少女は空ろな気持ちで問題を解き進める。最終的に浮かび上がった名前は、まったく別の友人の名前を示していた。


 ざわり、と少女の腹の底で蠢くモノあがった。


   ※※※ ※※※


 少女があの子の喉に彫刻刀を突き立てたとき、大人たちは驚き、戦慄するとともに、首をかしげた。二人は姉妹のように仲がよかったはずだ。いったいどんな理由があれば、一方がもう一方を殺めるなんてことがありえるのだろう、と。


 少女は大人たちの質問に淡々と答えた。その冷静さが大人たちの戸惑いに拍車をかけた。


 とある週刊誌に関係者の言葉が載った。「自動販売機と話しているようなものです。ボタンを押せば望むものが出てくるが、それ以外のものがまるでない」


 やがて少女の処遇が決まり、とある施設に収容されることになった。けっきょく、大人たちがどんなボタンを押してもクロスワードパズルの話は出てこなかった。

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