元社畜の俺は異世界でスローライフを送っています。

武田修一

トンネルを抜けるとそこは異世界でした。



 「は」

 「うん、だからね、君はさもっと頑張ってもらいたいんだよね。タイムカードも定時で切ってさあ、残業バリバリしてよ。ね?」

 「はい」


 何言ってんだ、とか、労基法に反してるだとかは言えなかった。

 俺はその言葉の通りに、タイムカードを定時で切って、暗い社内で一人残業に勤しんだ。


 がちゃがちゃと荒っぽいキーボードの音と、ファンの回る音がしている。ぼんやりと光を発しているパソコンの前にいる俺はきっと不気味だ。この状態を誰かが見たら驚くんだろうな、とかどうでもいいことを考えながら、パソコンのキーボードをひたすら叩いた。

 あのおっさんが提示してきた量は、いつまで経っても終わりやしない。定時なんて余裕で過ぎてしまうし、日付が回っても終わりやしない、そんな量だ。どこからこんなに仕事を持ってきてくれるんだろう、と考えてすぐに思いついてしまった。大方自分の仕事も、他人ができない仕事も、とかき集めてきた仕事なのだろう。その証拠に誰かがミスした書類がたくさんあった。それらをせこせこと俺が直している。一人で。


 「社畜やめてえ………」


 ぼそりと呟いても拾ってくれる親切な人はいない。それでもぶつぶつと言うのが止まらなかった。

 むしろ誰も拾ってくれないからこそ言えたのかもしれない。もう帰ってしまおうか、と時計を見たが、まだ終電のある時間だった。再びパソコンに目線を戻した。



 ◇◇◇



 「……帰ろう」


 時計の針は二時を指していた。もういいだろう。なんでここまでしなくちゃならないんだ、と考えていながらもこんな時間まで仕事をしていたのだからもう意味が分からない。まだ眠気が来てないうちに家に帰らなければ。終電はもうなくなっている。

 車で来ているから関係ないのだが。


 さっと後片付けだけして、会社の戸締りをして車に乗り込んだ。

 エンジンをかけると音楽が流れ出す。言葉があると考え事をしてしまうので、車でかける音楽は決まってクラシックだった。特に好きなわけではないけれど、音がないのは寂しいから。

 街灯も切れかかった寂しい道をひた走る。周りに店が見えるが、もう今の時間は閉まっているから暗かった。たまにコンビニが見えて、そこらだけがひたすらに明るい。それだけだ。


 「………転職しなきゃ死ぬな」


 ふいにそんなことを思った。

 朝は誰よりも早く出社し、夜は定時にタイムカードを切り、毎回遅くまで残業をして、家に帰って眠る。仕事中心の毎日だと言えば聞こえはいいかもしれない。それでもこんな生活をずっと続けるわけにもいかなかった。遅かれ早かれ、俺が死ぬか俺の心が死ぬか。どっちかだった。

 このまま続けていても先はない。続けていたらほんとうに会社に骨を埋めることになるだろう。それは、望んでいなかった。

 車は、家に近づいている。最後にあのトンネルを越えれば、家に着く。


 「はあ、ゆっくりしたい………」


 無理矢理にでも休んで温泉にでも行きたい気分だった。そんなことはできないとわかっていても。体とこころは休みたがっていた。


 「は?」


 トンネルの向こうには、いつもの道はなく、ただのどかな田園風景が続いていた。


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